29.漢、救助へ(問題も発生)
忍び装束の少年が姿を現すと同時だった。
どさりと屋根から落ちる黒づくめの人影があった。手に吹き筒がある。つい今、吹き矢を放った者に違いない。
捕らえられている女暗殺者の覆面から覗く口許が驚愕を彩った。
「ウソでしょ、リゲルほどの使い手がやられるなんて」
拘束しているユリウスは、はっはっは! と高笑いだ。
「凄いだろう、ニンジャは。いろんなことが出来るだけでなく、気持ちも良い連中なんだ」
「これ、解毒薬だよね」
いつの間にか前へやって来ていたサイゾウが手にした木製の瓶を見せてくる。
くっと女暗殺者が悔しそうに息を吐く。万事尽きたとする様子が、解毒剤は本物と証明していた。
「ではさっそくツバキにといこうではないか。人質よ、名をなんと言うんだ」
暗躍する存在であれば、ユリウスの質問に答えたくないところだ。だが逃げ出す機会を得られそうもない。ならば解毒剤を分けてもらうしかない。分けてもらえなければ、死ぬ。
「セネカ、セネカよ。教えたんだから、ちゃんと解毒薬、あたしにも寄越しなさい」
「まぁ、そう急くな。すぐには効かない毒なのだろ。ツバキの効き目を確認してからだ」
ちっ、と女暗殺者セネカは内心で舌打ちする。
この男、なーにも考えていないようで抜け目がない。
横たわるツバキの頭を抱くキキョウへ、サイゾウが解毒薬の瓶を差し出す。
「ツバキ姐さん、飲んで」
栓を抜いたキキョウがツバキの口へそそぎこむ。
紫色の解毒液は口の端から溢れてくる。喉を通った様子がない。
「あら、間に合わなかったみたいね」
無情な判断を下すセネカの顔へ一閃が走る。
はらり、覆面が真っ二つに裂かれ落ちていく。
現れた顔立ちはあらかじめ露出していた口許同様に蠱惑的だ。暗いブラウンの色した髪と瞳が妖しさを引き立たせている。
「ツバキの姐御が助からないなら、おまえを殺す。楽には死なせない」
短剣の切っ先をセネカの目へ、サイゾウが突き立てる。なぶり殺しを予告している。
セネカと言ったな、とユリウスが確認してきた。
ええ、と状況が状況だけにセネカの返事は逼迫していた。
「飲めば効くんだよな」
「もちろんよ。解毒のほうは飲んだ先から効果覿面よ。喉を通ればの話しだけどね」
サイゾウ、とユリウスは持っていたセネカを後ろ手に縛る縄の先を掲げた。
少し躊躇は見せたもののサイゾウは短剣を引っ込め、押さえる役目を引き継いだ。
いったいなにを? とセネカの質問を無視してユリウスは進む。
「お願いツバキ姐さん、飲んで、飲んでよ……」
キキョウの泣きながらの訴えも段々細くなっていく。
頼む相手の瞳から光りはほぼ失われつつある。仰向けのツバキは口に解毒液を溜めたまま最後を待つばかりだ。
ぽんっとユリウスが泣き崩れるキキョウの頭へ手を置いた。任せろ、とする言葉付きだ。
なにするの、と振り仰ぐキキョウの面前を巨漢が掠めていく。
ユリウスがひざまずく。ふんっと息を吸い込んだ、と思ったらだ。
口を塞いでいた。
ツバキの口とユリウスの口は重なっている。
じき喉仏も動く。
効果の即効性は嘘ではなく、死んだような瞳に光りが宿り始める。
少し精気が戻った後は早かった。
むむむぅと唸るツバキの顔がたちまちにして灼熱化していく。
つい今まで死に漂白をされていたなど嘘みたいだ。
どうやら口づけされている認識が出来ているらしい。
しかも相手がユリウスであれば、感情は爆発する。
「おっ、どうやら飲めたようではないか。良かった、良かった」
ようやく離れたユリウスは喜びながらも平常運転である。
ツバキ姐さん、とキキョウのほうはそれこそ感激が抑えられない。泣きながらすがりつく。
ツバキは起き上がってこなかった。仰向けなまま、弱々しく訴えてくる。
「ユ、ユリウス様……私はまだ毒が効いているみたいで……もう一度、口移しで飲ませていただけないでしょうか」
「そうか、それはいかんな。でももう意識があれば飲めるだろ。キキョウ、飲ませてやるといい」
はい、とキキョウが目元を拭きながら返事をする。
ツバキが、とても慌てて声を振り絞ってくる。
「い、いえ。どうやらまだ飲めるほどの力は回復していないようですわ。ここはユリウス様に勢いよく流し込んでいただかないと無理そうなのです」
「そうなのか」
「はい、ここはユリウス様で、ぜひ」
じゃ、となったユリウスが解毒薬の瓶を持つキキョウへ目を向けた。
なにやら泣き腫らしていた忍び装束の少女の顔つきが険しくなっている。ツバキ姐さん、と呼ぶ声も厳しい。
な、なにかしら、と狼狽気味が見えるツバキへ鋭く指摘する。
「もう大丈夫なんでしょ、ぜんぜん。みんなをとても心配させておいて、まだ色惚けなんて度し難いよ」
「それだけべらべらしゃべれるくせに、薬が飲めないなんて信じられない」
キキョウに続き、サイゾウまで糾弾せずにいられないようだ。
当事者から部外者へ押しやられているユリウスは、年少の二人の言うことが正しければツバキは怒られてもっともだと思っている。
そして解毒薬を欲する人質は年少の二人に乗って事態をつまびらやかにしなければならない。
「ちょっと、あんた。いつまで邪な気持ちになっているのよ。そんなにまた口づけしたいの」
命がかかっているセネカは必死だ。解毒薬が自分にも与えられる状況へ持っていかなければならない。いくら毒の効き目がゆっくりとはいえ、あまりのんびりされても困る。
だが阻む出来事が起きた。
ツバキぃ〜! とても高貴な身分にあるとは信じ難い、どろどろした声が聞こえてきた。