28.漢、怒っていそう(実際、怒っている)
繁華街から少し離れた小さな広場のベンチにツバキを横たわらせた。
すっかり毒が廻ったか。苦しむ息も徐々に弱っていく。
しっかりして、ツバキ姐さん! キキョウは泣き叫んだ。
「もうすぐ解毒剤を持ってハットリが来る。信じるんだ」
たいていなら気休めにしかならない言葉も、ユリウスが言うと力強い励ましに聞こえる。
う、うん、とキキョウが押されるようにうなずく。が、すぐに怒りをたぎらせた。
「なにが、おかしいの!」
後ろ手に縛られて座る女暗殺者が笑いだしていた。くくくっと含みのあるいやらしさだ。キキョウの目に殺意を認めれば、可笑しくてしょうがないといった感じだ。
ただここにはユリウスがいる。
「なんだか愉しそうだな。もしかして、おまえ。俺が三度も婚約破棄された話しを思い出しての笑いか。ヒドいぞ、それは」
「えっ、三回もされていたの」
女暗殺者としては嘲笑をもって挑発してやるつもりだった。ところが婚約破棄されたとしか情報が入っていないところに示された回数である。驚きが上回ってしまった。
しかも自ら口走って置きながら大陸中に名を馳せる闘神が、がっくし肩を落としてくる。
「ううっ、やっぱり、あれか。三度は驚くか」
「当たり前じゃない。婚約自体人生に一回が普通なのに、しかも三回もした挙句に破棄なんて聞いたこともないわよ」
がーん、と響きが聞こえそうなユリウスの様相だ。
傍目からでも気の毒なほどである。だから思わず女暗殺者は優しい口調で続けてしまう。
「でも、そうよね。年配であれば、何回か婚約破棄されるなんてこともあり得るわよね」
「俺はまだ二十三だ!」
やけくそなユリウスがする、魂からの訴えである。
「あら、マジ。意外と若かったのね」
ちょっと女暗殺者がうろたえている。ユリウスに対する情報は薄いようだ。想像外ばかりとする反応続きである。ふと、その口許に笑みが閃いた。教会の屋上で見せた残忍さに通じるものだ。
「ねぇ、ユリウス・ラスボーン。取り引きしない?」
「おぅ、なんだ。いい話しを期待しているぞ」
妖しい覆面の女暗殺者の持ちかけに、あっさりユリウスは応じる。
「もしこちらの要求を呑んでくれるなら、解毒剤を用意させてもいいわよ」
「それで、要求とはなんだ」
「もちろん今晩しくじった獲物の命。プリムラ姫を差し出してくれない」
沈黙が落ちた。
即答がないくらい女暗殺者にすれば計算内である。もちろん婚約者を渡すなどと言うわけがない。だが今にも命尽きようとしている女を姉のように慕う少女がいる。無下な判断を早々下せまい。
ともかく闘神と呼ばれる騎士は人が良さそうだ。いきなり感情任せに無抵抗な人間を切り捨てたりはしないだろう。ならば動揺を誘い悩ませて隙を作る。自分の助けにはかなりの腕利きを寄越すはずだ。助かるため、あらゆる策は打っておく。
「なぜ、おまえの名も聞かず、顔を曝さずにおいたと思う?」
ユリウスから答えではなく、問いかけがきた。
さあ? うそぶく女暗殺者だが胸の内は波立っている。
不安は後ろ首をつかまれることで確信へ変わった。
「見張り番がいるであろう暗殺者どもに、おまえがまだ無事だと思わせるためだ。そうすれば口を割る前に始末しようと急ぎ襲撃してくるかもしれない、と読んだが、どうやら当たったみたいだ」
ユリウスが女暗殺者の首根っこをつかんで高く掲げる。
「出てきたらどうだ。狙いやすいようにしてやったぞ。アサシンのことだ、初めからこの女を助ける気などないだろう。俺は今、はらわたが煮えくり返っているから、こいつをどうしようとかまわん」
さぁ狙え、とユリウスはいっそう高く掲げた。
女暗殺者は慌てて所構わず訴える。
「ちょ、ちょっと待って。そんな、狙わないわよね。あたしたち仲間だし、助けに来てくれるってわか……」
声が途切れた理由は、頬を掠めたせいだ。
ビュンッと飛んできた矢は顔へ命中する寸前だった。
避けられたのは偏にユリウスの見切りが優れていたおかげである。
だが感謝が出てくるはずもなく、口汚く喚いた。
「傷が、傷が……ちっくしょー、このままじゃあたし……」
「大丈夫だ。おまえにはいろいろしゃべってもらわなければならん、まだ死んでもらっては困るからな」
女暗殺者にまだ口を割る気はなかった。ただ動揺のあまり、ちらり目を送ってしまった。
それを逃さない影が、さっと近づいてくる。視線の先にある靴の底をつかむ。瞬く間に開けてみせた。
「良かった。こいつ解毒薬、持っていた」
忍び装束の少年が滅多になく声を弾ませている。サイゾウだった。
うんうんとユリウスも嬉しそうにうなずく。
「毒を扱う連中だからな。万が一のための解毒薬を所持していると思っていたが、案の定だったな。いやいや上手くいったもんだ」
だが事はそう簡単に運ばなかった。