24.姫、いずこへ(お付きは只者ではない)
欠けた月がぽっかり浮かんでいた。
放つ輝きは形に比して鈍く、皇都は薄ら照らす。
まだ繁華街の灯りは消えていないものの、皇宮はひっそり静まり返っている。
立つ音は寝息だけとするような時間帯だ。
ロマニア帝国の使節一向が宿泊する離宮も例外ではない。
ただおかしな点はあった。
就寝している者より動く者のほうが音を上げない。
闇に紛れて近づいていく、バルコニーへ縄を投げ引っ掛ける。つかんで、するする昇っていく。窓を開けて室内へ侵入する。
以上の行程において一切の物音は立てなかった。
ベッドへ近づく際は気配さえ消すようだ。
覆面から全身まで黒づくめの侵入者は腰元から抜く。
きらり、薄闇のなかでも刃が光る。
毛布で覆うも、黄金で輝くような髪が覗いている。
掲げられた短剣が誰の命を狙っているか、もはや疑いようはない。
「やはりユリウス様の言う通りでしたわ」
不意に部屋の暗がりから響く。
誰! と黒づくめの侵入者が叫ぶ。声は女性のもののようだ。
「誰とはこちらのセリフです。姫様の命を狙う貴女こそ何者ですか」
バルコニーに続く開け放たれた窓から差し込む月光が、歩み進むメイドを照らす。ツバキであった。手には何枚かの手裏剣が握られている。
動くな! と黒づくめの侵入者が短剣をベッドに横たわる黄金の髪へ寄せた。
「それ以上、近づけばプリムラ王女の命はない」
恫喝にツバキは素直に従うように見えた。進む足を止めている。
「なにが目的なのですか」
「ずいぶんわかりきったことを聞くわね。もうそっちが答えを持っているんじゃなくて」
黒づくめの侵入者がしゃべれば、女性でほぼ間違いなさそうと判断できる。暗がりに浮かぶ身体の線もしなやかな肢体を印象づける。
「姫様を殺害をする気なら、私に見咎められて脅す真似などする必要がありませんわ」
「様子を見たくなったのよ、貴女が現れたせいでね。だって部屋に入った時点では、誰かがいるなんて思いも寄らなかった。相当な手練なくせに、肝心のお姫様に接近を許すなんておかしいじゃない」
侵入者に解答を聞く暇はなかった。
ベッドからの動きに対応しなければならなくなったからだ。
毛布が翻り、刃が黒づくめの侵入者の首元へ迫る。
間一髪で避ければ、一気に壁際まで飛んだ。
「やっぱり偽者だったようね」
侵入者が被る覆面から覗く目はベッドを睨みつけている。
ベッドの上に立つ人物は忍び装束を着た黒髪の少女であった。替え玉役を果たしていたキキョウだ。やや無念そうな顔をしているのは、仕留めるまでいきたかったのであろう。
だがまだ逃げられてはいない。
バルコニーに続く窓の前にツバキが立つ。これで逃亡ルートは塞がれた。
「どうです、降参しません? こちらは命まで奪うまではしないつもりです」
ツバキがする敵への申し出に、キキョウが顔をしかめた。尊敬の念を抱いてきた姐さんと思えない、ずいぶん甘い内容だった。
以前では考えられない態度に、ちょっと苛立つ。
ならば自分が、と思う。黒づくめの侵入者から力づくで聞き出してやろう。
ベッドから飛びかかっていく。
感情任せの動作は隙を生む。本人はいつも通りのつもりでも僅かな力みを孕んでおり、相手が優秀であればあるほど付け込まれる。
敵はするりと身をかわしつつだ。手にした短剣をキキョウへ突き立てた。
ぽたぽた、血が床へ落ちていく。
「あら、残念」
黒づくめの侵入者がおどけるように発した。
ツバキ姐さん! とキキョウの叫びは悲痛に満ちていた。
「大丈夫よ、これくらい」
腕に短剣を突き立てたツバキの気迫は失われていない。気丈にも自ら短剣を引き抜いている。
キキョウが急いで取り出した布でツバキの傷口を巻いた。もし庇ってもらわなければ、首を刺されていたかもしれない。助けてもらった、しかも負傷までさせて。ごめんなさいが自然に口へ出ていた。
いいのよ、とツバキは優しく微笑んだ。
「そうか、その格好。貴女たち、ニンジャなのね。本当にいたとは驚きだわ」
黒づくめの侵入者の言葉は内容のわりに感銘を受けた感じがない。むしろ嘲りが強く滲んでいるようにさえ聞こえる。続く声がバカにしていたことを明確に伝えてくる。
「でもニンジャの居なくなった原因がよくわかったわ。とても裏の仕事を引き受けるには無理な甘さじゃない。しかもガキまで使って。お里が知れるとはこのことね」
なに、とキキョウが怒りで出かかったのをツバキが腕で制す。ふっと笑みまでもらしてくる。
「あなた、アサシンですよね。特に珍しくもない、どこにでもいる連中の一人とお見受けしますわ」
「アサシンとするところは当たっているけれど、どこにでもいる連中とは一線を画すけどね、あたしは」
「それは能力的な面においてでしょうか、それとも特別な依頼に自意識が高くなったとするならば少々情けない話しですわ」
黒づくめの侵入者は声を一段低くしてくる。
「それ、どういう意味で言っているのか聞きたいわね」
さぁ、と空惚けつつもツバキは相手が気になるような匂わせを忘れない。
「ただ、我らの主人の婚約者であり、闘神と名高いユリウス・ラスボーンはある程度の事情を見透かしていますわ」
我が事のようにツバキは自慢げに話している。
黒づくめの女暗殺者はどのような心象から生じた態度か知らないから、挑発と解釈した。
「そんなものには乗らないわよ」と背を返す。窓から出ていく。
逃さないわ、とツバキが呟くと同時だ。
部屋のドアが勢いよく開いた。