16.漢、婚約者の説明を聞く(部下の報告は最後まで聞かない)
ユリウス一行が目指す場所はグネルス皇国だ。
ロマニア帝国とグノーシス賢國と比べれば領土や国力をかなり下回るものの、メギスティア大陸第三に位置する勢力であることは疑い得ない。
この国家から帝国は招待を受けた。
なぜか騎士の階級であるユリウス・ラスボーンを指名とくる。
大陸随一の戦士に一度お目にかかりたい、とする理由はもっともらしい。
ただし婚約者の同伴が求められた点が、また不審を呼ぶ。
問題がなければ近々夫婦になるとはいえ、まだ婚前である。ぜひとする要望がなにやらきな臭い。
エルフのグレイからもたらされた情報で、前々回のドラゴ部族相手の戦闘中に起きたプリムラ暗殺の黒幕とする線も濃い。新しい皇王カナン・キーファが過去にプリムラへ迫った経緯があると知れば、当然ながら警戒は湧く。未だ執着している可能性は否定できない。
本来ならユリウスは断るところだ。
だが当のプリムラが会ってみたいと言う。
事の真偽を確かめたい。仮に暗殺を企てた張本人だとしたら、今後もまた仕掛けてくるだろう。ならば座して待つより、危険でも敵の懐へ飛び込みたい。
ユリウスが自分のために皇帝の勅命を断って立場を悪くしないようとする配慮もあるだろう。どんな人物か、どのように変わったか。ユリウスとプリムラはそれぞれの思惑であれど、カナンという人物に会ってみたいとする意識は一致している。
カナンは、とプリムラがグネルス皇国へ向かう馬車内でその名前を口にした。
隣りは侍女のツバキが座っている。
対座にユリウスとイザークがいた。
「かわいそうな方には違いないのです」
知る限りについて説明し始める。
どうやらカナン・キーファ皇王の出生は望まれてではないらしい。先皇の姉である母の不義で生を得た可能性が高いそうだ。確証のない噂は表において厳禁とされても、皇宮では狭い世界ゆえにはびこる。母の態度もまた冷たく、幼き頃から他国へ預けられる生活が続く。近くに置いておきたくない意向をはっきり示されてきた。
ハナナ王国が賓客としてカナンをしばらく受け入れたのは、ハナナの王がグネルスの先皇王と懇意な関係にあったからと噂されている。要は実際の理由について許可した王以外には不明なのである。
プリムラの説明はとても貴重な情報であった。
そうですか、とイザークは返事しては沈思している。
その横でユリウスが何やらもぞもぞしだした。ただでさえでかい図体であれば馬車内の空間を多く支配している。いつまでもわさわさされては、隣りにいるほうも落ち着かない。
「おい、ユリウス。なんか言いたいことがあるならば言ったらどうだ」
考えに集中するためにもイザークは、僚友に胸の内をさらすよう促す。士官学校の頃からの付き合いであれば、何か言いたそうな予兆は感づける。
そ、そうだな、とユリウスは、いかにも決意を固めました、とする顔つきをした。思い切ったように口を開く。
「婚約を三回もしていた俺が聞くのもなんだが、王女はそのぉ……カナンなんとかと結婚の約束などしていたのだろうか」
いかん、とイザークは声にせず叫んでいた。
これから向かう先は敵地にほかならない。きちんと得られた情報を咀嚼しなければいけない。なのにユリウスが話しをおもしろい方向へ持っていこうとしている。それを楽しみにしている自分がいる。
なにを、とこれ以上にないほどの渋面を作った。すまん、でも気になってしまうんだ、とユリウスが答えてくれば上手く内心は隠せたようだ。ただ「しょうがないな」と言ってしまう。止められない。欲求に負けたことを自覚した。
隣りに座るイザークへ伝わるほど緊張をしているユリウスへ返答があった。
「いえ、わたくしが婚約したお相手はユリウスさましかおりません」
「そ、そうなのか」
おどおどしているユリウスへ、「はい!」とプリムラが快活に返している。
大した話しに発展しそうにないな、とやや拍子抜けしたイザークは内心でごちる。ちょっと残念とする気持ちが不機嫌そうな声の演出に一役を買った。
「そういうことだ、ユリウス。もういいだろう」
「いや、イザーク。良くないぞ、これは良くない」
予期せぬ反論がきた。おっ、となるイザークは俄然期待が高まる。あくまで平静を装いつつだ。
「プリムラ姫はユリウスと違って、これまで婚約した相手がいないようであれば、何の問題もないではないか」
「そこだ、そこが問題なんだ。なんだか俺のほうだけ騒がすだけ騒がして、酷くないか」
「別にユリウスの普段における女性関係は清いものだ。問題とするならばヨシツネのようなヤツを指すものだ」
「そうか……そうだな」
「でもまぁ、たいていは婚約までいけば婚姻までいくけどな。破棄は早々あることじゃない」
うおおおぉおー、と頭を抱えるユリウスは相変わらずうるさい。
「すまない、王女。俺は婚約者として不甲斐ないにも程がある」
と、嘆きも追加していた。
優しく微笑むプリムラはユリウスのごつい手に小さなその手を重ねた。
「いいのです、ユリウスさまはそれで。婚約破棄をしてこなかったら、わたくしがこうして現在の婚約者になれなかったですよ」
「ありがとう、王女。しかしこんな俺の残り者みたいな結果にしてしまって、やはり申し訳ないと考えるのだ」
ユリウスは婚約者絡みだといろいろ考えるものだ、とイザークは口にしない感心を挙げていた。戦場では即断即決の豪快さとまったく逆でくる。まったくおもしろいヤツだと改めて思う。
はっとしたようにユリウスが顔を上げた。握られた手の力強さを感じたからだ。
正面に見えるすみれ色の瞳が慈愛の光りを湛え、可憐な唇が開く。
「ユリウスさまは、わたくしと運命だったと思えませんか。婚約破棄という辛い経験は運命を手繰り寄せるための試練であったのだと」
「……王女は強いな」
「ずっとユリウスさまの許へと望んでいたわたくしは今、そのように思えています」
馬車内はしばし静寂に包まれた。
「王女、いやプリムラ」
ようやく切ったユリウスの口火は感情が熱くこもっている。
「ユリウスさま……いえ、ここはユリウスと呼ばせていただきます」
プリムラも固く心を決めたような響きだ。
この二人、自分ら他人がすぐそばにいることを認識しているのだろうか、とイザークは考えたが表に出さない。何かが始まったら始まったで面白そうとする気持ちが先立っている。むしろおっ始めてくれないか、と期待していたくらいだ。
「あのさ、盛り上がっているところ悪いんだけど、ちょっといいかな」
突然の声に、ビクッとなるユリウスとプリムラにイザークである。
三人が目を向ける方向はツバキが腰掛けている側の窓だ。
声の主であるベルが馬上から覗き込んでいる。
「おおおお脅かすな、ベル。いきなりすぎるぞ」
あたふたなユリウスに、名指しで非難された者は少々呆れながらである。
「ちゃんとノックしたよ。そうしたらツバキが開けてくれたんだけど。あれだね。声をかけるには気が引ける雰囲気になっていてさ。僕がかなり勇気を要したことはわかって欲しいな」
「ベルの言う通りだ。そうまでして呼んだには理由があるな」
すっかりユリウスは普段へ戻っている。
さすが、といった笑みをベルが浮かべている。
「前方に多数の足音がしている。でもそれはたぶん……」
報告は途中で切られた。
うおぉおおおー、とユリウスが気合いを入れるような雄叫びを挙げたせいだ。
「プリムラ、俺はおまえを守る。絶対に、な!」
そう言うと同時に、馬車の扉を開けていた。飛び出て行くのも、すぐだった。
うおぉおおおー、とそっくり同じ雄叫びを繰り返して走りだす。
馬に乗って先導するアルフォンスとヨシツネの間を突風の如く駆け抜けていく。
「馬にも乗らず、ユリウスはどうしたことかのぉ」
いかにも不思議とするアルフォンスに、ヨシツネがのんびりと応じる。
「あれじゃないですか。また姫さんに余計なことを言っていたたまれなくなったとか、そんなとこでしょ」
そこへ馬上のベルが近寄ってきてはため息を吐くみたいに言う。
「最後までちゃんと聞いてくれよ、ユリウス団長さ」
どうした? とするアルフォンスに、ベルは答える。
「前方で複数の足音が聞こえたんだ。僕らの少人数だからさ、いちおう警戒で伝えたんだけど」
「トラークーまでもうすぐだからな。たぶんそこの騎兵団だろう。あそこの騎士団長はユリウスと話しが弾む感じだったしのぉ」
「その可能性が高いとする話しまで聞かずに、ユリウス団長、一人で先に向かって行ったんだ」
待つ騎兵団は自分らに好意的な連中だから悶着など起きないだろう、と三人の間で結論づけた。
ユリウスを一人きりで行かせたツケは後にきっちり返ってきた。