12.漢、感激しかない(姫は、というと)
自分にはもったいない女性だ。
庭園の一角に建てられた八角形屋根の下、ユリウスが真向かいに座るプリムラに改めて抱く感慨である。
少し遅くなった食事の後に誘われた。婚約を確認し合った、思い出のガゼボへ行きましょう、と。
結局、ディディエ卿の要望にユリウスは答えられなかった。だが返答を保留して良かったと思う。これは自分だけの問題ではない。やはりプリムラを話し合ってからするべきである。
相談する機会を窺うユリウスに先んじてプリムラが提案してくれた。庭園のガゼボは二人きりなるならば、これ以上にない場所だった。自分ではすっと出てこない思いつきだ。
星々がこぼれ落ちてきそうな夜空に、前回は抜けるような青空が広がっていたことをプリムラが口にしたところから思い出話しに花が咲く。ユリウスは頭をかきながら、幼女と断じた不明を詫びずにいられない。実は二人にとって未だ解決されない根深い問題であるが、恋人同士には素敵な星空とする状況が取るに足らない地持ちへさせる。単なる笑い話しですませられる。
「そういえば、あの時にユリウスさまにもらっていただいたお守りはまだ無事ですか」
「もちろんだ。自分の身命に代えても、王女からもらったお守りは守る」
「それでは役目が逆ではありません?」
ホントだな、とユリウスが畏まって答えたら、ぷっとプリムラが噴き出す。
八角形屋根に当たって跳ね返ってくるような笑い声を二人で立てた。
「ずっとこのままでいられるようにしたいものだな」
笑い終える同時にユリウスが、ぽつり洩らす。
ユリウスさま、と呼ぶ声がする。
つい今まで笑っていた面影は微塵もないプリムラが膝を揃えて座っていた。
「そのお気持ち、わたくしにはとても嬉しいものです。けれどもわたくしたち以外のことで他に気にかけていることがありますよね?」
婚約者には敵わない、と歴戦の闘将であるユリウスが白旗を掲げていた。
このまま婚礼を上げ、辺境伯の地位を引き継ぎ、エルベウス地方を統治していく。
穏やかな幸せを得る道が示されている。
ずっとユリウスは家庭を築きたかった。それは自分を助けてくれた亜人の翼人が種として先細りしていく悲しみを間近にしてきたからだ。亜人は人間に比べて極端に出生率が低い。特に翼人はほとんど子が生まれなくなっている。種族が途絶える日もそう遠くないだろう。
身寄りないユリウスを育んでくれた翼人の里を離れることとなったのは、未来のない場所へいつまでも留められないとする理由からだ。
送り出された自分がすることは、と考えた。代替行為にすぎないかもしれないが、いつか自分の子供を連れて翼人の里の者たちに恩を忘れていないと伝えたい。恩人シスイに孫のつもりで抱き上げてもらいたい。
このまま現在の父であるディディエ卿が示す道を進めば、積年の想いは遂げられる。妻としてこれ以上望むべくもない相手だ。プリムラが相手ならば、夢は夢でなくなる。
だが……。
「すまない」
ユリウスは頭を下げていた。両手を両膝に載せて、相手の顔が見られないほど深々とする。
「謝らないでください、ユリウスさま。わかります、不穏な現実を前に投げ出すなどできない。それがわたしくしの婚約者だとわかっています」
どうやらプリムラは事情を理解して許してくれるらしい。
だけど、だからこそユリウスは頭を下げ続けた。
いかなる理由があろうともだ。この選択は婚約者を選んでいない、世の情勢に翻弄される人々の問題を優先している。
申し訳なくて顔が見れない。
もし隣りに何やら甘い匂いと気配を感じなければ、いつまでもそうしていただろう。
顔を上げたら、正面にいない。
すぐ横に座っていた。
小柄なプリムラが少し見上げる形で見つめてくる。
「王女の瞳は一輪の花のように美しいな」
すみれ色の眼にユリウスは意識していたら出せない台詞を口にしていた。
「ありがとうございます。わたくしからすれば、ユリウスさまこそ女性でも羨むような本当に綺麗な肌をしています」
ユリウスはプリムラの気遣いだと考える。張り詰めたこちらの心を多少でも和らげようとしてくれている。ならばと、はっはっは! と笑ってみせた。
「こちらこそ、ありがとうだ。こんな傷だらけ、触るもイヤだとする元婚約者殿もいたぞ」
数多の死線をくぐってきた跡は身体中に走っている。顔には幾筋もの傷が消えていない。いくら外見が熊かゴリラかのような頑健さを誇ろうとも、痛ましく感じる者もいよう。特に貴族令嬢の間では恐怖へつなげる者もいる。
しょうがない、とユリウスは諦めている。
だから現在の婚約者が気味悪がらないだけでも有難い。心からの感謝だった。
プリムラの小さな手が伸びてくる。そっとユリウスの頬にある傷に触れた。
「ユリウスさまの傷跡は魅力なことをわからないなんて、残念な方です。こんなすべすべなお肌にくすぐるような感触は、わたくしにとってはもう……」
王女? とユリウスがつい呼ぶほどの異変が生じていた。
プリムラが上気し出している。なんだか息遣いも荒い。照れとは違う、顔から首筋までの赤さである。
「どうしたんだ、プリムラ!」
心配がすぎて叫んだ。王女ではない、名前で呼んでしまったくらいだ。
はっとプリムラが我に還れば、ユリウスも同様だ。
いつのまにか握ってしまっている。大剣を自在に操る肉厚の手のひらで華奢な白い手を包んでいる。
「もももも申し訳ない、つい、そのついーだ。驚かせてしまった」
初めはびっくり眼をしていたプリムラだ。でもすぐに期待の光りを瞳に宿らせる。
まだ互いの手は握られたままだ。
あたふたするユリウスに、微笑みを浮かべた。ユリウスさま、と呼ぶ。
なななんだろう、と返事するユリウスは未だ落ち着かない。
「わたくしは一生ついていく覚悟でやってまいりました。ですからどうかユリウスさまは心赴くまま、これからを決めてください」
それはユリウスにとって、とても嬉しくなる表明だった。だからこそ訊かずにいられない。
「俺の妻になれば心労かけ通しになるだろう。それに王女であれば、それに相応しい生活もあるだろう」
領地の首長に当たる辺境伯である。継げば、王族出身の者でも苦労させずにすむ。だが騎士は貴族最下級の地位であり、せいぜい小さな屋敷が与えられる程度だ。しかも夫の主な仕事は戦場であり、家を開けることが多い。とても王女として生まれてきた者が過ごす日々に当たるとは思えない。
もしかして貴族最下級とする生活だって送れなくなるかもしれない……。
苦悩するユリウスを見透かしてか。
にっこり笑ってプリムラが告げる。
「王女といっても、第八ですから。わたくし、どんな生活下でもすごせるよう準備して参りました。帝都の屋敷でおわかりになっているはずです」
屋敷の管理から家事全般をこなしていた。配下にある者が、あまりなそつのなさに王女かどうか疑いを持ったくらいだ。
「わたくしはユリウスさまの力になりたくて、ここまで生きて参りました。そばに置いていただけるならば、どこでも構いません。もし木こりへ戻ると言うならば、そこがわたくしの生活する場所です」
どれだけ感激しているか、ユリウスは伝えたい。
けれども闘神とする感覚が反射的に応じてしまう。
「誰だ! そこにいるのはわかっているぞ」
近くに置いた大剣をつかむ。
当然ながら、握った手は離されていた。
愛のささやきより、戦う者の感性に命じられるまま威嚇した。
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翌日、鼻唄でも口ずさみそうなユリウスがいた。
一方プリムラはかける言葉を間違えれば怒りが爆発しそうな顔を作っていた。