4.姫、訪問を受ける(原因の一つが判明)
帝都において、主人を不在とするユリウスの屋敷へ意外な訪問者が訪れていた。
「こんな夜遅く王弟殿下が我が屋敷へいらっしゃるなど、いかがなされましたか」
出迎えたプリムラが玄関広間で慇懃に応対する。
齢三十を越えているとは思えないほど若く見えるウイン皇弟は鷹揚な口振りで答えた。
「いきなり来たが、悪い話しではないぞ。それにしても王女とする身分にありながら、ずいぶん質素な格好をしているな。暮らし向きはそれほど厳しいのか」
プリムラが深緑の給仕服とする出立ちだ。
身分が高い者としては珍しい格好かもしれないが、突然なる訪問の挨拶がてらにして不躾すぎよう。ウインが皇弟とする地位にあればこそ聞き逃される。
プリムラも笑みを絶やさずだ。
「ご連絡いただければ、イブニングドレスにでも着替えておきましたわ。もっともわたくしの婚約者はこの姿が素敵だと仰ってくださいます」
「あやつでは見すぼらしい格好だと識別できないだけだ。なにせ出自は木こりらしいではないか。品位を見分けられないのも致し方ないことだ」
いきなりプリムラは「ツバキ」と口にした。呼ぶではなく、たしなめるとする口調だ。背後で控えるメイド服の侍女から「申し訳ございません」と返ってくる。
エプロンの下へ伸びていたツバキの手は引っ込められた。
ウイン皇弟は引き連れた護衛を過信しているし、そもそも殺気に気づいていない。危機に直面していたなど露にも思っていない。ならば話す内容が改まることはない。
「所詮はエルフのように森で暮らす卑しい庶民の血筋では王女に見合う男などなりきれるはずもない。そなたもそれが分かったのではないか。こんな侍女まがいの生活を強いられていてはな」
笑顔が消えないプリムラだった。たぶんウイン皇弟と交わす会話が終わらない限り笑みは貼り続けられるだろう。
「わたくしは現在の生活を夢のように感じております。皇弟殿下のお気遣いに感謝は致しますが、見当違いであるとはっきり申し上げさせていただきましょう」
「このような狭い屋敷で世話してくれる者もほとんどおらず、自らの手を汚して家の手入れをすることがか」
「はい。ユリウスさまの帰る場所となれるだけで、わたくしは幸せなのです」
答えるプリムラはうっとりさえしている。
不躾な訪問者の口許が歪む。ウイン殿下が底意地悪い顔つきとなった。
「だがその大事な婚約者がそなたの下へ戻れないとなったら、どうする?」
「どういうことでしょうか」
「今、そなたの婚約者であるユリウス・ラスボーン騎士は戦線からの逃亡と我が帝国第二騎兵団に刃を向けたことで、国家反逆罪の疑いで拘束されている。つまり処刑の可能性があるというわけだ」
まぁ、とプリムラが目を見開く。それから肩と顔を落とした。
会心とする表情を隠せないウイン皇弟が続ける。
「帝国に対する叛意であれば、いくら功績のある者とはいえ救済措置は難しい。しかしながら救う手立てがないわけでもない」
「それはどのような……」
相手から顔を窺えないほどプリムラはうつむいている。小さな肩が若干震えているようでもある。
ウイン皇弟は口許をいっそう歪ませた。
「王女よ、余のものとなれ。さすれば謀反も今回に限っては不問とするよう計らおう。それを可能とするだけの力を余は持っている」
「つまりわたくしがウイン皇弟殿下の愛人となれば、ユリウスさまは牢から解放されると?」
「愛人などと、そのような肩身の狭い想いはさせぬよ。きちんと側妃として迎え入れようぞ。悪くない話しだろう、大陸の最大国家であるロマニア帝国皇弟が相手ならば不自由ない生活できるうえ、自慢もできよう」
「誰に自慢を致しますの?」
声は大きくはなかった。が、鋭い。屋敷の玄関広間に居合わせる全員の耳を射抜く響きがあった。
はっとしたようにウイン皇弟は正面を改めて見直す。
王女らしからぬ格好であるプリムラの顔は上がっていた。笑みは象られたものであると、ようやく気づけば、ぞっとせずにはいられない表情に見えてくる。つい従う護衛者の存在を確認せずにいられなくなったほどだ。
初めての疑問がウイン皇弟の内へ過ぎった。ここまでして求めるほどの女性であったか、と。手に入り難いゆえの執着と舞踏会の腹いせで、ここまでやってきた。
生意気な小娘を懲らしめるくらいの気分だった。
だが王女とする身分に踊らされたのはこちらかもしれない。プリムラという女は、ただ可愛いだけの娘ではないかもしれない。
第十三騎兵団の四天と呼ばれる四人が知るところを、皇弟もやっと考えが及んだようだ。
うふふ、と薄ら寒い笑みのプリムラが追撃を放ってくる。
「わたくしとしてはまず騎兵会議の執行を望みます。どのような行動において罪とされたか。つまみびらかにすべきかと申し上げさせていただきます」
「同胞へ刃を向けたのだ。表沙汰にするまでもない」
「結果ではなく原因を明らかにすべきだと申しております。少なくとも公の場において質疑を行うべきです。闘神の名を冠するほど帝国で活躍した騎士を、まさか当人の弁明も一切なしに断罪なさるおつもりですか、大陸最大の国家が。それに?」
それに? とウイン皇弟の声がなぞる。
プリムラが口の端を吊り上げた。決して婚約者には見せない顔で断言する。
「皇帝陛下でもない者の意向で左右できる程度の案件なのでしょう。いずれ我が夫となるユリウス・ラスボーンの拘束は」
決めつけだとする反駁は充分に予想された。
だがウイン皇弟は背を向けた。玄関へ歩いていく。
審議の時間は必要だ、と言い残して。
ドアが閉まれば、程なくして馬車の走りだす音がする。
キキョウ、とツバキが呼べば、ひらり天井から降りてきた。
忍び装束の少女が片膝をついて頭を垂れている。今晩の訪問者は間違いなく馬車に乗ったことを告げ、手の者を残す真似もしていないようだとする旨を報告した。
「まだ油断はなりません。あれでも次期皇帝の最有力候補者です。直参に限らず手練のアサシンまで雇っていてもおかしくありません」
プリムラの瞳に感情の揺らめきがたゆたう。冷静さは失われていないものの、やや腹立たしいとする想いを垣間見せてくる。
「大丈夫じゃないかな。僕も見て廻ったけど、いなかった。いれば殺してやってのに、残念だよ」
不穏で彩る報告をしながら窓から入ってくる者がいた。
尖る耳という、帝都では目立つ身体的特徴を持つベル・デオドールだ。ハーフエルフでありながら帝国第十三騎兵団に所属し、四天の一人で、ユリウスの腹心である。
「どうやら器の小さい男による、つまらない策謀のようです。ただ原因の一つにわたくしにありそうであれば、ユリウスさまになんと謝れば……」
皇弟と対していた際と違いプリムラの言に切れ味がない。
外に会話が漏れぬようにと、ベルは窓をきっちり閉めた。
「姫様は本当にかわいいね。ユリウス団長が夢中になるのもわかるよ」
最も言われて嬉しい言葉に、プリムラの顔は途端に輝く。紅らむ頬に、もじもじしてくる。
「そ、そうでしょうか。女の賢しい真似は男性が嫌うと言います」
「ユリウス団長がそんなふうに考えると思う。むしろ我が騎兵団に兵家として常に据えたい頭脳明晰な自慢の婚約者だって、今回の遠征でも所構わず公言していたよ」
ユリウスさま……、とプリムラは両手を胸の前で組んで呟く。
さて、とベルは裏口がある方向へ目を向けた。
「姫様のおかげで今回の首謀者らしきヤツが見えてきた。これで動けるよ」
「何をなさるつもりですか」
なにやら感じるものがあったのか。プリムラの口調はやや緊張を孕んだ。
直感は正しかった。
にこやかにベルは伝えてくる。
今晩で皆とはお別れだね、と。