3.漢、胡座をかいたままでいる(災難は看守)
うーぉおおー、とユリウスはまた同じ唸り声を上げた。
今回は相手あってであるが、響きは誰ともなしに上げる際のものと変わらない。
「なんともお恥ずかしい限りの内容で申し訳ございません」
新人看守のリースが肩を落としている。
どっしり胡座をかくユリウスが放っておくはずもない。
「恥ずかしいなどと言ってくれるな。こっちこそ無理に聞き出すような真似をして申し訳なかった。そうか相思相愛になったと喜んでばかりはいられないものなのだな」
「はい。こちらが気のない素振りをしていた頃はあれほど熱心だったのに、付き合うとなったら退屈極まりない男でがっかりだそうです。自分はただ恋人に誠実でありたかっただけなのに……」
ぐっと堪えるようなリースの様子が、ユリウスの胸を深く突く。他人事とは思えない。
「リースよ、それは俺も言われた。あと一緒にダンスを踊ると周囲に笑われるのが耐えられないと付け加えられたな。予想していたより、ずっと酷かったらしい」
「しかしユリウス様は騎士としての活躍が期待される方。むしろ遊興にかまうことない姿勢は尊敬されるべきでありませんか」
「だがな、いくら戦いで評判を立てようとも家庭生活においてはなんの役にも立たないからな。武勇なんぞは婚約者になんら寄与するものではない」
はぁー、とユリウスは大きなため息を吐いた。
リースは赴任したばかりの新人看守である。単純な心根から発したユリウスの嘆息なのだが、大陸随一の戦士とする評判が深読みをさせる。きっと自分では理解し難い感情に支配されていると捉える。
「身分に関係なく愛情とは難しいものですね、ユリウス様」
あくまで自分とは違うとしてリースのしみじみもらう。
ユリウスもまた深く感じ入ったまま左胸を押さえる。プリムラから再会した折りにもらったお守りを忍ばせている場所だった。
「俺は今度の婚約者と別れたくないんだ。結婚したいからではなく、恋をしたと言える相手だけにな。だが現在は良い感じだが、これからはどうなるだろうと思うと、過去の婚約破棄された場面が過ぎってな。情けないが不安になって仕方なくなるんだ」
「勇将なればこそ戦場の敵兵より女性の心のほうが怖き存在ですね」
「上手いことを言うな。だがその通りだ。難敵として日々精進するとしよう。リースに相談して良かったぞ」
うんうん、と満足げに首を落とすユリウスは鉄格子の中の人である。
恐れ入ります、と姿勢を正すリースは罪人の番をする看守である。
奇妙な関係性を築かれて、割り込む際は困った口調になってしまうのはうなずけるところだ。
「団長ぉ〜、普通、牢屋で女の話しなんかしますかね」
ふてぶてしいしゃべり方もかわいい顔つきとのギャップで女性人気が高い騎兵だ。ユリウスの腹心とされる一人である。剣戟騎兵長も兼ねていれば、腕は確かだ。
だから呆れた口調の下にかざす剣の速さは目にも止まらない。刃の先は新人看守の顎先にあった。少しでも騒いだら命はないとする態勢が、あっという間に取られていた。
リースは声おろか息さえ失ったかのようだ。
「おい、ヨシツネ。そんな脅すような真似、しないでくれ」
牢内から発せられる頼みに、名を呼ばれた襲撃者は体勢を変えない。剣先はまだ喉元に突きつけられている。
「いやですねぇー、団長。脅す気なんてないですよ」
「ヨシツネのことだ、本気だと言いたいんだろ」
「よくおわかりで」
リースの背中に冷たいものを走らせる返答だった。
「まぁまぁ、そう殺気立つな。リースはいいヤツだぞ。少なくとも俺にとってはな」
「またまたぁ〜、団長だってわかっているくせに。この看守の命なんて取りません。人質ですよ、人質」
リースは驚きが隠せない。排除でなく人質ときた。ここは特別に隔離された牢屋である。夜の看守は一人きりで充分と説明されている。
ヨシツネの名は知っている。第十三騎兵団で四天と呼ばれる腹心の一人だ。口振りは冗談調を常にしても、ふざけて襲撃する人物とは思えない。
もし言うことが真実ならば、自分が騙されていたとなる。
看守を命じた者に、もっと大きく捉えるなら帝国に。
「誰かがここにいると言うのですか」
堪えきれずリースが訊く。
「まぁね。うちの団長を誅殺したい連中の考える罠として、看守は赴任してきたばかりの頼りないやつを当てた可能性もあるんだよなぁ」
ユリウスの担当看守について調べはつけてあるようだ。牢獄に捕らえられているところを助けにきただけあって、本気度が窺える。
ヨシツネは剣を降ろさないまま続けた。
「下手すればアンタはいい捨て駒くらいで任されたんだろう。密かに牢屋の団長を襲撃するなら実績のある看守じゃ面倒だ。もし暗殺に成功すれば、当然アンタは消される。若くて新人ゆえに囚人に言いくるめられ脱獄へ協力しようとしていた者だ、なんてな」
そ、そんな……、とリースのうめくような反駁も尻切れていく。
はっはっは、と高笑いがいきなり牢内に木霊した。
ヨシツネは馴れているが、今晩が初対面のリースはびっくりである。
「ど、どうかなされましたか」
目前の危険も忘れて心配のあまり尋ねる。
気が触れたかと思われても仕方がないユリウスの突如なる高笑いだ。
「いやぁ、すまんすまん。あまりにも脅かしすぎだ、と思ってな。ヨシツネ、安心しろ。どうやらここには他の誰もいないみたいだぞ」
「ど、どうしてそう判断なされるのですか」
言われたヨシツネではなく、リースが応答した。
胡座の姿勢をユリウスは崩さない。
「牢屋にぶちこまれて以来、ずっと耳を澄ましてきたからな。エルフほどでなくても俺はけっこう音が拾えるほうなんだ。こう静かだったら周囲の音は聞き逃さないし、気配だって感じ取れる」
あやふやな感覚に頼るとした理由に、リースとしては心許ない。
ところがヨシツネという侵入者は剣を降ろす。
「そうですか。団長がそう言うなら間違いないですね」
腹心の部下が寄せる全幅の信頼であった。ならば誰もいないとする情報を信じよう。だがこれで身の安全が図れたなどと、さすがにリースも考えない。
切っ先を下げたとはいえ相手は剣の達人だ。リースが敵うはずもない。牢に捕らえられた団長を助けにきた騎兵である。相当な覚悟をもっての行動に違いない。目的を完遂するためならば、邪魔者の排除に、なんのためらいがあろう。
「それでこれからどうなさるおつもりですか」
リースはユリウスとヨシツネ両名のどちらにも質問を投げた。
「おまえ、リースとか言ったよな。いいのか、そんな番の役目を投げ出すようなことを言って」
愉快そうなヨシツネだが、リースには緊張が走る。訊いてきた相手の目は笑っていない。答え方を間違ったら殺られそうな気がしてならない。
守ってくれそうなユリウスは鉄格子で隔たれている。かばいたくてもやって来られない。
ここは腹を決めてリースは答えた。
「我が命を第一とします。自分は実家の税納付不能を理由とした徴収人員です。志を持って任に就いたわけではありません」
言ってから、不安になった。軽蔑ですめばいいが、この程度のヤツとなって斬り捨てられるかもしれない。騎兵は命懸けで戦場を駆け巡る日々を送っている。保身に走った下級官吏ほど腹立たしいものはないのではないか。
返答は感じた不安と見事に逆の内容だった。
「いいんじゃね、それで。むしろ帝国のためとかなんとか言い出したら、オレ、何するかわかったもんじゃなかったぜ。特に今回はな」
愛らしさを宿すヨシツネの顔立ちだけに不敵な笑みは凄みが増す。
剣を首元へ突きつけられていた時より、リースの背筋は冷たくなる。それでも最後の一節が気になってしょうがない。ごくりと唾を飲み込んでから、思い切ったように口を開いた。
「特に今回とは、どういう意味ですか」
「そうか、まだ団長が投獄されたことは表にされていないしな。罪状なんか知るはずないか」
なんだかリースは腹立たしくなった。諦念したようなヨシツネの態度もさることながら、何の疑問も抱かず職務に就いた自分が情けない。今まで何も考えないせいで、実家の不払いで故郷を離れるはめになり、付き合っていた女性と別れた。挙句に一歩間違えれば命まで失っていたとくる。
「教えていただけないのですか。ユリウス様がどのような罪状をもってしてこんな目に遭っているかを」
怯えより怒りが上回っていれば、声は尖り気味だ。
にやり、ヨシツネが笑う。
愉快とする感情に触発されてではないくらい、リースにもわかる。
教えてくる内容は、案の定だった。
「国家反逆罪の嫌疑さ。うちの団長に帝国へ対する謀反の疑いがあるんだと」