55.漢、誤解を解く(謝罪も発生)
理由がわからない。
けれどもユリウスにすれば、人生一大事を一方的に非難されて黙ってはいられない。
「なにを言っている、アーゼクスよ。俺の婚約を喜んでくれないのか。悲しいぞ」
「バカヤロウ、嬉しく思わないわけないだろう。普通の、そう普通の相手であればな」
いちおう陣営を異とする者同士の会話である。
一方は罠にはまり泥沼へ下半身を沈めており、片方は剣や弓で威嚇しつつ取り囲む騎兵の指揮官だ。しかしながら話題は戦場に遠く離れすぎており、友人同士が酒場で激論を交わしているような口振りである。
敵味方関係なくこの場にいる者たちは、取り敢えず口を挟まないとした。
「なぜだ、なんでアーゼクスが不満を覚える。教えろ」
「当たり前だろう。いくら婚約を破棄をされ続けたからといって、まさかのまさかだ。いたいけな少女をたぶらかし、婚姻を結ぼうなど切羽詰まりすぎだ。気高き戦士としていたユリウスが幼女趣味などとは嘆かわしい……悲しい、悲しいぞ」
そう言って右の上腕部を目元に当てるアーゼクスだ。どうやら本当に涙ぐんでいるらしい。
ユリウスは誤解を解く弁明を……しなかった。
「そうか、そう見えるか。実は俺もアーゼクスと同じように年端もいかない少女にしか見えなくてな。一緒の考えで嬉しいぞ」
まさかの共鳴である。
「なんだ、そうなのか。ユリウスが婚約できないあまりに、つい何も知らない幼女を囲いこんだわけではないのだな」
「ああ、幼女を弄ぶ真似などしない。それは断言する。今回は彼女が望んできてくれた話しだ。もちろん彼女の幸せが別の道にあるなら、辛くても婚約破棄は受け入れるつもりだ」
「さすがだ、それこそ我らが人間であるにも関わらず尊敬を覚えるだけの男だ。誤解していてすまなかった。許してくれ、ユリウス」
「わかってくれて、俺は嬉しいぞ」
幸いにも戦闘を通じて生まれた友情にひびは入らなかったようだ。
もっとも肝心な誤解点は放置されたままだ。
「すみませーん、わたくし、もうすぐ十八になります。これでも大人です」
半べそなプリムラの訴えが届いてきて、ようやく問題に気がついたユリウスであった。
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そこでは大陸における真の強者とは誰か? と問うような光景が繰り広げられていた。
大陸で間違いなく一位と二位の強き戦士が同じ相手に膝を屈していた。一緒になって土下座までしている。
最強の誉れ高い剛の二人を従えるようなプリムラだが顔色は冴えない。
「そんなに謝らないでください。わたくしがいけないのです。いつまでも子供のような……そう幼女みたいな身体つきから脱せないわたくしのほうが悪いのです」
他にいる者といえば、第十三騎兵団四天とメイド服に着替えたツバキ、ドラゴ部族からはアスカードとエルクウィンと名乗る龍人の二人の若者である。
本来なら驚愕すべき場面だ。
なにせ人間と亜人が友好を前提とした打ち合わせを行おうとしている。
歴史的な瞬間と捉える者だっていよう。
だが実際は勇名を轟かせる巨漢の男二人による平身平頭から始まっていた。
「そそそそ、そんなことないぞ。王女は素敵だ、ああそうだとも、この世のものとは思えない美しい少女だって思っている、思っているんだ」
頭を上げたユリウスは痛々しいほど懸命だ。
その横で正座しているアーゼクスも汗を飛ばしながらだ。
「なんというか、いつも失礼なことを仕出かして、気をつけろと常々言われているのだが、またやってしまった。すまないが、今回のことはどうか妻にだけは知らせないよう協力して欲しい」
ん? となったユリウスは横を向く。
「猛将アーゼクスがおかしなことを言う。なぜ王女のことが伝わる。帝国の者がドラゴ部族の領土とする場所へ訪れるなど、まずないはずだが」
「そうだ、ユリウスの言う通りだ。あるわけないことを口走ってしまうほど動揺がすぎた話しだ。忘れてくれ」
拗ねそうになっていたプリムラが興味をそそられた。
「なにか奥様だけには知られたくないご様子と窺いますが、思い過ごしでしょうか」
負い目は時に口を軽くする。アーゼクスはあっさり打ち明けた。
「さすが王女に相応しい聡明さだ。そうなのだ、私は妻が恐ろしいのではなく、弱いのだ。そこはわかって欲しい」
あまりに必死すぎて哀れを催すが、充分に真意は伝わってくる。たいていの者は口にしないでおこうと気を遣う。
ユリウスはおとなしく隠せる漢ではない。
「なに! 猛将アーゼクスは妻が怖いのか。あの幼なじみとするロマンス溢れる経緯の末に結ばれた夫婦愛ではないのか」
団長がロマンスなんて口にすると別物に聞こえるよな、とヨシツネが誰ともなし呟く。
四天の残る三人だけではない、龍人側の二人も首を落としている。
一方、プリムラは「幼なじみ!」と喰いついている。背後に控えるツバキも目を輝かす。女性二人はかなり興味をかき立てられているようだ。
思わぬ注目にやや怯むアーゼクスだが、答えは止めない。
「皆、幼なじみという響きに惑わされすぎだ。何もわからない幼い頃に交わした約束を盾に結婚を承諾させられたようなものなんだ。いやそれ自体はこちらも望んだことだから構わない。だがな、あまりに昔から馴れすぎて遠慮が本当にないんだ」
「それは猛将とされるアーゼクスが屈するほどなのか」
「そうだ。なにせ物心ついた頃から知っていれば、弱みはがっちり握られている。他の誰一人知らないことをバラすと脅されたら言うことを聞くしかなくなるんだ。それに秘密を知るだけでなく、オルフェスの拳は重いんだ」
最後に出た名前に、「奥さんの名前?」とベルが龍人同行者へ訊いている。
肯定の返事にユリウスたちは新たな知識を加えた。
「こっちからすれば、ユリウスの立場もそれはそれで羨ましい。よく知らない者同士がこれから互いを知ろうとする。共にあった時間がないせいで不安もあるだろうが、一度そういう恋愛をしてみたかったという想いは確かにある」
ここまでしゃべってからアーゼクスは、はっとしたように振り向く。連れてきた部下の二人に対してだ。絶対に他には、オルフェスの耳に届いてしまう真似は死んでもするな、と強く言っている。釘を刺すというより脅迫めいていた。少なくとも猛将と世間に畏怖される姿はない。
「所謂これが恐妻というものか。勉強になる」
膝をついたままユリウスが胸の前で腕を組んだ。納得による悟りを開いた顔つきをしていた。
妙にプリムラが慌ててだす。
「ユリウスさま。わたくしは怖い奥さんにならないよう努力します」
はっはっは、とユリウスは高笑いした。
「大丈夫だ、王女。別に恐妻だって悪くないものだとアーゼクスを見ているとそう思えるぞ」
部下に口外しないよう脅しつける姿を見て、なぜそのように思えるのか。場に居合わせる誰もがそう考えるなか、恐妻家とする本人が喜色を浮かべた。
「おお、やはり強敵とする者だけあってわかってくれるものだな。そうだ、ユリウスの言う通り恐妻だって悪くはない」
僕はイヤだな、とベルがする呟きに、オレもとヨシツネが追随すれば、龍人の若手二人も同じくとうなずいている。
幸いにも膝を屈している双方の指揮官は気づかない。
「アーゼクスが本音を話してくれたおかげで、ないものねだりは良くないなと教えられたぞ。幼なじみなんて憧れはしたが、俺は王女とのこれからを、それ以上のものにしようと思えた」
熱きユリウスの心情は目前の婚約者へ届いた。
嬉しいです、とプリムラは感激で瞳を潤ませている。
ユリウスよ、とアーゼクスが呼ぶ。
「恥を偲んで打ち明けたかいがあった。だがそれは相手がおまえだったからこそだ。なのに昨日は話しなど聞けるか、と突っぱねたことを許して欲しい」
「許すも何も、誇り高き龍人の猛将が我意を曲げてまで侵攻しなければならなかった事情を察すれば、敬意を表すぞ。俺も王女が飢えで苦しむ様子を見たら同じことをする」
ユリウス、とアーゼクスの呼ぶ声は前と違う。明らかに感動で打ち震えていた。
気にするなとユリウスが手を振る仕草は気取っているようにも映る。
なので第十三騎兵団において副将的立場を担うイザークはとても残念であった。
しばらくユリウスとアーゼクスの掛け合いを見ていたかった。まだまだ聞いていたかった。だが己れの立場上それを許してはいけない。ぐっと堪えて割って入っていく。
「そろそろ本題に入らないか。時間をかけすぎては我らと龍人の会談があまりに友好的と思われても、いろいろ面倒が発生しそうだ」
発言者にすれば本意でなくても、至極真っ当な提案であった。