46.姫、気づいて嬉しいとなる(ずっとではない)
しょうがないわね、とプリムラが暖かなお茶を淹れたカップを渡す。
恐れ入ります、とツバキが恭しく両手で受け取る。ちょうど飲み干したタイミングであった。
払い除けられるように天幕のドアが開く。
忍び装束の三人がそれぞれの表現でツバキを呼びながら入ってくる。
紅一点のキキョウは真っ先に抱きつく。良かった〜、とする声はいつ泣き出してもおかしくない。
ハットリとサイゾウの二人の男子も心配しすぎた反動か。すこぶる健康そうであれば、だいぶ気抜けした様子を見せていた。
「ごめん、心配かけちゃって。メイドばっかりやっているせいか鈍ってたみたいだわ」
ツバキが胸のなかにあるキキョウの頭を撫でながら、男子二人へ向けて謝罪している。
それを受けてサイゾウが「でもさ」と始める。
「初めて戦場に出てわかったよ。騎兵は強いって。翻弄ならできるけど、多人数で陣形を取った相手にニンジャなんか役に立たないと思い知らされた」
「でもユリウスはよくやってくれたって言ってたじゃん」
少々ムキになってハットリが反駁してくる。
はぁー、とサイゾウは嘆息を吐いた。
「それはあくまで居てくれてマシだとする程度だろう。ニンジャの手裏剣なんて龍人にはせいぜい良くてかすり傷を付けられただけだったじゃないか。敵の意識をちょっと逸らせたくらいだよ、出来たことは」
「ツバキ姉さんに言われてユリウスの助勢に向かったけれど、無理だよ」
抱きついていたキキョウも落ち込んだ声を上げてくる。
「なんだかニンジャが廃れたのがわかるよなぁ〜」
がっくりといったサイゾウへ、ハットリが突っかかっていく。
「だったら姫様の護衛を頑張ればいいじゃないか。ユリウスの力にはなれなくてもさ」
「わかってるよ。でもツバキの姉御だけでなく、おまえまで虎から救ってくれたユリウスに俺なりに少し返したかったんだよ。でもぜんぜんで、悔しいんだ」
ぐっとサイゾウ歯を食いしばりうつむく。
周りはかける言葉が出ない。
「はい、お茶どうぞ」
サイゾウへ、いきなり湯気が当たりそうなくらい目の前に翳された。
しどろもどろのサイゾウは、すぐに手は出せない。だが主が自ら淹れてくれたものを受け取らないわけにいかない。ありがとうございます、と返事が終わらないうちにハットリへ、キキョウへカップにも差し出させる。
ニンジャ全員へ行き渡れば、プリムラはにっこりして言った。
「いーい、貴方たち。ユリウスさまはスゴいのです。簡単にあの方の力になれるなんて傲慢も甚だしい考えです。わたくしのバカな心なんかお見通しだし、誰の気持ちもすぐにわかってしまう素敵なお方なのです」
まるで胸を張るような主張であった。
それゆえか、ハットリは無邪気に応じた。
「えー、そうかなー。確かにユリウスはスゴいけど、他人の気持ちに対する読みは甘いよねー」
他のニンジャたちは慌てふためく。いくら親しい間柄でも仕える相手の意見を真っ向からの否定である。その通り、と内心で思っているだけ余計に叱責へ出なければならない。バババカ、とサイゾウは口ごもりながら怒る。迫力がなく、場の雰囲気を預かれそうもない。
もしハットリが続けなければ、どうなっていたかわからない。
「ユリウスがきちんとその気持ちを読める相手は姫様だけだと思うけどなー」
あらっとプリムラが染めた頬へ両手を当てた。ユリウスならば妖精と表現しそうな恥じらう姿を見せる。
「どうしてハットリはそんなふうに思ったの。姫様にも聞かせて欲しいわ」
姫様がちょっと気味悪い、とツバキにキキョウの女性二人は感じる。
男子二人のほうは別段何も気にならなかったようだ。
「だってユリウスって、姫様のこととなると一生懸命じゃん」
「そうだよなぁ。裏切りの傭兵が出て姫様ピンチと聞いたらもう……」
ハットリに続いたサイゾウの匂わせ方が、プリムラに平静をかなぐり捨てさせた。なになに? と鼻息荒く問う。
サイゾウは目前の主など眼中ないかのように目つきを遠くへやる。右手に乗せた熱い心をぐっと握りしめた。
「大陸最強と謳われている龍人の、あのアーゼクスを剣で押し切って吹っ飛ばしていた場面は、何度思い出しても心が震える」
「そうそう。それから『プリムラー』って叫びながら走っていく速さは馬以上だったね。熊やゴリラじゃ、絶対に出来ない芸当だった」
かなり失礼な表現が混じっているもののハットリの声は天真爛漫そのものだ、おかげで聞く方はあまり気にならない。
なによりツバキは卒倒してしまいそうなプリムラへ関心が向く。きゃぁー、と叫んではふらつけば、見舞いに来てもらったほうが心配せずにいられない。
「大丈夫ですか、姫様。興奮しすぎて阿呆になってますよ」
「もう気にしません。わたくしより先にツバキの名前を呼んだり、頭を撫でたり、お姫様抱っこされたことなど些細なことでした」
めちゃくちゃ気にしていたようですね、とツバキは胸にあるキキョウにだけ聞こえる大きさで呟く。
うふふふ、とプリムラがいきなり妖しげに笑いだす。
ツバキにすれば床にあろうとも侍女の立場へ還り放っておけない。
「本当に大丈夫ですか、姫様。実は私よりヒドく頭を打ってません?」
「ぜんぜん打ってません。ユリウスさまが守ってくれたから傷ひとつありません。それよりも……」
「それよりも何ですか。あまりおかしなことを言うようでしたら医者に診てもらいますからね」
言い回しはともかく、よく出来た侍女の気遣いには違いない。
幸いにも嬉しさで満ち溢れた事実を口にする寸前のプリムラは気にしない。いーい! と力強い掛け声をしてからだ。
「ユリウスさまは、わたくしのことを『プリムラ』と呼びます。これからはもう名前だけで呼ぶ女性はツバキだけではありませんから」
なんだかムカつくとツバキは思ったものの、侍女とする立場は弁えている。それはよござんした、と雑ながらも喜んだ。
はぁー、とプリムラがため息を吐いた。
急に一転しては落ち込んだ態度に、やっぱり頭を打ってたかしら、とツバキに懸念が生まれる。確かめずにいられない。
「どうかしましたか、姫様。名前を呼ばれるようになって嬉しいのでしょう」
「そうなのだけど……でも昼間の戦でわたくし、どれだけユリウスさまに迷惑をかけたか思えば、単純に喜んでいる場合じゃなかった。勝手に指揮を取って、暗殺されそうになった挙句、助けに来てくれたせいで……」
姫様……、とツバキが呼びかけるほど、プリムラは肩を落とした。
「ユリウスさまの、無敵と言われていた第十三騎兵団は敗北を喫してしまいました。わたくしのせいですよね、これは。婚約者として失格です」
すっかり重くなった空気だ。
が、闖入者によって振り払われた。実に良いタイミングだった。
「ツバキ、調子はどうだ。あと王女に、お願いがあってきた」
狭い天幕内を圧する偉丈夫が入ってきた。ユリウスが溌剌としての登場だ。だが顔つきが、すぐに不審で彩られていく。原因をもたらした者へ目を向けた。
「王女、どうかしたのか。なんだか難しい顔になっているように思えるぞ」
むむむ、とプリムラは小さく唸ってから答える。
呼び方が前に戻ってます、と。