34.漢、妹たちに謝る(うるさいと叱られる)
雨は上がりつつあった。
三日三晩に渡って降りしきり、地はぬかるんだ。突撃する側にとっては足が取られかねない負の要素だ。戦いへ突入となれば泥濘にまみれるだろう。赤で染色もされるはずだ。添える血は帝国か、王国というより元第十三騎兵団のものか。どちらの流す量が多いかで勝敗は決するだろう。
「では行ってくるぞ、俺の婚約……いや、俺のプリムラよ。これから俺たち二人にとって危険なウインを討つ。だから待っていてくれ」
ベッドの脇に膝で立つユリウスは両手で包む。名を呼んだ相手の華奢な白い手のひらをしっかりと。
プリムラは一度も意識を返していない。白い肌は青さを通り越して透けているようでさえある。今にも存在が消え入ってしまいそうだ。実際に何度も危篤へ陥った。そのたびにユリウスは手を取った。強く、けれど優しく握っては話しかける。俺はプリムラと一緒にいたいんだ、爺さん婆さんになるまで。
ずっとユリウスはプリムラの傍にいた。
そろそろ晴れそうだ、とイザークが伝えに来てようやく膝を上げた。握った右手を離す間際に左手で左胸を押さえた。
「しばらく離れるが、貰ったこれがある限り、プリムラはいつも俺のそばにいると感じられる。ありがたいぞ」
では行ってくる、とユリウスは寝台に横たわるプリムラへ背を向けた。決意を漲らせた顔はもう振り返らない。
代わりというわけではないだろうが、イザークと共に部屋を出たところであった。
妹たちを見ることになる。
真っ先にこの中で年齢は一番上の第二王女が顎を突き出して言う。
「感謝しなさいよね、闘神ユリウス。本当ならプリムラお姉様なんかにあげたくなかったけれど、あんたのためにやってあげたのよ」
ローズお姉様ったら、と隣りに立つ第三王女のミーシャがたしなめる。この場に居合わせる三人の他の妹たちは含み笑いをしていた。
妹たちの態度からイザークは勘づいた。ずいぶん情熱的だな、と呟く。
当人と言えば、はっはっは! と笑う。
「そうか、そんなに姉が好きか。幸せ者だな、俺のプリムラは」
ユリウスが、どこをどう取ればそういう結論になるとした、いつも通りの反応をしていた。ここ三日間を顧みれば、やっと普段の様子を見せた。
きぃーとなったローズはとても王女らしくなく地団駄を踏んだ。
「なによ、なによ。その余裕ぶり、いいオトコぶっちゃってさ。憎らしいから、絶対に帰ってきて何かお礼しなさいよね。血をあげた私たちに感謝するなら、するのよ」
ローズお姉様ったら、とミーシャが同じ台詞をニュアンスを変えて投げている。
おぅ、とユリウスは力強く右腕を伸ばした。
「俺はプリムラの妹たちに借りを返せるよう頑張らなければならん、というわけか。最後まで忘れないでおくぞ」
それからもう一度、はっはっはっと笑い、頭を下げた。すまん、と述べ、それから僚友を誘って出ていった。
ドアの向こうへ、戦場へ向かう男たちが消えていく。
へなへなとローズが崩れ落ちた。膝を内に曲げ足を横へ流す、いわゆる女の子座りをする。
栗毛のミーシャは髪と同様の色をした瞳を曇らせる。ユリウスは気前のいい返事はしてくれなかった。謝罪なんて聞きたくなかった。すぐ上の姉が一番上の姉の婚約者であろうともけっこう憧れていたみたいであれば、悲しくなって当然だ。
すぐにミーシャは自分が勘違いしていたことを知る。
「もう、なによ。素敵、素敵すぎるわ。ねーねー、見た。あの逞しい腕! プリムラお姉様はあの腕に抱かれているなんて、羨ましすぎるわ〜」
うっとりとしてローズが熱く語ってくる。
ミーシャは滅多にしない額へ手を当てる仕草を取った。
「ローズお姉様が腰砕けになった理由は、そこ!」
「他になにがあるのよ。あんなカッコいい男、他にいる。貴女たちだってわかるでしょう」
妹たちからすれば予想だにしなかった同意を求める声だった。取り敢えずミーシャが代表して返した。
「ローズお姉様の独特な好みはいちおう理解しました」
「なに言ってんのよ。普通でしょ。闘神ユリウスは格好良すぎるわ。んもう、素敵しか出てこないわ」
物凄い断言ぶりに、妹たちは一斉に引いた。ユリウスは熊かゴリラかとする感じだから、愛嬌ならわかる。美形とする感性は受け入れられない。ここは間接的な態度をもって否定をすることにした。
ミーシャは額に当てた手を頬へ持っていく。ぽっと赤らんで告白する。
「私としては、イザーク様が素敵か、と。すらり伸びるような長身に鋭さが輪郭にまで及んでいるようではありませんか。今にも切られそうな危ない雰囲気がたまりません」
すると他の妹たちも次々に自分の好みを表明する。ヨシツネのかわいい顔が、と始まり、ベルの顔も可愛らしさで負けない、と続く。最後の一人は、毛深いのが好き、と奥深い趣味まで披露してくる。
すくっとローズは立ち上がるなり、妹たち全員へ指差す。
「貴女たち、大丈夫。美に対する審美眼がそこまで酷いと、姉としてはいささか心配になります」
真面目な口振りだけに、お姉様こそ! と妹たちは寸分違わずのタイミングで反論を挙げた。
「静かにしなさい」
と、看護師のエルナに叱咤されて大人しくなった。
そろそろ体力をつけるための食事へ行こうかとする雰囲気が生まれた。一旦ここから離れる前に、王女たちは覗きに行く。まだ生死の境に立つプリムラと、血を与え続けるリュド王を見る。妹たちの繋がりは父だけだ。母はそれぞれ別だ。王族ゆえ当然と思いながらも、やはり複雑な心境を抱いてきた。
父が真実に愛した女性はガーベラ王妃だけ。それ以外は王位継承者としての男児を求めて生み落とされた。けれども妻のためならば娘の境遇など顧みなかった父が、今は助かって欲しいと願う姿に偽りはない。
わたしたちはこの人から生まれた。胸を張って言える献身的な姿だった。
「死んだら許さないわよ、プリムラお姉様」
ローズが第二王女ではなく、遠慮のない妹として見守っていた。
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ユリウスは外に出てイザークと二人きりなれば、しみじみと言う。
「俺のプリムラはやはり素晴らしい。妹のローズと言ったか、姉の真似をしているところは微笑ましい限りだぞ」
批評対象が耳にしたら怒り出しそうな誤解をしている。
ただしイザークの返答は「ああ、そうだな」であった。無理に正す必要を認めなかったか、それとも本当に賛同したか。どちらにしろ、向かう目線は東の空だ。
もうすぐ夜が明ける。
命を賭けた戦いが始まろうとしていた。




