33.漢の、僚友は伝える(例の彼女へ)
おまえなど生まれてこなければ良かったのだ!
おまえが生まれたばかりにコーデリアは死を選んだし、私は誰と知らない男の影を見続けるはめへなっている。まるで地獄だ、おまえがいるばかりに。
「物心がつくくらいから、父が毎日のように言ってきたものだ。どうやら母の自死は私が原因だったらしい」
イザークがあまりに普段通りの口調で話すから、グレイは理解までしばしを要した。いつ先まで感情によって支配されていたから、思考が追いつかない。
「……あのさ、イザークはお母さんを覚えているの?」
やっとおずおず切り出してみたものの、口にした途端に後悔した。なんてバカなことを訊いてんだ、とグレイは胸の内で自分を罵っていた。
なぜかイザークは微笑みを湛えてくる。
「キミは……グレイは私が思った通りの女性だ。優しさで溢れている」
「な、なんでそんな話しになるんだよ。普通、気になるだろ」
いったい何に感心されているのか、グレイからすれば本気で不明だ。
「憎悪の目くらいしか憶えていない。幸いにも貴族に属す家系だったから、すぐ寄宿学校へ預けられた。おかげで深刻な問題はそれ以上起こらず済んだ」
イザークのあまりに淡々とした話しぶりが、グレイをカッとさせた。どうして腹が立つのか、それはわからない。ちょっぴりあった冷静さが吐き散らかしそうになった怒声を自制する。代わりに考えてしまう。
寄宿も長期休暇には実家へ帰るものだ。エルフでもそれくらいは知っている。今の話しでは、とても迎えがあったと考えられない。きっと初等教育の段階から家を出ているようなものだったろう。
独り中庭に佇む幼い少年の姿が、グレイの頭に浮かぶ。
学友の全てが両親に迎えられて去っていく。ぽつんと一人だけ残された少年は何を思うだろう、何を考えるだろう。どんな対策を講じただろう、自分の気持ちに。
思うに、悲しいと感じる気持ちを別の感情へ置き換えたのではないか。イザークはきっと少年の頃から賢い。きっと上手に自分をコントロールしてきたのだろう。
だけど、だけど……それじゃ……。
「聞いてくれてありがとう、グレイ。これはユリウスにさえしていない話しだ。キミだけが知る、生まれてはいけなかったイザーク・シュミテットの話しだ」
「どうして、ボクなんかにそんな大事な話しをするんだよ」
怒りか悲しみか、もうグレイの感情はぐちゃぐちゃだ。
対するイザークは、わずかな揺らぎもなく静かに返してきた。
「キミは私なんかの話しをずっと涙を溜めて聞いてくれた。不思議だが、もう人生に悔いがないくらいな満足を覚えている」
指摘されるまでグレイは気づけなかった。自分が感情の昂りを抑えきれていなかったことを。ちっくしょ、と目許を拭えば、イザークの顔と正面からかち合った。嘘でも、気持ち悪い、と返せたら。そんな表情をしていた。
とても言葉なんか出てこないから、相手に意見を許してしまった。
「つまらない身の上話しだが、この世に一人くらいは憶えていて欲しいと思えた相手がいた。それで私は人生をもう充分だと考えられている。だからグレイ、キミは生き残ってくれないか」
ここでやっとグレイは気づいた。どうして二人きりとされたか。最初は大虎を怖れられて、と思っていた。でも真実は説得するためだった。イザークは端から戦場へ連れて行かない気でいたのだ。
あーあ、とグレイは山中で夜空を仰ぐ。
もう何回目だろう。乗せる大虎アムールは良くしたもので、主人が星へ目がけて嘆くたびに足を止める。ぐずぐずしたい気持ちを読んだかのように、グレイが前を向くまで進まない。
「どうしてボクはいつもこう、言うことを聞いてばかりなんだろう」
騙されやすい自覚はある。結局は相手の意見を呑んでしまうからだ。わかっているけれど、そう易々と自分を変えられるものではない。自身の欠点ほど直すのに苦労するものはない。
イザークとの会話を思い返せば、せめてだ。最初のほうで回答を得るべきだった。
ユリウスたちが討ち取る相手は帝国侵攻兵団の総指揮官ウイン皇弟だけでいいのか。戦乙女を名乗り兵の心酔を集めている新しい女性指揮官システィアまで斃さなくていいのか。
グレイの意見にイザークは指摘の正しさを認めながら具体的な返答はしなかった。
たぶん意を異としたからではない。ウインとシスティアの両者を討たなければいけない。プリムラの件を踏まえれば、間違いなく両者の首を狙う。
けれどもユリウスの騎兵は帝国に比べ、著しく兵数が劣る。それでも展開によっては二手に分かれるしかなくなるだろう。まずウイン皇弟を狙って突撃する。乱戦となり、戦況が無秩序になる。敵の陣形に生まれた隙間を突いて戦乙女のシスティアへ目がけ突進する。
ユリウスはこれまでの経緯からウイン皇帝へ向かうに違いない。システィアにはイザークが行く……。
はっとグレイは閃くまま前を向く。今頃になって気づいた。
きっとイザークは戦乙女へ討ちいくうえで、ほとんど兵を伴わないだろう。ただでさえ兵数が足りないところへ、ユリウスの無念を優先する。プリムラを生死の境へ追い込んだ大元はウイン皇弟だ。討たせてやりたいと考えて、自身には戦力を割かない。
イザークはそういう人だ。もはや勝敗は関係ない。友の想いを叶えてやりたい、自分の命を引き換えにしてでも、と。
「だからボクは絶対に連れていかないというわけか……」
やっぱり、とグレイは振り返る。自分もまた心に従うと決めた。
まだ雨雲が上空を覆う場所へ帰ろう。
もう少し早く決めていたら、またがる大虎アムールの足を来た道へ戻していたかもしれない。
近寄ってくる足音を耳が拾ったから、まず警戒した。誰かがこちらへ向かってきている。
どうやら四つ足が立てられる音で、響きから自分が乗る大虎同様のものと推量する。
当たりだった。
大虎が走ってくる。またがるは耳の尖った女性で髪は夜闇の中でも光るかのような金色だ。美しいとされるエルフの中でも特に容姿端麗かつスタイル抜群とされる部族長の孫娘だった。
「えー、どうしてグレイがこんな所にいるの」
シルフィーに驚かれるが、グレイにすればこっちこそである。しかも自分の大虎ベンガルをすっかり手懐けていた。少し前までは悲鳴を挙げていたくせに、今や自分のものとして使役している。ちょっと面白くない。
「王様用の抜け穴があるみたいで、そこを通してもらった。だからこんな早くここにいられるんだよ」
グレイはつっけんどんで返したが、シルフィーは気にも留めない。早く会えて良かったとし、それどころじゃないのよとした口調で事情を伝えてくる。
確かに只事ではなかった。




