26.姫は漢と友の真心を知る(悲しみゆえの伝説が作られる)
天国か、と思った。
どうやらあの世へ来たみたいだ。とても気持ちいい。懐かしい香りに包まれた気分である。
思わぬ裏切りに遭い、戦場の骸となった。
最期は愛しい人のそばで有りたかった。
でもどちらにしろ、あの人は死を賭して敵陣の真っ只中へ突撃していく。
このままでは今わの際に寄り添えない。
そもそも死んで欲しくない。
一緒に過ごした日々が募れば募るほど、想いは大きくなっていく。
もう先に逝かれたら、生きていけないほどに。
だから、これでいい。
死の門出に付き添えないなら、自分のほうが先に……。
「うおおぉおおおー、どけー!」
ユリウスさまの声が聞こえる……。
プリムラのまぶたは上がった。すみれ色の瞳は力なくても、映し出す背中は大きい。ああ、と歓喜がこぼれる。嬉しい、あの人のそばにいる、あの人に抱きついたまま死ねる。
……ユリウスさま、と安らぎを覚えるまま呼んだ。
「プリムラっ! あと少しだぞ。大丈夫だ、絶対に大丈夫だ。だから頑張るんだ、頑張ってくれっ!」
初めて耳にする響きだった。まるで滂沱と涙を流していそうだった。懸命に頼み込んでもいた。死なないでくれ、と。
穏やかだったプリムラの心中が、がらり変わった。たちまちにして曇り、今にも涙の粒が落ちそうだ。自分があの人を悲しませようとしている。それはもう決まったことだ。ならば出来ることは一つだ。
……ツバキ、と呼ぶ。掠れた弱い声だったと思うが、即答できた。
「はい、姫様。ここに、ここにツバキはいます。だから頑張ってください」
懸命に冷静を取り繕っている。けれど取り乱しているくらい聴き取れる。プリムラは口許に笑みが浮かんだくらいである。やっぱり一番の友だ。ツバキがいれば安心だ。
「……あとはお願いね。どうかユリウスさまを支えて生きて……」
「イヤですよっ!」
思いもかけない返事に、プリムラは背中に顔を押し付けたまま横を向く。
目が合うなりだ。
「私は姫様がいてこそのユリウス様ですからね。もし、もしもの場合はユリウス様に近づきもしません。だって姫様を思い出してばかりなるでしょ。ツバキ、そんなのイヤです」
まったく、とプリムラは嘆息を吐きたくなる。侍女とする言葉遣いをすっかりかなぐり捨てている。まるで出会った当初みたいな話し方だ。そのくせ初めて涙いっぱいの顔を見せてきた。これでは強く出られない。
「……困った娘ね」
言葉と裏腹にプリムラは満足以外の何物でもない微笑が浮かぶ。
そうだぞ! と前方からも届けられてきた。
きっとユリウスの大剣に敵は為す術がないのだろう。苦鳴とも悲鳴ともつかない断末魔が聞こえてくる。
もしプリムラが周囲へ顔を向けられたら忘れられない力を目にしただろう。
後に『伝説』とされる怖しいほどの力を。
鉄塊とされるユリウスの大剣が、名刀に匹敵する斬れ味を発揮していた。前方で立ち塞がる帝国兵を複数にいっぺんだ。首ではない、胴体を刎ねていく。上半身と下半身で分かれた屍を量産していく。
忖度なしのユリウスが振るう大剣が、いかに凄まじいか。無意識下で働いていた手心が取り払われたら、どれほどの威力があるか。怒りに染まったら手に負えない破壊力を、不幸にも居合わせた帝国兵はその身を以て教えられていた。
もはや闘神とする呼び名は生易しい、前に立っただけで命を喰らう怪物だった。
バケモノ! であった。
この世のものと思えない凄惨さは、けれどもイザークを始め仲間うちは痛いほど了解していた。
底なしの悲しみからきている。
誰より深い情の持ち主だから、悲憤もこの上なく激しい。
「俺はプリムラでなければ、ダメだ。プリムラ以外と結婚なんかしないぞ。ああ、そうだ、そうだとも。プリムラでなければ俺は一生、誰とも結婚しないぞ。プリムラがいなければ家庭は持てないぞ。だから頑張ってくれ、プリムラ!」
右手で大剣を振りながらユリウスが叫ぶ。魂とする想いを瀕死の相手へ届けていく。
受け取ったプリムラの瞳がじんわり濡れた。
ひと時でもユリウスの想いを捉え損ねた自分に後悔が過ぎた。
最初の婚約者のシスティアが言った。ユリウスは真実の意味で人を愛さない、ただ幼少期の心傷で家庭を築きたがっているだけだ。子供を作って、自分が父親という位置に収まれればいいだけの男だ。
対して、プリムラは反駁した。ユリウスが抱えている心の闇くらい知っている。それを承知でずっと共にありたい。愛されないならば、愛せばいい。ただそれだけのことだ。
システィアをやり込めるだけの返しが出来たつもりだった。
けれどもユリウスの背で理解した。
自分は間違っていた。この人が愛さないなんてことはない。あまりに広く多くが対象なため、ぼやけてしまうだけだ。血縁や友人だけでなく、出会う皆に、時には命を取りにきた敵さえも、全てへ情を向ける。
婚約者には殊さら愛をそそいでくれる。
不器用だけれでも目一杯な愛情を与えてくれる、そんな人だ。
「……わたくしは……やっぱりお母様の娘ね……」
他人の好意がわからないところが凄く嫌だった。ああはなりたくないと思った。絶対に母親なんかと似ないつもりだった、だったのにどうやら同じ欠点を持っていたらしい。引き継いでしまっていたらしい。
どけー! とユリウスの咆哮が聞こえる。本当に一生懸命とする姿が見えてくる。
やたら身体が重くなってきた。プリムラは意識が途切れる寸前に呟いた。
「……ごめんなさい」
はらり黄金の髪は額へ落ち、一粒の涙が白い頬を伝う。
ぽつり、ぽつり、目を閉じたプリムラの顔に落ちてきた。
天は彼女の意を汲んだかのように、地を濡らす空模様へ変えていく。
やがてプリムラが描いた涙の跡を消すかのように降りは激しさを増した。




