21.漢の、婚約者と侍女(誓約してますから)
えっ、とシスティアは瞠目する。衣服を汚す血飛沫は自分のものではない。
剣を持つプリムラからだった。今まさにトドメの手が動かされようとした。ぐっと息が潰れたみたいな声に目を向ければ、腹を貫いた剣先がある。背後から刺されていた。
かはっとプリムラの口から血が吐かれた。剣が抜かれれば、前のめりに倒れていく。
代わるように現れた人物は兜の面頬を上げていた。覗く顔は利発そうで黒髪が額へかかっている。右手に持つ剣が滴らせる赤はプリムラの血だろう。空いている左手がシスティアへ差し出されてきた。
「さぁ、ヴァルキュリア。お立ちください。そして勝鬨を上げるのです。王国騎兵団の指揮を取っていた王女を討ったのです」
「で、でも……」
「ヴァルキュリアの戦いぶりが兵に勇気を与えたのです。貴方の奮戦がプリムラ王女を討たせたのです。さぁ、皆に知らせてください。帝国兵は王国兵を打ち破ったのだ、と」
手を取って立ち上がればシスティアに微笑みが戻った。戦乙女の威光を再びとした。そうね、その通りです、と応じてもいた。それから肝心とすべき点を問い質す。ところであなたは? とプリムラを背後から刺した人物の正体を明かすよう求めた。
「ローエンと申します。ウイン皇弟閣下の命を受けて、これまで敵中におりました」
よく果たしました、とシスティアは労い、そして朗々と宣言を響かせる。勝鬨を上げなさい、王国騎兵団の指揮官プリムラ王女を討ち果たしました。さぁ、勝利の声を上げるのです!
エイエイオー! と帝国の騎兵並び傭兵が叫ぶ。
一帯に勝敗の決着を告げる。
喜びの声を押し退けて、胸をかきむしるような叫びがした。
うわわわぁわわー、と若い騎兵が突っ込んでくる。感情に支配されすぎて、周囲は全く見えないまま走っている。無謀な突進は目立ち、行く手に次々と帝国兵が現れた。多勢でも怯まず剣を振るう。が、向かってくる敵の剣は多く、ある一刀が下から甲冑の隙間へ入ってくる。咄嗟に身を捻ったおかげでかすり傷ですむ。難を逃れたかわり、兜が派手に宙を舞う。
外へさらされた青年の髪は茶色で鼻が曲がっていた。純朴そうな顔立ちは怒りと悔しさでぐしゃぐしゃになっている。流す涙はまるで血で染まっているかのようだ。
「なぜ、なぜだ、ローエン! なんでこんなひどいことをしたんだ」
ふっとローエンは、おまえだから答えてやろう、とする顔で口を開く。
「自分は有利なほうへ付く。ただそれだけさ。今回は勝つほうに、と言い換えていいかもしれない」
「それが本当の理由なのか。僕の知っているローエンは頭が良くて義を重んじて、それに前だって、王女様を助けたじゃないか。なのに、なのに……」
「あんな所でリデルに王女暗殺の手柄を取られたら、たまらないからな。しかもあいつは己の性癖を満たすためなんて、くだらない。つまらなすぎる動機の相手に一生遊んで暮らせる報酬を奪われるわけにはいかないだろ」
「結局、お金に目が眩んだんじゃないか。リデルならわかってくれたかもしれなかったのに……殺さなくたって」
ローエンが額にかかる前髪を左手で流す。これだからと言わんばかりの口調で言う。
「リデルのあれが治るわけないだろ。むしろ他の犠牲者が出る前に処分できたと感謝してもらいたいくらいだ。それに金目当てとミケルは非難するが、自分たちがなんで徴兵されたか、考えてみろ」
ミケルは酒を中心とした小売業の実家を手伝っていた。年々重くなる税金の額に対し、ついに払いきれなくなって徴兵となった。ローエンは学才高く上級学府を目指していたが、家が貧窮のため進学を断念し徴用に応じた。二人は帝国騎兵団時代にお互いの身上を打ち明けている。相手の事情をよくわかっている仲だった。
わかっていても、受け入れられないことはある。
「でもローエンだってお金だけで動いたらダメなことがあるくらい、わかってるだろ。ユリウス様と王女様の二人がどれだけ仲良しだったか。それを、そんなの、そんな……優しかったローエンはどこへ行ったんだよ!」
涙いっぱいでミケルは剣を振り続ける。多くの帝国兵に阻まれようとも、なお前へ進もうとしている。胸ぐらをつかんで問い質すまでは、とする気概で満ちていた。
怜悧な態度をローエンは崩さない。ただし言い返しもしない。ミケルにしてみれば珍しい無反応だった。
友人の冠はかつてとなった二人へ、システィアが割って入った。敵兵に属するほうの青年へ、嘲笑うように投げつける。
「諦めなさい。王国の指揮官は亡くなったのです。王国騎兵は敗北を……」
途中で切ったのは、気づいたからである。
ぴくり、地面に伏せたプリムラの手が動く。ユリウスさま……、と呼んでいる。
トドメを、とシスティアが近くの帝国騎兵に命令した。三人がプリムラを囲む。剣先を下に向け、突き立てようとしていた。
「ひめさまぁあああー」
絶叫と共に帝国兵の囲いを飛び越えた。黒い忍び装束の女が着地すると同時に、プリムラの近くに立つ帝国騎兵の三名は首筋を斬り裂かれていた。
あっという間に倒したツバキは膝を折る。「姫様」と懸命に連呼した。
見事な襲撃だったが、すでにシスティアは頭の片隅に忍びの存在を置いていた。プリムラへ姿を見せずに付き従う者がいると察していたから対応は難しない。
システィアは命令の内容を変えた。
「王国騎兵団の指揮官プリムラ王女から距離を取りなさい。それから弓兵は前へ、標的を取り囲むように展開しなさい。従者共々、抹殺しなさい」
帝国兵は素早かった。
剣や長槍の部隊は外からの侵入を阻止する役割りへ向かう。ミケルら王国騎兵を近づけさせない。
弓兵は矢が充分に届く距離をもって取り囲む。
中心はプリムラと傍でひざまずくツバキだった。
生命にかかわる危機が刻々と迫っていたが、ツバキのは目に入らないかのようだ。自分の晒しを外しては応急用の薬も取り出す。止まらなくても、血止めを施す。我が身の危険など顧みず、治療に集中した。
ツバキ……、と呼ぶ声がすれば、はい! とツバキは彼女を知る者ならば信じられない涙声で返した。
「……わたくしは、もう……だからツバキ……逃げて……」
「そんなこと、出来ませんよ。あの夜に約束したんですから」
ぽっかり、白い月がまんまるで浮かんでいる。王国の片隅にある屋敷で母親にうんざりしていたプリムラを屋根へ誘う。そこで、しょうがないですね、とツバキは月夜の下で約束した。困り顔は内心の照れを隠すためだ。ニンジャに生まれながら、まるで少女みたいな友情の誓いを立てるなんて、立ててしまうなんて本当にどうかしている。
でもどんなに笑われても、一生を懸けた神聖な誓いだった。
困った子ね……、とプリムラの小さな声が届けば、ツバキは不思議にも笑みが浮かぶ。仕方がないことですわ、と侍女の口調で返した。
撃ちなさい、とシスティアの命令が聞こえる。
引き絞られた弦が一斉に鳴る。放たれた矢が空気を裂いて、宙にて弧を描く。鏃が標的へ向かって飛んでいく。
姫様、とツバキは地へ伏すプリムラに覆い被さった。
間もなくして、矢が肉を抉る嫌な音が立った。




