20.漢の、婚約者とだったの激突・下編(姫は強く友人もいたが……)
幸いにも周囲に帝国兵はいなかった。
もしいたならば、戦乙女の畏敬へ曇りをもたらしたかもしれない。システィアの叫びは単なるヒステリックだった。聞く者によっては、よくある男女の揉めごとを想像させた。
何が良かったのよっ! の声を合図にしたかのように、交錯していた剣は派手な音を立てて弾かれた。両者は離れ、睨み合うくらいの間が開く。
押し込んでいたプリムラとしては残念な結果だ。にも関わらず、心からの微笑みに黄金の髪が輝くようだ。圧倒的な存在感がどちらにあるか、自明である。だからこそ、戦乙女とされるシスティアは形など気にせず噛みつかずにいられない。
「いい加減にしなさいよ。王女のくせに適当なこと言って。自分より先の婚約者に嫉妬して、みっともない」
だって、とプリムラは笑みをいっそう広げる。
「つまりユリウス様に愛されていなかったというわけですよね、システィア様は」
最後で、とても丁寧に名前を呼ぶ。皮肉かもしれないし、本気で相手を思い遣ってかもしれない。どちらにしろ、呼ばれた者は平静でいられない。
「そうよ。あいつは誰でも愛すみたいな顔しているけれど、女なんて願望を叶えるだけの道具でしかないのよ。それに私は気づいたの。それを王女に教えてやっているのに、ちっとも分かってないみたいじゃない」
「わかってます、ええ、とてもわかってます。十年前に出会った時点で承知しています」
十年前に起きたハナナ王国の内乱で、王を逃すため囮となったプリムラは追手に捕らえられた。王妃を残して王女以下は処刑されそうなところへ、ユリウスが飛び込んできた。傭兵百人を相手に大剣を振るった。
「ユリウスさまは一方的な殺戮を見過ごせないお方です。縁やゆかりなんか関係なしです。わたくしを救ってくださった時だって、傭兵になぶり殺しにされるところを見たくない、ただそれだけで戦いを挑んだようです」
「あいつ恋人がいようが関係なしで死地へ向かいそうよね。ホント、いつ死んでもおかしくない」
「誰関係なくユリウスさまは行くでしょう。あの方は命を賭けて助けたいとする相手に境がありません。愛情を広くそそげる方なのです」
「それは婚約した女も等しくってことよね。冗談じゃないわよ。愛しているなら、特別としなさいよ」
ふつふつシスティアは怒りが甦っているようだ。鬼の形相は戦乙女の体裁を保つものだ。祭り上げた帝国上層部にすれば問題ない。あるとしたら、憤怒で彩られた本人である。かつて自身と同じ境遇にある婚約者の女が、ちっともうろたえないだけではない。それこそ花開く表情で返してくる。
「ずいぶんじゃない、王女。最初の婚約者が実は愛されていなかったと知って、そんなに嬉しいの。言っておくけれど、他人事じゃないのよ」
へらへら笑っているんじゃないわよ、とシスティアが付け加えそうになる前だ。
黄金の髪を左右へ軽く揺らしてはプリムラが真っ直ぐ目を向けてくる。生まれながらの威厳というものがあるならば、今システィアは目にしている。思わず相手に呑まれていた。システィア様、と呼ばれれば、「はい」と素直に答えていた。
「わたくしは愛されていないくらい充分に承知しております。あの方にとってようやくずっと共にいると誓った婚約者、家族を作る夢を叶えられるためだけの相手でしかないくらい、全て了解しております」
ならなんで……、と返すシスティアはもはや戦乙女ではない。
かつてと現在の婚約者による言い争いだった。互いの感情を巡っての戦いだった。
そして決着は現在の婚約者がもたらす。
「ユリウスさまが愛をそそげないならば、わたくしがそそぎます。ただ傍に置いていただければ、わたくしが愛をそそぎます。ユリウスさまはわたくしの一方的な愛を受け止めればいいのです」
ぽかんっとしそうになったシスティアだが、ここは戦場だ。顔をしかめてはダダ引きしてしまう。
「王女、あなたって……重いわ、重すぎるわ。なに、その相手なんか関係ないって感じ。一途というより不審な女にしか見えないわよ」
うふふ、とプリムラが笑う。システィアに周囲の目を忘れるほどの戦慄を走らせる。
「これがわたくしの愛ですから。ユリウスさまが望むまま、ユリウスさまにとっての理想の女、ユリウスさまが好きにできる女です。そうなりたいわたくしなのです」
プリムラは微笑んでいた。すみれ色の瞳でシスティアを捉える。じっと見つめ離さない。
「わたくしの命そのものとするユリウスさまです。それを奪おうとする貴女は排除させていただきます。例えそれがあの方に嫌われるようなことになっても」
刀身がシスティアの顔面に迫っていた。慌てて手にしていた剣で応じる。なんとか防げたものの、プリムラの素早さは驚嘆に値する。素養もあるだろうが、気持ちの部分もあるだろう。
気持ちで負けを認めれば、身体の動きにも連動するようだ。
あっ、とシスティアは上げた。剣を弾き飛ばされてしまった。からんっと離れた場所で落下音を立てていた。急いで拾おうと向かいかけた首筋へ刃が差し出された。間一髪で気づいて良かった。足を停めなければ、喉は裂かれていただろう。
けれど窮地は続いている。
ヴァルキュリアっ! とある帝国騎兵が叫んで向かってくる。命が助かるかどうかは彼の活躍いかんにかかっていた。しかし、さっと間に割り込む者がいた。忍び装束の格好とわかった時には、その帝国騎兵が地面へ倒れていっていた。
「ここは私に任せて。姫様は本懐を遂げてください」
「ありがとう、ツバキ」
絆を感じさせる会話がまたシスティアの劣等感を刺激する。
ユリウスの現婚約者は王女として他者を平伏させるだけでなく、親しい人物までいる。命懸けも厭わない仲間がいる。較べて私のほうは戦乙女というイメージを信じた一般兵しかいない。
何もかも敵わない。
巣食う絶望は刃の冷たい感触が首筋に当たった時点で頂点へ達する。
「申し訳ありませんが、ユリウスさまのため、強いてはわたくしのために、そのお命ちょうだい致します」
本当のところシスティアは命乞いをしたかった。けれども声が出ない。恐怖のあまり舌がもつれる。言葉にならないから、喉は裂かれるはずだった。
システィアは顔に血を浴びた。
だが覚悟を決めた自分のものではなかった。
勝利目前としたプリムラの血飛沫だった。




