1.漢、久方ぶりの再会で選択を迫られる(危機的状況です)
夜陰に女性の悲鳴が響き渡った。
誰よりも早く反応した者は大剣を背負う巨漢だった。天幕から出てくる姿勢は四つん這いで、しかも素早い。まさに熊かゴリラかといった獣である。
立ち上がって、ようやくに人だったと認識できた。
もっとも配下であり口の悪い仲間でもある人物ならば、人間やめてますねぇ〜、と言いそうだ。
常人とかけ離れた身体能力を発揮して駆けつける者は、ユリウス・ラスボーン。婚約破棄を立て続けに三回されるという奇特な経歴を持つ漢である。
「どうした、レオナっ!」
翼人の幼馴染みを呼ぶと同時に、暗がりなかで認めた男の姿へ正体を追求する。
「おまえは……そう、そうだとも、バザールのところにいたヤツだ。覚えているぞ」
憶えているとは言い難く、また間違っている箇所もあれば、答える男は複雑さを覗かせた。
「いったい何を言っている、闘神ユリウス。バザールとは、なんだ」
「わからないのか、困ったものだ。かつていた暗殺団の長の名を忘れるとは呆れ果てるばかりだぞ」
「言っておくがバザールなど聞いたこともない。ルゥナーが我らに内緒で使用していた変名ならば納得もいくが」
一旦の間が置かれた後だ。
ぽんっとユリウスが手を打つ。そうだそうだとばかりに答えた。
「その通りだ。その通りだとも、ゼノン……で合っているよな」
弱気が強く滲む確認だったが、「そうだ」と正解が確認された途端だ。
はっはっは! 高笑いのユリウスが胸をそらす。
「わかっていたぞ、最初からゼノンだと。思い出せて本当に良かったぞ」
ごまかす気満々であったようだが、痛恨の失敗を仕出かしていた。ただユリウス本人が気づいていない。だから悪びれるどころか、堂々としていた。
事態が明らかになるまでは。
ばっと複数の篝火が灯った。
明るくゼノンを照らし出す。鋼のように鍛えられた壮年男性が片膝を落として屈んでいた。右手に握った刃物を人質の鼻先へ当てていた。
凶器を向けられた対象は地面に伏したレオナだった。ゼノンに首筋を押さえつけられ動けない。
ユリウスが心配せずにいられない点もあった。
「おいっ、レオナの背中から、羽根から血が流れているぞ。ゼノンよ、どういうことだ」
「どういうこともなにも、使命を果たすまでのこと。さぁ、闘神よ、こちらの要求を呑んでもらおう」
「なんだ、なにが望みだ」
「ハナナ王国第八王女プリムラを連れてこい」
「連れてきたら、どうするつもりだ」
「依頼を果たす。プリムラ王女暗殺の件を」
ハナナ王国の騎兵服を着用した暗殺者の口許は歪む。狂気に通じた愉悦を感じさせる形だ。
なぜだ! とユリウスは吼えた。怒りは、しかし悲哀も混ぜ込まれていた。
「なぜ、プリムラの命をそこまで付け狙う。今さら暗殺を果たして何がある。カナン……グネルスの皇王なら、とっくに暗殺を取り下げているだろ」
「これは暗殺者として矜持の問題だ。ずっとアサシンとして積んできた実績は、プリムラ王女暗殺の依頼を受けてから台無しになった。古くから共にあった者たちも失った。一人生き残ったからといって、おめおめ引き下がるわけにはいかないんだよ」
「ならば、俺を殺せ。ゼノンの目的をことごとく潰してきたのは、この俺だ。プリムラやレオナは関係ないぞ」
ばっとユリウスは両腕を広げる。その刃物を持って飛び込んでこい、と体勢で訴える。
くくく、とゼノンが嫌な響きを放つ。闇の中で生きてきた笑いをぶつけてくる。
「愛しき者を失う辛さはさぞかし身に沁みるだろう。しかもようやく得た婚約者が亡き者となったら、どれほど苦しむか。楽しみでしょうがない」
キサマ……、とユリウスがわなわな震えている。今にも飛びかかりそうだ。
笑いが止まらないといったゼノンは刃先を見せつけるようにレオナへ近づける。
「婚約者も大事だが、幼馴染みも大事だろう。闘神ユリウスとは、そういう男だ。その甘さを利用させてもらおう。おっと、近くにいるお仲間四人も下手な動きはしないほうがいい。おまえたちの大将は翼の生えた亜人でもいなくなれば、相当悲しむみたいだからな」
ゼノンに存在を知られていたようだ。篝火の外側で広がる暗がりに潜めば、一人くらいは感知できないものと踏んでいた。やはり手練に長けた優秀な暗殺者である。
うぐぐ、とユリウスが唸ったところで、レオナの声がした。
「ユリウス、あたしはいいから……婚約者を守ってやれ」
苦しい息の下から必死に絞り出してくる。黙れ、とゼノンの制止を吹き飛ばす大声が発せられた。
「バカヤロウ。レオナだっていちおう婚約者だぞ。いや婚約者どうこうでなくて、俺にとって大事なヤツなんだよ。プリムラとどっちだなんて……そんな簡単じゃないぞ」
……ユリウス、と呼ぶレオナの顔は微笑で埋まっていく。もう悔いはないとする穏やかさで包まれていく。
「さっさと、プリムラ王女を連れてこい」
ゼノンが堪忍袋の緒が切れたとして要求してきた。
一瞬でいい、隙が欲しい。それこそユリウスは穴が開くほど注視する。けれども一流の暗殺者だけあって付け込めない。
「まったく貴方は酷い方です。ユリウス様に命の選択を迫るなど、以ての外です。許せません」
突然に割り込んできた声が誰のものか。ここにいる者ならば、耳にしただけで判別がつく。
姿を現せば、疑いようもない。
黄金の髪を抱く愛くるしい顔立ち。すみれ色の瞳は春の陽射しを想起させる。紛れもない美少女だが、単なるで終わらない気品を備える。動きやすい平服が着用した人物の気高さに染められて高貴な装いへ変貌したかのように映る。まさに生まれながらの王女であった。
「来たか、プリムラ王女」
待望のお出ましにゼノンの口から舌なめずりするような声がもれた。
そして、それが彼にとって最後の言葉となった。




