60.漢、やはり闘神とするー第5部・了ー
ユリウスに走る全身の震えは渾身の力ゆえだ。
表情は苦悶で歪み、大剣を持つ手も小刻みに揺れている。懸命な様子が外からでも窺える。
剣先には、両手を組み祈る仕草のシスティアがいた。
ここは戦場であり、命のやり取りを行う場だ。逡巡は命取りになりかねない。わかっている、充分にわかっている。
が、振り下ろされた大剣はくすんだ金の髪をかすめた地点で止まった。
頭を打ち砕く寸前で硬直し、鉄塊のごとき刀身は震えるばかりだ。
ユリウスは歯軋りを鳴らすも、腕が進められない。
目的へ到達するための障害を排除できない。
静止した時間が流れていく。
帝国側からすれば充分な時間稼ぎとなった。
総指揮官ウインを守護する兵の数はかなりになりつつある。
それでもユリウスはまだシスティアへ大剣を差し向けたまま動けない。
帝国兵がぞくぞく本隊へ戻っている。
もはやウイン皇弟を討つことは困難になっていた。
勢力を取り戻したところで、帝国兵の一人が叫ぶ。
「やはりシスティア様は『戦乙女』だった。その証拠に闘神の大剣を御威光によってお止めしているぞ」
実際はユリウスの手心なのだが、勝手な解釈をしていた。
神秘的な力によって大剣の難から逃れている。まさに奇跡の力が闘神の大剣を止めている。
彼女は神の使いとする認識がみるみる帝国兵へ伝搬していく。
システィアのカリスマ性が強固な形成を取り始めた。
システィア様を、戦乙女を守れ! 帝国兵の中から、ある若い声が鼓舞する。
騎兵傭兵問わず闘神を前に腰が引けていた帝国兵は活気づいた。ユリウスへ、向かっていく。我らの戦乙女を守るために。
勇壮な面持ちで進む帝国兵に秩序はない。暴徒と遜色ない突進ぶりだ。狂信的な怖ろしささえ感じさせる。
標的のユリウスといえば、呆然としていた。
討てなかった自身の行動が信じられない。いつの間にか、目前のシスティアがいなくなっている。天命を受けた守護の徒となった兵へ代わっている。我らの戦乙女を守り、叛逆の騎士を討つぞ! と叫びながら熱狂的な突進をしてくる。
……俺は、とユリウスは呟く。誰に聞かせるでもない、独り言だ。自分の世界に入ってしまっている。今までになくまずい有り様をさらしている。
あまりの強さに近寄れなかった闘神が隙だらけときている。高揚した気分をさらにあおる様子に帝国兵は勢いづく。ここが好機とばかり我先に向かっていく。ほんの前なら考えられない猪突猛進ぶりで襲いかかっていく。
前と左右の三方向から、馬上のユリウスへ、歩兵の刀や槍が一斉に突き出された。
「ユリウス、姫様が危ないの!」
騒がしい戦場の合間を縫って、少女の訴えが名を呼んだ者の耳へ届く。
かっと漢の目が見開かれた。
うおおおぉおおー! 大剣の動きに合わせるような雄叫びが一帯を圧す。
目にも止まらぬ一閃が弧を描く。
ようやく帝国兵は誰を相手にしていたか、思い出した。
ユリウス・ラスボーン、彼は闘神だった。
周囲の群がっていた襲撃の帝国兵は一人残らずだ。
斬り裂かれた無惨な肉塊へ堕ちていた。
呆けていたなど嘘のように、剛然と大剣を片手に騎乗している。苛烈とする目つきで辺りを睥睨す。なんとか大剣の刃先から逃れた一回り外へいた帝国兵を睨みつける。
まさしく蛇に睨まれた蛙の状況が生まれていた。ひっと悲鳴を上げたり、身体が硬直するまま動けなくなったり、尻餅までつく者もいる。
すっかり戦意が失せた帝国兵へ凄みを効かせたままユリウスは訊く。
「キキョウ、プリムラが危ないのか」
馬に跨るユリウスの背に忍び装束の少女がぴたり寄り添っていた。珍しくやや青ざめたキキョウが囁く。
「ハナナ王国内に帝国兵が侵入したの」
衝撃の事実にユリウスの返答は、ただ一言だけだ。
「いくぞ」
婚約者が、プリムラがいる王国へ戻るための苦しい道程が始まろうとしていた。




