48.姫、向かう!2(過去について考えます)
ゼノンの腰は一度引きかけた。
闘神だけに留まらず、その周囲の者たちもバケモノ沁みている。
|四天《してんと名高い四人は揃って強者である。
厄介なことに侍女もまた尋常でない。
それが見せる狂気が凶器につながる目つきに、思わずゼノンの足は外へ向く。
これまで積み上げてきた暗殺者としての矜持がかろうじて踏み止まらせた。
こんな小娘に、と自らに言い聞かせ奮い立たせる。
「負け惜しみは止せ。所詮は裏家業に徹することが出来ず後悔しているだけだろ」
「まったくですわ。私など単なる下女として打ち捨ててくれればいいのに……」
十年前、王弟の叛乱で王女の影武者として落命するはずだった。いくら王妃が信憑性を持たさせるため本物の王女を連れていくとしても、強く訴えれば当初の計画通りとなったはずだ。
なのにまだ七歳の王女が手を取って言う。貴方は生きてください、わたくしどもの争いに巻き込まれる必要はありません。
現在になっても自分のことなのに、どうしてかわからない。ともかく一緒に、共に行くとした。死へ向かうに等しいと承知しながら、最後までそばにいることを選択した。
それ以後はニンジャの修行や活動以外の時間は同じとした。他国へ輿入れとなっても随行できるよう侍女としての作法を身に付けた。
あーあ、とツバキは苦笑としていい声がもれてしまう。
どうしてこうも欲深くなってしまったのだろう。
生まれてこの方、ただ主のために捨てる命だとしてきた。仕える相手を見つけられたと思っていた。
「姫様はどうして忍び風情に対等とする態度をお取りなるのでしょうか。それは私だけ……なんて思ってしまったからシルフィー様と仲がいい……」
つい出てきたようなツバキの独り言が不意に途切れた。
相対すゼノンは、それを隙だと捉えた。まともにやり合っては不利だろうから、一気に詰めて喉をかき切るつもりだった。
不意に身体中のそこらから激痛が走ってくる。
鈍く光る手裏剣が刺さっていた。
いつの間にか自分が血を流す側になっていた。
「あらあら、油断はいけませんわ。暗躍する者が卑怯な手ぐらい打つなど、ご了承いただけますわよね」
悪い笑みのツバキがゆっくり短剣を片手に近づいてくる。
この女……、とゼノンは吐き捨てる。
小娘などと評したせいか、独り勝手な感慨へ耽っていると考えてしまった。こちらこそ誘い水に乗らされていた。隙を生んだのは、こちらであった。
「でも咄嗟に身体をずらして致命傷を避けるなど、ゼノン様はひとかどのアサシンでありますわね。ならば敬意と急ぎ姫様を追いかけたくあれば、さっさと、ではなくて一突きをもって楽に逝かせてあげますわ」
邪悪そのもののツバキが短剣を振り上げる。
ゼノンの膝は崩れ落ちていない。だがそれは動けないだけだ。なれば刃の餌食から逃れるには口先しかない。
「ま、待て。おまえもこちら側の人間なのだろう。ならば手を組もう。王族や貴族といった身分の連中が我々ような裏の人間といつまでも一緒にあるなどと、本気で考えているわけではあるまい」
わずかな期待をかけた苦し紛れである。ところが口にしたほうが驚くくらい効果を上げる。
「そ……そんな当たり前のことを私ったら……」
がらり変わるツバキの雰囲気に、ゼノンは助かったでは終わらない。
これは好機と見た。
しかも空気を鳴らして矢が四方から飛んでくる。
狙いはメイド服の忍びとする女であった。
間一髪のところで、ツバキは避ける。
けれども矢が止むことはない。
ゼノンを仕留めるどころか、形勢は逆転していた。
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樹々の間を馬が疾駆していく。
騎乗する者の黄金の髪がなびく。まさしく風を切っていく。
プリムラは荷台を外して乗馬を選んだ。こちらのほうが絶対に早い。
「ごめんね、必ずお礼はするから」
申し訳ないとしながら、馬へ鞭を当てる。
焦りすぎを自覚しながらも急かす手が止められない。
もっと、もっと早く! 声にせず叫び続ける。
もっと馬を上手に乗りこなせていたら、速度が上げられたのではないか。
プリムラは可憐な唇を噛み締めれば、ふと耳によぎった。
叱咤とも愚痴ともつかぬ母の耳障りな声だった。
王族たる身分の、しかも女性が乗馬したがるなど下劣だと決めつけられる。
もし品位が本物であれば、木こり風情のオトコなど綺麗さっぱり忘れられるはずだ。
どうしてこうも王女と呼べない不出来な育ち方をしたのか。
こんな娘を産んだばかりに自分の人生は狂った。
ふふっとプリムラは必死に馬を操りながらも口許に笑みが揺蕩う。
大人しく言うことを聞かないのが不満なようだ。
いや、違う。
母の言う通り王族の息女に相応しい生活に勤しんでいたらいたで、ねちねち文句を言っていただろう。
才女などとおだてられるような女ほど男に嫌われるものはない。見た目や評判ばかり気にかける者など王族に相応しくない。
結局は娘のすること為すこと、その考え方に至る全てが気に入らないようだった。
娘の存在を否定するような母親が……きつかった。
ユリウスに対する思慕とこっそり会いに来てくれるツバキがいなかったら、どうなっていただろう。
しっかりプリムラは手綱を握り直した。
失うわけにいかない。
もっと上手くなどと嘆くより、乗馬を学んでおいて良かった。ユリウスが馬を駆って敵陣奥深くへ突入した逸話を聞いて憧れた。ツバキがこっそり協力してくれなければ馬術は体得していなかった。
今はこっそり学んでいただけで充分として、全力を尽くそう。
気持ちが前を向いた瞬間だった。
突如、馬がいななく。足をもつれさせ、つんのめっていく。
あっとプリムラが叫んだ時点で、すでに手綱を握っていない。
宙へ、身体ごと放り出されていた。