29.漢と姫の森の晩餐2(なかなかなお方なのですよ)
わからない、それがグレイの答えだった。
「ユリウスが素敵なくらい、ボクだってわかる。だけど周りが言うような恋愛感情と決めつけられたら困るよ」
そしてプリムラから渡された瓶を、ぐいっとあおる。
寝そべる大虎に背を預けたプリムラも両足を投げ出した。そうですか、と一緒になって瓶へ口をつけた。
シルフィー姉さんが作る果実酒はうまいなー、とグレイは瓶を地面に置けば横を向く。今になって気づいたとする調子で、まだ瓶の先を口に含んでいるプリムラへ訊く。
「王女様なのに、そういう飲み方、するんだ」
口を離したプリムラは瓶を顔の前へ持っていく。
「しますよ。久しぶりではありますけど」
「見た感じだと、ぜんぜんそんなことしなさそうだけど」
「そうですね、一時期とても気をつけていましたから。王女として品位を失うような真似をするのは、あんな木こり風情なんかに入れ揚げているせいだ、なんて言われたくなくて」
「誰に?」
「母に。それはもうネチネチ繰り返されましたよ」
相変わらずプリムラは微笑している。
けれどグレイの瞳には笑顔で映らない。でもそれを口にするのは憚られた。なぜと問われたら困るが、自分ごときが触れてはいけないような気がする。
翼人レオナからささやかれた言葉に自信を失くしていた面も否定できない。
どれだけ騙されてきてんだ、少しは全体的に物を見て考えろ。おまえのせいでユリウスにどれだけ迷惑をかけているか、頭を使えよ。
大虎から引き摺り落としたグレイへ告げる声はやや怒気も孕んでいた。
「プリムラ王女にもかなり迷惑をかけたはずなんだけど。なんとも思わないの?」
以前にグレイは宮中の舞踏会を大虎で襲撃した。参加していたプリムラの暗殺も目的の一つとしていた。今はこうして肩を並べて語り合っている。奇跡みたいだ。
しみじみと想いを馳せていたグレイだから驚きもひとしおだった。
なぜかプリムラが顔を紅潮させてくる。鼻息も荒く上げてくる。
「思うわけありませんっ。わたくしを守るために、もぉおおお、ユリウスさまの格好いい、もう一度言いますけど、ユリウスさまのカッコいいところ見られて大興奮でしたもん」
そばにツバキがいたら頭を小突かれていただろう。
ははは、とグレイは乾いた笑いですませていた。やはり普通の王女様じゃないと思う次第である。
途中でプリムラは自らの失態に気づく。手遅れでも自制をかける。う、うん、と喉の調子をわざとらしく整える。
「わたくしの暗殺はカナンの依頼ですよね?」
「うん。誰かのものになるなんて許せない。そうなる前にいっそ、て言われたな」
「けれどもそれは序でで、あの舞踏会に参加した貴族のなかにはエルフへ暴行を働いた者がかなりいたそうですね」
「そこまで調べがついているんだ。さすがだね」
「イザーク様が後から教えてくださいました」
はぁー、とグレイは大きく息を吐いて仰ぐ。星空を眺めながら語ってくる。
「復讐のつもりだった。ちょうどグネルスの新皇王と思惑も一致したしね。でも一歩間違えれば、帝国にエルフ侵攻の機会を与えただけになっていたかもしれない。ボクは誰かのために何かした気になっていたけど、もっと酷い事態を招いていたかもしれなかったんだ」
「情勢の判断は難しいものです。一概に間違いだったとは決めつけられません」
「でもやっぱり浅はかだったと思うんだ、ボクの行動は」
はぁー、と今度のグレイは下を向いて嘆息する。
そういえば、とプリムラがかけきた。
グレイは上げた顔を横へ向ければ、すみれ色の瞳は何やら悪戯っぽい光りを湛えている。ちょっと警戒心を抱きたくなる、プリムラの含みある顔つきだ。
「宮中における虎の襲撃でもう一つ、とても重要で大事な事柄を確認できたことに、グレイ様へ感謝を述べたいです」
「なにそれ?」
「四天と噂される方々が信用に値する人物だと確信させてもらえたからです。それは一人だけの行動からではありましたけれども」
「それって、まさか……」
「はい。衛士が逃げ出すなか、大虎の前へ立ちはだかってくれました。自分の指揮官とする前に友人の大切な婚約者を守るためと素手で向かっていきました」
それが誰か、具体名を述べられなくてもグレイは察しがつく。
「勇敢な方には違いありません。ちょっと誤解を生むところはありますけど」
ここでグレイは初めてそっぽを向く。
くすくす、プリムラも笑っているようだから、尚さら顔を戻せない。
今は自分の表情に自信がない。少なくとも、誰かに見られていいように思えない。
だから「プリムラ王女」と質問するにも反対側を向いたままだ。
「あいつの槍って、そんなに凄いの」
翼人レオナの耳元のささやきにイザークの情報があった。おまえより槍の兄ちゃんのほうがぜんぜん強くて役立つよ。
間近で何度か見ましたけど、とプリムラは前置きした。
「繰り出す早さと突くポイントの正確さにおいて、イザーク様に比肩する槍使いは、少なくとも大陸にはいないと思われます」
「もし大虎に襲われたら?」
「目や喉といった急所を確実に突き潰すのではないでしょうか」
「つまりあいつは槍を持ったら、ボクなんかよりずっと強いのか」
ふふふ、と聞こえてきた笑みが、グレイには無性に気になってしょうがない。やっと顔をプリムラへ戻した。
「プリムラ王女。何か考えついたことがあるなら、教えてよ」
「はい、では申し上げさせていただければ、イザーク様なら大虎に勝つでしょう。けれどもグレイ様が乗っていたら、勝敗は断じられなくなると思われます」
ああ、もう! とグレイは頭をかきむしりだす。
何に悩んでいるか、プリムラは想像がつくから微笑むまま静かに待つ。
「あいつ、イザークって言ったっけ。今度はちゃんと話しを聞いてやるよ。不本意だけど」
それがいいですね、とプリムラは嬉しそうに返した。ではまた落ち着いた頃合いを見て……、と言っている最中に気づく。
こちらへ猛然と駆け寄ってくる人物がいる。
選りによって機会を見計らってとしていた人物であった。




