21.漢は滝壺で語らう⑥(姫は桃色吐息)
プリムラー! とユリウスの絶叫がこだました。
「しっかりしろ、しっかりしてくれ。俺の、俺のせいで、こんな……」
苦しい息のなかにあってもプリムラは懸命に呼びかけへ応える。
「……ユ……ユリウスさま……わたくしなら……へ、へいきじゃ……ステキすぎて……もう……ダメ……」
しっかりしろ! とユリウスはさらに強く抱きしめる。
素肌の胸筋へプリムラの顔はいっそう押しつけられる。湯気を立てていそうな状態なところへ、また一段と全身の火力を上げられた。
わたくし……幸せすぎて……もう、ダメ……、と真っ赤な顔のプリムラは気を失う寸前だ。
再び婚約者の名を呼ぶユリウスは、また抱く腕に力を込める。もうプリムラは保たない。きゅぅ〜とおかしな息の音を吐いては、ぐったり逞しい胸のなかで涎を垂らして腑抜けていく。
プリムラー、とユリウスの呼び声は亡くなった者に対する悲痛さで満ちていた。
黒づくめの暗殺者の一人はそんな二人を目前で見せられている。
馬鹿バカしい、なんともくだらないと投げつけたくなる。
だが、出来るはずもない。
丸腰なまま尻もちをつく。
すでに仲間はいない。
生き残った者は自分一人だ。
しかも茶番を映す目の先に、大剣の切っ先が存在する。
ユリウスという騎士は女にかまけているようで、敵に対し抜かりがない。
それに何よりも、だ。
「本当にそこの女はハナナ王国第八王女、プリムラ・カヴィルなのか」
おかげで『バカップル』と化していた二人が我に返ったようである。
ただユリウスの返事は一筋縄でいかない。
「バカヤロウ、俺は王女だろうがなんだろうが、どっちでもいいんだ。今ここにいるプリムラであれば、どうだっていい」
残念ながら暗殺者は解答を得られない。まだ真実をはぐらかされるならともかく、ど天然で間違いないためたちが悪い。これ以上を訊いても無駄に思える。
真偽かどうか判断材料は、疑惑とする当人がもたらしてきた。
「なぜ、貴方はそう考えるのですか」
プリムラに尋ねられた暗殺者は覆面から覗く目を向ける。視線がカチ合えば、ぞくりと背中に震えが走る。瞳はすみれ色なのに、深淵へ引きずり込むように暗い。無意識のうちにしゃべってしまう。
「王女ならば、屍が連ねる戦闘を目の当たりにするなど、耐えられないはずだ。なのに斬り裂かれていく様子を前に愉しそうではないか。とても深窓育ちとする高貴な身分には思えない」
一気に捲し立て、少し冷静になったところで暗殺者に後悔が過ぎる。否定の強弁は自ら死刑執行を促しているようなものではないか。間違っていれば不遜だし、正解であったら決して生かしておかないだろう。もう、覚悟するしかない。
なるほど! と、いきなりだった。
なにやらユリウスがひどく感心してくる。おまえ、いいことを言うな、と褒めてくる。もしかして婚約したことがあるのか、と謎の付け加えもしてくる。
おかげで暗殺者は絶体絶命にも関わらず、声を荒げてしまう。
「婚約などするか。それよりも、何をいいとする。わけがわからない」
なぜかユリウスが不服そうだ。熊かゴリラかとする風態に似合わない、唇を突き出す仕草を取ってくる。
「おまえ、なんだかカナンに似てきたな。いくらアサシンでも、良くないぞ、それは。フラれて逆ギレほど、みっともないものはないぞ」
暗殺者にすれば何を諭されているのか、さっぱりわからない。具体的に質問をしなければならないようだ。
「なにが、こっちが言ったことに、なるほど! となる」
「なんだ、わからないのか。でもまぁ、言った本人がわからないなんてことは、よくあることだな。それはわかるぞ」
「わかるのは構わないが、なにが成る程か、いい加減に教えないか」
立場を忘れて暗殺者は苛つく。おお、すまん、と謝られるから、思わず「本当に頼むぞ」と人がいい返事をしてしまう。
ユリウスは左腕のプリムラを抱え直した。
「確かにおまえの言う通りだ。王女じゃなくてプリムラと呼ぶように心がけていたせいか、高貴として育ってきた点を失念していた。それを気づかせてくれて、俺は感謝しかない」
「そうか。それで?」
「つまりだ。プリムラは王女なのに、俺は怒りで敵をぶった斬ってしまった。本来なら淑女の手前、大抵の戦場であるようにぶっ倒すくらいですますべきだった。血飛沫を上げるような戦い方をしないよう、せめて心がけるべきだった」
それに暗殺者よりもプリムラが反応を示した。
「ユリウスさまのお気持ち、とても嬉しく思います。けれどもそのようなお気遣いは他の令嬢ならともかく、わたくしには無用です。初めての出会いが出会いです、どんな惨状にあってもユリウスさまと共にあるならば、へっちゃらです」
意識してか、舌を出すような言い回しでくる。
ユリウスが感激しないわけがない。
「俺は王女じゃないプリムラという女性と婚約できたことを、これ以上にない幸運だったと改めて思うぞ。ありがとう、こんな戦うしか能のない男でも良しとしてくれて」
わたくしこそ、とプリムラは逞しい胸筋へ顔を埋める。
王女じゃなくてプリムラ……、とユリウスは抱く腕に力を込めた。
暗殺者にすれば、今度は呆れず、ただただ慄いていた。
ユリウスのさりげない一節が反芻している。
大抵の戦場ではぶっ倒すまでにしていた?
まさか敵兵を思いやりながら戦うなんてあるとでも言うのか?
大言壮語とするには今さっきの戦いぶりがまぶたに浮かぶ。
襲撃メンバーは決して弱くはなかった。各所で暗殺をこなしてきた実績のある者たちだ。なのに相手へ一太刀も浴びせられないどころか、一方的に首を刎ねられていく。目にも止まらぬ俊敏な動きと剣さばきであった。
まさしく闘神そのものだ。
暗殺者は覚悟を決めた。完全に敵わないと悟れば、むしろ肝が据わる。最後ならば捨て台詞を残すことにする。
「確かにユリウス・ラスボーンは強いかもしれない。だが我々はもう一つの、いやこちらこそ主とする目的は果たせた」
思惑通り、ユリウスだけでなくプリムラの意識も向けさせることに成功した。