9.漢の渡航③(怖がらせています)
グネルス皇国の襲撃を退け、船が待つ河へ降りていく道すがらだ。
ニンジャの少女キキョウが大虎に近づいていく。並んで歩きながら。またがるグレイを見上げて質問をした。
「この虎は人を食べたりするんですか」
忍びとする活躍を知る者ならば、何も知らない子供を装って探りを入れていると思う。大虎と共に行くならば確認しなければいけない点だ。本来の役目はユリウスだが、どう考えても訊きそうにない。男性勢はすっかり腰が引けている。虎を恐れないイザークは使役する肝心のグレイから悪寒を催されている。キキョウは度胸もあるし、買って出るしかない立場を自覚していた。
大虎に乗るグレイは意図を読んだのだろう。質問者を見降ろすではなく、周囲に聞こえるよう真っ直ぐ向きながら声を張り上げる。
「もし人間の味を覚えるようだったら、ボクが責任持って始末する。これは決めていることだ」
これを信じれば、グレイの下にある限り人喰いはない。ならば言いつけを忠実に守れる大虎は猛獣とはいえ頭がいいと考えられる。生存のための嗅覚が鋭いとも言えるか。
そう考えれば大虎が見せた行動にも納得がいく。
「さぁ、タイガ。俺の胸へ飛び込んでこい。頭をなでてやるぞ」
大剣を背中の鞘へ収めたユリウスが両腕を広げている。可愛いペットのようなものだとする意見の裏付けを行おうとしたらしい。
ビクッと大虎が震えているのは、誰の目にも明らかだった。来い、タイガ! そうユリウスに促されても先方の猛獣は動かない。
疑問を抱くより行動の人、それがユリウスだった。どうした、と自ら向かっていく。猛然とした突進に見えなくもない。
ようやく大虎は駆けだした。ただし両腕を広げて向かってくる人物とは反対方向へ。完全に逃げている。
「だんちょ〜、虎のヤツ、怯えているじゃないですかぁ〜」
組んだ両手を頭に載せたヨシツネに、ユリウスは動揺も露わに叫んだ。
「バカな。俺は女性に嫌われても子供と小動物には好かれるタイプなんだ。なのにタイガが逃げてゆくなんて……これでは婚約破棄されるだけの単なる木偶の棒ではないか」
あれが小動物ですかぁ〜、と口にしているヨシツネの脇腹をちょんちょんと突く者がいる。ハットリだった。意外そうに尋ねてくる。
「ユリウスって子供と動物には好かれるタイプなんだ」
「そんなわけないわな。確かに好かれるほうだけど、たまにうちの団長って見た目があれだろ。それに思い込みの性格だしな。泣かれて逃げられるなんて、よくあるわな」
まさにユリウスが大虎を追いかけ回していれば、疑う余地はない。
「そうだよね。ユリウスって、お仲間だった大虎を次々斬り倒しているんだから、怖がられて普通だよ」
「せめて大剣を置いてくならともかく、背中にしょったまま行くしな。そりゃー虎もビビるわな」
意気投合している二人に、グレイが近寄ってきた。
「ちょっと手伝ってくれるかな。そろそろ追加の船が来そうだから、いい加減、押さえないと」
「えー、ムリだよー。虎を押さえるなんて」
両掌を振ってハットリが拒否してくる。
「そっちに任せるのはユリウスのほうだよ」
なら、とハットリはなる。
一緒にに止めるべく歩きだしたヨシツネは、ふと思い出したようにグレイへ訊く。
「ところであの虎は三月兎亭で飼っているのと同じ名前だったんだな」
「なに、それ?」
「行きつけの酒場の猫も『タイガ』なんだよ」
はぁー、となぜかグレイは嘆息を吐いてくる。
当然ながらヨシツネは、どうした? と尋ねる。
「名前、タイガじゃなくてアムールなんだけど……」
ははは、とヨシツネはもはや乾いた笑いしか起こらない。
ユリウスはまだ大虎を追いかけ回している。なぜだー、婚約破棄を三回されたからかー、と叫んでいる。でも今の俺には素敵な婚約者がいるのわかっているだろ、と呼びかけてもいる。
たかが船に乗るまでで、この騒ぎである。
前途は大変としか思えない。
しかも船を降りたところで新たな問題が、さっそくだった。