49.漢、宰相の心を知る(姫は震え上がらせる)
先代皇王イシスはかなり病んでいたらしい。
最晩年は日を重ねるごとに猜疑心が強まっていく状態だった。隣接する三公国にエルフや魚人が住まう国まで軋轢を生んでいく。国内においては周囲に置く官吏の粛清が酷く、意見する者はいなくなっていたらしい。横暴な施策がまかり通り、順調に伸びていた国力もはっきり陰りが見えていた。
「簒奪という形ではありましたが、それは皇民の大半が望んでいたこと。そして新しき皇王は確かな手腕をもって短期間のうちにグルネスをあるべき姿へ戻してくださいました」
グルネス皇国現宰相ジヌ・ラプラスは静かな口調の中にも熱さを感じさせる。
不作法で鳴らすユリウスだが、川縁に付けた手漕き船まで見送りにきてくれた相手である。相応の礼儀を心掛けた。
「宰相のお気持ちは了解だ。俺たちだって皇都の繁栄ぶりを見たら、いかにカナンがよくやっているか、わかる」
口上としてはあまり褒められたものではないが、肝心な点は踏まえている。
微笑んだラプラス宰相はプリムラへ向く。それから深々と頭を下げた。
「特にプリムラ・カヴィル王女へかけたご迷惑は、どれほどお詫びしてもしたりません」
「宰相もお立場として苦しかったでしょう。どうぞお顔をお上げください」
プリムラが示す寛容には気品が伴う。
王女は素晴らしい、と口にするユリウスの目は細まっている。背後で控える四天の四人も眩しそうだ。やはり王女である、常人とは違う。
ラプラス宰相は頭を上げず、口だけ開く。
「いえ、私は王女様に何としてでも消えていただきたかった。聡明なカナン皇王ですが王女様に関してはお人が変わります。唯一の弱点であり致命的と申せる執着ぶりでしたから」
「だから暗殺しようとしたわけだな」
ユリウスの確認に、ようやくラプラス宰相は顔を上げた。うなずいて見せてくる。
「再三に渡って申し上げますが、現在の皇国にはカナン皇王が必要なのです。しかし意中の女性が他者に奪われるくらいなら殺害も辞さないとする妄執は、その人格を病ませます。いずれ失政へつながるでしょう」
「なるほどな。そこへアサシンが接触してきたか」
「王女様の暗殺計画及び実行は私が指揮してまいりました。責任はこのジヌ・ラプラスに全てあります。ですから……」
「皇王を先に帰らせ、わずかな伴を連れて見送りに行くという処断の場を設けたわけか」
ふむふむと納得するユリウスは改めて目を向けた。
ラプラス宰相に付いてきた警護兵は二人だけである。しかも年齢が行っており、武術よりも信用度に重きを置いた人選だろう。彼らの報告ならカナン皇王も納得するはずです、と説明もされてきた。
「どうか王女様。一連の責は私の一命でご寛恕願えませんでしょうか」
再び下げられたラプラス宰相の頭はプリムラへ向いていた。
視線を感じたユリウスが目を向ければ、すみれ色の瞳をかち合う。言葉はいらなそうだ。軽い目配せだけで、微笑みが浮かんだ。
まずプリムラはラプラス宰相に頭を上げさせた。それから胸の前で両手を組む。
「わたくしのほうこそ、宰相にお願いしたいのです。どうかカナンを支えてあげてください。彼は才が立つ分だけ情緒が不安定になりやすい。そばに宰相のような方が必要なのです」
王女さま……、とラプラス宰相は感極まるあまり声も詰まる。溢れ出しそうな感情をぐっと堪えて、片膝をつく。
「このジヌ・ラプラス。現皇王カナン・キーファへ生涯かけて仕えることを、ここに誓います。もし誤った行動を起こすようならば、今度こそ我が身に替えてでもお諌め致します。歴代の皇王をしのぐ名君へ昇り詰めていただくためにも」
「ありがとう。ラプラス宰相にカナンの今後はお任せいたします」
「王女様のご厚情には感謝しかございません。きっと皇王も許されたいとする気持ちを抱いていることでしょう」
忠誠を示す体勢をラプラス宰相は崩さない。主君共々とする意志が込められているかのようだ。
ユリウスと四天の四人は程度の差はあれ、じーんとしていた。計略や戦略といった複雑な思考を巡らしても、基本は戦場を駆ける戦士である。なんだかんだ言っても、誰かのために信義を貫こうとする姿には弱い。
なので、驚いた。
「いーえ、カナンだけは許しません。絶対に許しませんからっ!」
いつの間にか祈るようなポーズをプリムラは解いていた。なにやら激しいお怒りの炎も立たせてくる。気高き王女だったはずが、大虎も凌ぐ猛獣へ変貌していく。
おお? とユリウスは驚き、ほぉ? とアルフォンスは興味津々といった態である。
四天の残る三人といえば、怯えていた。