47.漢、僚友を追い込む(不覚もある)
ユリウスはご機嫌であった。
「いいタイミングで来てくれたな、グレイ。感謝するぞ」
大虎の背から降り立ったエルフへ近寄るなり、その亜麻色の髪をくしゃくしゃにするほど撫でる。
ちょ、ちょっとヤメろよ、とグレイは抗議するものの表情は満更でもない。
夜闇の中でもわかるほどプリムラとツバキが目を光らせている。
無論ユリウスが気づくわけもなく頭を撫で続ける。
「そう嫌がるな。グレイのおかげで余計な戦闘が避けられたぞ」
「ユリウスって闘神とか言われているくせに、戦いたいんじゃないんだね」
「当たり前だ。剣を振るうのは大好きだが、生き死となれば話しは別だ。甘ちょろいと言われようが、仕方がないとする状況でなければ、殺し合いなどしたくないものだ」
ふーん、としてからグレイは、にっこり微笑む。
「さすがだね、ユリウスって。ボクも見習うとしよう」
「なんだ、嬉しいことを言ってくれるじゃないか。いいヤツだな」
そう言ってユリウスはさらにグレイの髪をぐしゃぐしゃとする。
まったくぅ〜、とグレイは唇を尖らしているものの嬉しそうだ。とても親しい間柄に映る。
男の子のようなエルフだが女性なので、放っておけなくなったようだ。
「ユリウスさまー、わたくしも常にリスペクトいただいておりますぅー」
無骨な婚約者の腰元へ、プリムラは抱きつく。先程までの理知的な王女とする姿は欠片もない。だがユリウスは婚約者にいかなる変化が訪れても、いつも通りとする。
「なにを言うんだ。俺こそ王女にいろいろ教わっているぞ。だから急いで言わなくても、よくわかっているから大丈夫だ」
ユリウスの手はグレイの頭から黄金の髪へ乗せ換えられた。
むふふと笑うプリムラは幸せそのものだった。
初めて婚約者の髪を撫でていることに気づいていないユリウスの肩へ、ぽんっと手が置かれた。配下であり、古くからの僚友でもあるイザークがやれやれと指摘する。
「相変わらず肝心な点に関しては考えが及ばないな、ユリウスは」
「俺は何がわかっていないんだ。イザーク、教えてくれ」
相変わらずユリウスらしい直球ぶりに、ふっとイザークは笑みを浮かべる。スカしていると解釈されやすいキメ顔を作った。
「女心だよ。ユリウスは彼女たちのたおやかな想いに気づけていない」
イザークに問題が降りかかってきた。ユリウスが言われている意味に気づけないだけではない。うげっとグレイが以前に見せた顔つきをしている。放置は出来ない。
「キミはなにか勘違いしているようだ。グレイが美少女であることを他の連中が見抜けないなか、私は一目で見破っている。理解という点では少なくともこの場にいる連中の誰よりも私が……」
「おまえ、ホントに気持ち悪いんだけども」
弁舌を遮るには充分な嫌悪をグレイが示していた。
なぜだ、とうめくイザークに仲間と呼べる者たちが次々に意見してくる。
「いきなり名前を呼ぶのは、どうかのぉ」アルフォンスが顎髭を撫でている。
「相手は貴族の令嬢じゃないんだからさ、常識持とうよ」ベルが意外に辛辣でくる。
「気持ち悪いでしょ、これ、どう考えても」ヨシツネは愉快愉快といった感じである。
はっはっは! とユリウスが例の高笑いを上げた。
「まぁまぁ、グレイ、それにみんな。それくらいにしてやれ。イザークは女心も男心もわからくなることが時々あるんだ」
言われた方からすれば、まさかの逆風である。これがまだ嫌味でお返しなら受けて立つが、ユリウスは本気である。しかも両刀使いとする誤解を増長する言い回しだ。そうなんだ、と肝心のグレイが納得してしまっている。
イザークは火が出るような主張を繰り出すつもりだった。
「キサマらのような者たちのせいで、騎兵の地位が上がらないのだ」
グネルス皇国警護兵に拘束された当国の騎士団長に先を越されてしまう。
後ろ手で縛られたゴードンがユリウスへ怒りを向ける。
「なにが闘神だ。ちゃらちゃら女といちゃつきおって。しかも亜人なんかも加えてだ。騎士として、人間としてのプライドはないのか!」
はっはっは! とユリウスがなぜかまたの高笑いである。ここで笑う意味を掴める者はいない。イザークなどは何か面白そうな展開を期待して、自身の誤解を解くことなど頭から消えてしまう。
なにが可笑しい、と怒るゴードンの反応は至極真っ当だ。
ゴードンよ、とユリウスは何やら偉そうに相手を呼んでからだ。
「俺は婚約を三回も破棄された男だぞ。そんなヤツがプライドなど持つか!」
当然のことを聞くなとばかりの勢いだ。
因みにその後方では小さな声の会話がなされていた。
「なんでユリウスって胸張って言ってるの?」
ハットリが誰となしにした質問へ、ヨシツネがしみじみと返す。
「うちの団長はみじめすぎると、オレたちじゃ考えつかない反応をするんだよ」
そっか、とあっさり納得されたのは身内だからだろう。
噂でしか人物像を知らなかった他者であれば口を閉じてはいられない。
「まったくなにを、闘神とあろうものが。どれだけ破棄されようとも、それほどの美少女を婚約者にしたではないか。良い目に遭っておきながら、なにをほざく」
もはや未来が閉ざされたゴードンに遠慮はない。だがおかげで自分の言葉が相手へ届く。
「そうだ、確かに、おまえの言う通りだ。いつまでも婚約破棄にこだわっていては現在の婚約者に失礼だな。ゴードンよ、気づかせてくれたこと、礼を言うぞ」
相変わらずユリウスは上目線な言い方だが、頭を下げた。どうやら本当に感謝している。
「そ、それならば、けっこうです」
ゴードンは宜しくない反応をしてしまった。これでは怒りをぶつけ続けるなど難しい。しかも追い討ちが横から入ってくる。
「なにがプライドさ。おたくの騎兵、ボクの虎を見ただけで武器を投げ出したくせに」
亜人種に対する差別へ腹を立てていたのだろう。エルフのグレイが嫌味たっぷりで放つ。
ぐぐっ、とゴードンは声を詰まらせている。
大虎に乗ったエルフの加勢が戦いの止めとなった。月影に浮かぶ猛獣にゴードン率いる騎兵らの戦意喪失は見て取れるほどだった。悪魔だ、と口にする者さえいた。
ここまでなぜ怖れるか、プリムラが旧知のカナン皇王へ訊く。
どうやら先代の皇王時代にグネルス皇国はエルフ領内へ侵攻したらしい。撃退されるはめに陥るが、それは大虎の大活躍によるものだった。食いちぎられ爪で抉られる屍は参戦した騎兵らにトラウマを植え付けた。
それほど遠い過去の出来事ではない。
大虎に敗北した戦場の記憶を持つ騎兵はまだ多く在籍している。
ほほぉー、とユリウスを初めとした一行は興味深く聞いた。
身動きならないゴードンは否応無しに聞かされていた。カナン皇王がさらに詳細を語ろうとした際に悔し紛れで叫んだ。
「悪魔の獣を利用するなど、闘神の名が泣くではないか。騎士として、人間として、なんて情けない。それに亜人どもなんかと組んでいたら、いずれ帝国だけでなく……」
言葉が途切れた。
強制的であったことは、胸に刺さった矢が教える。
「男として人間としてもそうだけど、騎士のくせに口が軽いのはダメよ」
標的の物言いを真似て皮肉に断じる人物が夜闇に浮かぶ。
ユリウスたちに見覚えがある相手であった。