44.漢、改めて姫の想いを知る(失恋確定もある)
ユリウス団長! とベルが呼ぶ。
どうした、と緊急に応じるユリウスの声は鋭い。
「二百くらい重い感じの足音が近づいてきている。たぶん方角からトラークーとの国境境に詰めていたグネルスの騎兵団の一部だと思う。あと街の方からも走ってくるヤツがいるかな」
ベルの報告に対し、真っ先にカナン皇王が応じた。
「今晩の騒動を聞きつけて、騎士団長が一部の兵を割いて寄越したのでしょう。それには私が説明を致します。それよりユリウス・ラスボーン」
カナン皇王は名を呼んだ相手へ、改めて向き直る。真剣そのもので問う。
「グネルスの皇王になるならば、今ですよ。プリムラとの生活の礎は、帝国に戻るより、こちらのほうが安全に築けるでしょう。私も出来る限りの協力を惜しみません」
「やっぱり、カナンよ。おまえはフラれただけあって、気持ちがわかる男だな。俺も婚約を破棄され続けたから、胸に沁みるぞ」
余計なことを言うだけで、真意を見せない。だからカナン皇王は低い声調をもって問い詰めていく。
「ここにきてはぐらかす真似はやめてください。これはユリウス・ラスボーンだけではない、私が愛した人の将来にも関わる問題なのです。貴方はわかっているはずだ、人生の分岐点に立っていることを」
「そうだな、カナン。おまえの言う通りだ。だがもう答えは決めてある」
ユリウスはそう言うや否やだ。
すまない! と思い切り頭を下げる。
プリムラへ向かって。
「それが答えですか」
そうカナン皇王が確認するのと同時だった。
「はい、わかってます。ユリウスさまが向かう先は、どこにあるか。わたくしはそれを誇りに思い、そんな貴方に付いていくだけです」
頭を上げたユリウスの目に映るプリムラは微笑んでいた。優しく、それでいて毅然とした意志を窺わせる。素晴らしい婚約者を得たと、大声で自慢したくなったくらいだ。
口にするまでに至らなかった。ユリウスはプリムラの様子にちょっとした異変を見つけたせいである。なんだか急に唇を尖らせてくる。「どうしたんだ、王女」と尋ねたらである。
「もしかしてユリウスさまは、本気でわたくしを置いていこうなんて考えました?」
ちょっぴり拗ねる姿に、ユリウスが敵うはずもない。ごまかせなければ、両手を合わせるしかない。
「すまん、王女。ちょっとだけだ、ちょっとだけ。これからの大変さを思うと、ちょっとだけ真面目に考えてしまったわけだ」
ちょっとを連発しすぎだが、信憑性は損なわれていない。
プリムラは表情を改め、そっとユリウスの左へ回る。剣を握っていない左手を取る。
「ユリウスさま。わたくしは自身の命の使い方をあの時に決めております」
風前の灯火となった命をぎりぎりのところで持ち堪えている、それが二人で過ごした最初の時間だった。百は数える敵兵に、ユリウスはたった一人の守り人として挑んだ。まだ幼きプリムラは自分のために血で濡らした手を、せめてと握った。
終わりに備えて手と手を取り合った交歓は、しかし始まりになった。
思い出を呼ぶ姿勢はユリウスとプリムラだけではない。傍にある者たちにも、死線の只中で固く心を通わせた騎士と姫の姿が浮かばせ、胸を熱くさせる。
真実の意味でカナン皇王は積年の想いを諦めるに至った。
「離れなさい、ユリウス騎士。皇王を殺らせはしません」
突如、迫力はないが気迫に満ちた怒号が響いてきた。
けれども婚約者と手をつないでいるユリウスは幸せである。このうえなく上機嫌にある。
「おお、宰相ではないか。どうした抜けた腰は戻ったか」
いかにも文官とするグネルス皇国宰相ジヌ・ラプラスが剣を構える。剣先は震え、先の対峙で判明したように武術は素人丸出しである。それでも従えた警備兵たちと共に前へ出る。声を振り絞ってくる。
「皇王を、カナン皇王を殺させはしません。もし今回の失敗で命を取るというならば、私にすればいい。皇王は今の皇国に必要な方なのです」
ふむふむとユリウスはカナン皇王へ得心した顔を向ける。
「カナンよ。おまえは本当に良い皇王なのだな。もっと指導者として自信を持って欲しいと思う、デリカシーのない俺だ」
デリカシーは関係ないと思いますが、とカナン皇王が笑い返してくる。自然と軽口が叩ける間柄になっていれば、後は難しくない。前へ出て、これまでの経緯を説明し事情を伝えた。
ラプラス宰相は驚きつつも妙に納得もしていた。ユリウスと関わった者が見せる特徴的は反応である。
受容できたようであれば、今度は質問を投げた。
「ところで、ラプラス。私はアサシンの存在は知らないが、それはどうしたことか」
それは……、と答えかけた時だった。
「新しい皇王が手緩いせいで、念を入れたんですよ」
割り込んできた声の主を、ユリウスは見覚えがある。
夜なので確認できないが、昼間ならば顔色の悪さが一目で知れる当国の騎士団長であった。