41.漢、けっこう感激す(婚約者の言葉に)
カナン! とプリムラが呼ぶ声は厳しい。
健全な成長を果たしたユリウスではわからない、とカナン皇王の投げかけに当人ではなく婚約者が応えた。
「カナンはわかっていない、ユリウスさまを形成するものを。凄く強すぎて思い至らないのかもしれないけれど、自分の命が危うくなるなんて気にしない、考えなしに平気で力なきものへ手を差し伸べてしまう。それはわたくしやカナンより……」
「なんだというんだ、プリムラ」
カナンの催促にも、プリムラは言い淀む。本人を目の前では口にし辛い内容なのだろう。
先を促せる者は誤解されたとする当人しかいない。
「俺は王女とずっと共にあるつもりだ。ならば言い難いことでも口に出せる関係でありたいと思うぞ」
口振りにユリウスなりの精一杯な気遣いが窺える。
ならばプリムラには正直に答えるとした選択肢以外ない。
「ユリウスさまが負った幼少期の心の傷は、わたくしよりずっと深いと思います。一方的に蹂躙されそうな場面を前にすれば、まるで憑かれたかのように動いているようではありませんか。きっと心の奥底にある記憶のせいだと、考えます」
ユリウスは五歳の時に野党化した傭兵に襲われた。木こりの集落が戦闘を生業とする連中の襲撃に為す術などあるはずもない。人柄のいい家族や近所の者たちが無惨に殺されていく姿を目の当たりにした。闘神と呼ばれる漢が強靭でありたいと願った原点だ。
「ユリウスさまは当然のように力無き者を助けにいきます。我が身をまったく顧みずに。それは資質だけでなく拭えない心の傷があってこそだと思います」
ここまでしゃべったプリムラは、はっとしたような表情を見せた。急に青ざめては、おずおず切り出す。
「……ユリウスさま、わたくしを嫌な女だと思われませんでしたか」
「急にどうした、王女。むしろ俺はそこまで想ってくれていたのか、と感動していたくらいだぞ」
そう言ってユリウスは、はっはっは! と笑う。ちなみに手にした大剣はカナン皇王の眉間に狙いを定めたままだ。
「母がよく申しておりました。わたくしが主張をするたびに、賢ぶった実に嫌な女だ、と」
「それはないな。むしろ俺のようなヤツにはもったいない才媛としか思えないぞ」
あっさり断じれば、「ユリウスさま……」とプリムラの瞳を潤ませる。
突如だった。
カナン皇王は笑いだす。ふふふ、と含むような感じから、あははは、とやや狂気じみたものへ変わっていく。横恋慕がすぎた男の虚しい響きであった。
ヤバそうだな、とヨシツネが剣を構え直したくらいである。
直後に自分の指揮官に神経を尖らせたことがバカらしいとされる目に遭う。
「そうか、カナン。やはり笑ってしまうほど王女は考えすぎだと思うか。こんな素晴らしい女性なのに、自分を貶めすぎだ。俺とおまえ、初めて意見が合ったな」
「違いますよ! 勝手にそちらと同類にしたがる真似はやめていただけませんか」
カナン皇王が命を握られていても、けっこうな剣幕を見せた。
違うのか、とユリウスが何やら残念そうにしている。
はぁー、とカナン皇王は深くため息を吐けば目前の剣先を睨む。
「それでユリウス・ラスボーン、どうするつもりですか。殺すなら、さっさとやったらどうです?」
「でもいきなり皇王がいなくなったら、この国が困るだろう」
うーん、と唸りるユリウスは真剣そのものである。
ふっとカナン皇王が自嘲の影を滑らす。
「私がいなくてもグネルスは大丈夫ですよ。親族内の騒乱にすぎなかった即位です。国民の誰もが関心外に置く現在の皇王です。今なら誰がなってもいいくらいですよ。ユリウス・ラスボーン、貴方が王位に就いても問題は起こらないはずです」
「なにを言う、カナンよ。俺のようなヤツが王などやれるかー」
はっはっは、とユリウスがおかしな冗談だとばかり笑い飛ばす。
「でもユリウス・ラスボーン。貴方がダメでも妻となる者は政に関してなら充分に期待できます」
我が事のようにカナン皇王が誇らしげに言う。
これを受けたユリウスもまるで自分のことみたいに胸を張る。
「なにせ才気溢れているからな。王女こそ王位に相応しい人物に違いないぞ」
ベタ褒めも行き過ぎれば居心地は悪い。プリムラは嬉しいより困惑の色を強めて訴える。
「そんなこと、ありません。わたくしは二人が考えるほど優れてはおりません」
「王女なら大丈夫に決まっているだろう」「プリムラは謙遜しすぎだ」
見事に台詞が被るユリウスとカナン皇王だった。
プリムラは、きょとんとした。だが、それも一瞬だ。それから腹を抱えるほど笑いだす。
逆にユリウスとカナン皇王が唖然としてしまう。けれども朗らかな響きは、惚れている女性が立てているものである。
悪くない顔をするカナン皇王の前へ、どんっと大剣が地面に突き立てられた。
用心のためか、ユリウスは柄を離さない。それでも幾分か敵意を引っ込めたことを見せる。
「カナンよ、おまえの彼女を愛しているとする気持ちに間違いはないようだな」
「闘神と呼ばれる方にしては、よくも照れもなく、そのような恥ずかしいことを口にするものですね」
まだ地面に尻を落とすカナン皇王だから見上げる格好だ。
そうか? と見降ろすユリウスは、そんなことはないだろうといった顔をしている。
そんな二人へ、とことこプリムラが歩み寄ってくる。「ありがとう、カナン」と言ってくる。
「プリムラに感謝される謂れがわからないな」
「こんなわたくしをずっと好きでいてくれて」
「しつこく何度も殺そうとしたんだぞ」
「愛おしすぎて殺したくなる気持ち……わたくしがわからないと思う?」
今度こそ降参とする笑みをカナン皇王は浮かべてくる。同時に決心も閃かせた。ユリウスへ向き直り、告げた。
「ユリウス・ラスボーン。今すぐ私を殺せ」
ふむ、とうなずいたユリウスは大剣を地面から引き抜いた。