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無人の時代  作者: 荒里あゆむ
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09章

 いつものジェット社の会議室は、いつもよりも冷房が利きすぎていた。真田と春菜は石川課長に突然呼び出されて少し緊張した面持ちで座っている。春菜は寒そうに両腕をぴったり体につけている。テーブルの向いに座っている小沢典子も寒そうに腕を組んでさすっている。

「すみません、ほんとうに。石川が勝手にお呼びだてしてしまったんです」

 小沢が申し訳なさそうに頭を下げる。石川は少し不満そうに横を向いている。


「繰り返しになりますが、石川の申し上げた重大トラブルというのは少し大袈裟なんです。別に人が傷ついたわけではなく、積荷やトラックが損なわれたわけでもありません。単に無人トラックが一台、ルートを外れてしまったんです。ですが安全装置は正常に動作しまして、トラックは自律モードで最寄りのインターから降り、安全な路肩で停止しました。それもすぐに発見して回収できましたので、輸送スケジュールが若干遅れただけで、あとはなんの問題もありませんでした」


「なるほど、それはなによりでした」

 真田は安心して気が抜けたように相槌を打った。もしこれが本当に重大な事故だったら、おそらくジェット社の信用は堕ち、無人トラック関連の投資も回収できず会社は深刻な危機に陥っていただろう。前任の山崎や真田が口を酸っぱくして力説した企業リスクだった。


 しかし石川は収まらないらしく声高に反論を続ける。

「ですが小沢部長、車載パソコンがダウンしてしまったんですよ。これは明らかに重大なトラブルです。いったん全ての運行を停止して調査を行うべきです」

 小沢はまたその話かと言わんばかりに露骨に顔をしかめて石川を見る。あわてて真田が助け船を出す。


「経営層の方々はなんとおっしゃってるんですか」

「ええ、午前中に経営陣に緊急招集がかかって会議が行われました。その結果、今回のトラブルは軽微なものと判断し運行はそのまま継続、外部への公表はしない、しかしドイツ本国と連絡を取り合って速やかに根本原因の分析と調査を行う、という三点の方針が決まりました」

「納得できません。確かに今回は目立った被害はありませんでしたが、重大事故が起こってからでは遅いんです。運行は停止するべきです」

 石川があきらめずに食らいつく。


 コンピュータシステムのリスクに関して、システムの専門家と非専門家の間で認識が分かれることは日常茶飯事である。多くの場合、真逆に分かれると言っていいだろう。非専門家は技術的な知識が無いため認識が極端になる。リスクを驚くほど軽く、または逆に重大に考え過ぎてしまう。


 認識がどちらに倒れるかは、極論すると『お金』である。例えば代表的な例はセキュリティリスクだろう。システムのセキュリティ機能それ自体は費用ばかりかかって企業にとって一円の得にもならないように感じてしまう。だから情報漏洩などの事故が後を絶たないのだ。しかしある意味、これは非常に人間的な行動心理ではある。


 逆に専門家はリスクを技術的にほぼ正しく認識できる半面、それを大局的な視点で理解することができない。システムも人間の社会的な営みの一部として存在させられているという視点を見失いがちである。例えば極端な話、どんなに高機能でリスクの低い安全なシステムを構築しても、会社が『お金』を失って倒産してしまったらそのシステムは単なるガラクタになってしまう。


 加えて技術者は往々にしてそのリスクの大小を他者に説明するためのコミュニケーションスキルが低いため、組織を正しい方向に導くことができない。

 このような専門家と非専門家の間の深い溝は、おそらくコンピュータシステムの分野に限らず、人間同士の相互理解という究極的な命題に起因する深遠な課題のような気もする。その文化人類学的命題がまさに、ジェット社の小さな会議室内で再現されていた。


 小沢は困った顔で真田のほうを見た。真田は仕方なく使い古された妥協的手段を選択した。

「システム部長は何と?」

「・・・」

 石川課長は悔しそうに口を固く結び、黙りこんでしまった。おそらくシステム部長も典子と同じ見解なのだろう。石川の残念そうな表情がそれを物語っている。この典型的な人間相互理解の命題は、人類が高度に進化させた『組織階層』という妥協的発明によって案外上手く解決される。


 特に日本社会においては『個』を抑圧することにより有効に作用する、伝家の宝刀、つまり上司命令である。

 典子は結論を急ぎたそうな様子で、真田に引導を求めてきた。

「真田さんのご意見は?」

 真田は落ち着いた態度で、頭の中の引き出しからこの場に最適な経験則を検索して提示した。


「システムが内包するリスクの扱いはどこの企業でも頭を悩ませる非常に難しい問題です。なぜなら、企業の営利とリスクはお互いに相矛盾する問題だからです。ですので、最終的にはバランスを取った選択を行うしかありません。つまり天秤の『支点』を左右どのくらいの位置に置くかです。この選択は最終的には経営者判断になりますので、私は御社の経営会議の決定を支持いたします。ただ、石川課長のおっしゃることももっともですので、リスクのヘッジはシステム部の権限の許す範囲で最大限努力するという方向でいかがでしょうか。要はさっさと自分たちで解決してしまえばいいのです。我々も可能な限り全力でお手伝いしますので」


「ありがとございます」

 石川は少し大袈裟に相好をくずして真田に頭を下げた。小沢も満足そうに頷きながら言う。

「そう言えば如月コンサルさんはシステム部門もお持ちでしたよね。よろしければ予算を確保しますので、正式に調査にご協力頂けますか?」

「かしこまりました。至急、技術者の空きを確認します。プロジェクトがひと段落したばかりなので多分ヒマしてると思いますので」


 真田は早速本社に連絡を取るため席を立とうとしたが、ふと春菜の様子を見ると、何か言いたそうなアライグマのような目で真田を見つめている。真田はやれやれという表情で苦笑しながら言った。

「河合、何か意見あるか?」

「はい、今回の件についていくつか教えて頂きたいことがあるのですが、よろしいでしょうか!」

「どうぞ、分かる範囲でお答えします」


 完全に気を取り直した石川が答える。

「走行中に車載PCのメモリが急に圧迫されたんでしたよね」

「はい、メモリは拡張して十分なサイズを搭載してあります。さんざん負荷試験を行いましたが、五十パーセント以上になることはまずありませんでした。ですが昨夜は急に使用量が増えて百パーセントを超えまして、しばらくは仮想メモリで耐えていたんですが、さすがにデータ処理が追いつかなくなってダウンしたみたいです」


「典型的なバッファオーバーランですね。バグでしょうか」

「いえ、半年間の運用テスト期間中、何度も負荷試験を行いましたが一度もこのような症状は現れませんでしたし、もともとそんなに複雑なプログラムは車載パソコン上では動いていませんので、バグが原因とは考えにくいかと思います」


「では、例えばウイルスなどの可能性は?」

 春菜が畳みかけるように石川に質問を投げかける。

「まだ調査中ですが、基本的にありえないと考えています。ウイルスチェックは常時行っていますし、そもそも外部のネットに直接つながっていませんから」


「ウイルスチェックは既知のパターンのものだけですか?未知のウイルス、例えば特定目標に対する攻撃などの可能性は?」

「まさか・・・うちの会社が狙われたと?」

 石川の顔がみるみる青ざめる。


「ですが、ファイアウォールは正常に動作してますし、侵入された形跡も見当たりませんし・・・」

「ちょっとシステムを拝見してもよろしいでしょうか」

 春菜は有無を言わせない態度で石川を促した。とても入社三か月の新人とは思えない自信に溢れるた態度だった。いつも客先では口数の少ない彼女が別人のように見えた。真田は二か月前の如月コンサルティングのシステム部門へのヘルプ業務を思い出した。

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