02章
スーパージェット運輸株式会社は国内では中堅の運送会社である。経営状態は以前はそれなりの業績を維持していたが、最近の決算は黒字と赤字を行ったり来たりしている。
使っているトラックは社長のこだわりでドイツメーカーの車両を使用している。このトラックメーカーが数年前、無人運転トラックの実用化に成功したのを受けて、ジェット社でも無人運転システムの導入に踏み切ったのであった。
ただ、すんなりと導入が進んだわけではなかった。無人運転自動車は特にアメリカで研究がさかんで、現地ではすでにかなり実用化が進んでいる。例えば、ロサンゼルスの市街地などを見渡すと、だいたい十台に一台くらいは無人運転車である。それに対して日本国内ではまだほとんど見かけることはない。
これは、日本の自動車メーカーがなぜか無人運転に消極的だったこと、また政局の影響で日本政府の法整備が遅れたことが影響している。その結果、日本の無人運転車市場はヨーロッパやアメリカに比べて五年は遅れてしまったと指摘する専門家もいる。
しかしようやく日本でも、無人運転車に関する法案が難産の末に可決され、この四月から施行された。貿易交渉などの外圧により可決が急がれたのだった。ジェット社は待ちに待った完全無人運転による貨物輸送サービスを開始できることになった。ただし、人間が乗車しない完全な無人運転は高速道路のみに限られる、限定的な法施行であった。
しかし、日本の自動車メーカーの無人運転車開発は海外メーカーに対して後れを取っており、完全にガラパゴス化してしまっていた。その結果、日本製のトラックを使用しているほとんどの運送業者が、無人運転サービスを開始できるのはまだ当分先のことになりそうであった。
そんな中、スーパージェット運輸だけは以前から外国製のトラックを使用しており、かつそのドイツメーカーが独自に無人運転システムの開発を完成させたこともあり、他の運送会社に先んじてサービスをスタートできたのであった。
この無人運転システムを最初にジェット社に提案したのは真田の前任の山崎だった。ドイツのトラックメーカーの開発が完成間近という情報を得るや、いち早くジェット社の国内での優位性を見抜いたのだった。
しかし、当初はかなり強い抵抗があったという。得体の知れない技術に飛びついて事故でも起こしたら会社が潰れる、そう言って激しく反対したのはジェット社のシステム部門だったそうだ。企業の業務効率化に関して最も先進的であるべきシステム部門がむしろ最も保守的というのは日本企業に共通の病理になっている。
山崎は根気づよくメリットとリスクヘッジを説き、プレゼン資料を何千枚も作って通い続け、なんとか予算を確保してもらったのだ。そして一年間の基幹システム開発を経て、今日、晴れて初運行の日を迎えたのだった。この日を一番楽しみにしていたのは誰あろう前任の山崎であっただろうに、彼はもういない。
「そういえば、お詫びの品はちゃんと買ってきたか?」
「はい、ばっちりです!」
春菜は巨大なリュックの中をガサゴソと探って、菓子折りらしき箱を取り出した。
箱の表には『猫娘~ねこむす~饅頭』と可愛い丸文字フォントで書かれており、その下に猫娘たちの可愛らしいイラストが大きくプリントされている。Tシャツにジーンズ姿で嬉しそうに猫娘饅頭の箱を掲げる春菜を見て、真田はやはり今日は仕事ではないような錯覚に襲われてめまいがした。これから春菜と二人で友人家族のホームパーティに行く予定・・・くらいの情景であった。
ジェット社への謝罪の原因は春菜の大失態だった。三日前、彼女は自分の同期宛てのメールを誤ってジェット社の企画部のメールアドレスに送ってしまったのだ。
文面はこうだ。
※※※※※※
件名:女子回のお知らせ
みんなごめーん、大変お待たせいたしました。
女子会のお知らせでーす。
ほんとはもっと早くメールする予定だったんだけど、鬼のような上司から毎日残業を言い渡されてしまって。。。ほんとごめん。。。涙
日時:あした
場所:六本木キリンシティ
時間厳守だよ!
圭子ちゃん、新婚秘話、じっくりきかせてね!!
じゃっねー!!!
はるな
※※※※※※
まったく、よりによって痛いメールである。しかもタイトルに誤字がある。恐ろしいことに、CCにジェット社のメーリングリストを入れてしまったため、ジェット社の企画部メンバー全員がこのメールを読んでしまったことになる。
誤送信十分後、先方の課長から真田にクレームの電話が入った。会社の信用を失墜させる完全かつ重大なセキュリティインシデントである。今日の訪問はそのときのお詫びも兼ねているのである。
春菜は猫娘饅頭を大切そうに抱きしめながら説明を続ける。
「これ、今大人気でなかなか買えないんですよ~、二、三時間待ちの行列なんてざらなんですよ」
「・・・」
「たまたま友達がここのお店でバイトしていたから、頼んで特別に回してもらったんです」
「・・・」
『お詫び』の反省が全く感じられない脱力感に溢れたイラストを見ながら、真田は無意識のうちに眉間に皺が寄ってしまうのを止められなかった。春菜は真田の不機嫌を察して不安そうな表情で尋ねる。
「あの・・・ミスチョイス、だったでしょうか」
真田は目を細めてゆっくり頷いた。