第34話 物語世界
「八月二十一日から、あなたの体から魔力の残滓を感じるようになった」
「魔力……?」
思わず、顔を下に向けてまじまじと自分の体を見つめてみる。手を握ったり開いたりもしてみるが、特に変な感じはしなかった。
「この世界の生物は、基本的に魔力を持たない。あなたが私たちの世界の存在と関わったものと判断し、接触を試みた」
なんだか、焼肉のにおいが残っているみたいで、いやな感じだ。自分ではわからないというのがさらに気持ち悪くて、牙人は顔をしかめた。
「……その、異世界っていうのは、どういうところなんだ?」
「『剣と魔法のファンタジー世界』という単語で、こっちの人間に対する説明はほとんど完了すると思う」
「そんなベタな感じなのか?」
「ん」
少し考えてから、牙人は「……ということは」とすてらに投げかけた。
「文明レベルはこの世界より低めで」
肯定。
「エルフとかドワーフとかがいて」
肯定。
「魔物なんかもいると」
肯定。
「……まじか」
牙人は、思わず苦笑を漏らした。全肯定もいいところである。
驚いたことに、どうやら本当に「剣と魔法のファンタジー世界」そのものだ。ここまでくると、むしろ不自然なほどに。
「ワタシもこちらに来て初めて知った。ワタシたちの世界と、こちらで認識されている『剣と魔法のファンタジー世界』という概念は、きわめて似通っている」
銀髪の少女は、どこかよそよそしく、説明文を読み上げるような声で淡々と語る。
どうやら、近年流行りの異世界ファンタジーは実在していたらしい。牙人も、いくつかその手の作品を嗜んだことはある。
こちらの世界、というか、日本におけるイメージといった方がいいかもしれない。とにかく、怖いくらいに合致していた。
しかし、単なる偶然なのだろうか。それにしては、できすぎな気もする。なんだか、恣意的に創り出された物語世界のような……言ってしまえば、現実味がまるでない。
「ま、ファンタジーにそんなこと言ってもって話か……」
すてらに聞こえないくらいの声で独り言をこぼしてから、牙人は大きめのため息をついた。
知らない世界のことを、外からごちゃごちゃ言っても仕方がない。第一、目下考えるべきことは別にあるというものだ。
「まあ、もう隠しても無駄みたいだし白状するよ。……確かにあの日、俺はドラゴンに遭った」
「ドラゴン……思っていたより、大物」
少し目を見開いたすてらが、上から下まで視線を動かして牙人を見つめた。そのまま、ゆっくりと首を傾げる。
「それにしては、元気そう」
「え?」
「死んでいてもおかしくないのに」
「……運がよかったんだよ」
牙人は、苦々しそうに目を逸らして、口をつぐんだ。
嘘じゃない。実際、運はよかった。ぎりぎりで周郷に電話がかかってこなければ、どうなっていたかわからないのだから。
ここで、「実は怪人に変身できて……」とか言い出したら、それこそややこしいことになるのが目に見えている。
牙人は無意識に唇を噛み締めて、無言で見つめてくるすてらの目から少しだけ視線をずらした。怪しまれているのかもしれない。白銀の瞳からは、すてらの意図は全く読み取れなかった。
「あー……ところで、異世界とやらの住人が、なんでこの世界にいるんだ?」
沈黙に耐えきれなくなった牙人は、わざとらしく話題を変えた。
特に止められることもなく、すてらが口を開く。その様子を見て、牙人はひそかにほっと息をついた。
「ワタシの場合は、単なる興味」
「は?」
「世界を渡る魔法は、探すのに苦労した」
「……」
なんだか、すごいことを言っている。平静は、数秒ともたなかった。
そんな、ちょっとした旅行みたいな感覚で話されるようなことではないと思う。しかし、当然のような顔で説明されると、なんだか牙人の方が間違っているような気がしてきた。
「いや、しっかりおかしいからな」
自分に言い聞かせる牙人に、すてらは小さく首を傾げた。まるで他人事だ。
気を取り直して、牙人は気になったところを突っ込む。
「……世界を渡る魔法って言ったか。あのドラゴンも、それで来たのか?」
「ん……そうかもしれないけど、別の可能性もある」
「というと?」
「世界の歪みに落ちた、というのも考えられる」
知らない言葉だ。牙人が説明を求めると、すてらは両手をすっと前に出した。
「簡単に言えば、異なる世界同士は、魔法を使わなくてもつながることがある」
つながる、のところで、すてらは両手を胸の前で握り合い、一人で握手をするようなポーズをとった。
「巨大なエネルギーが一点に集中する——例えば、こちらの世界なら核爆発、ワタシたちの世界なら大魔法の行使が発生すると、その周囲の空間に揺らぎが出る」
「揺らぎ……」
「そうして、異なる世界同士の境界に歪みが生じることで、世界がつながってしまう」
おそらく、要はゲームのバグのようなものだろう。世界が膨大なエネルギーを処理しきれずに、エラーを起こす。それが、壁抜けバグとして現れてしまったわけだ。
とはいえ、自分の住む世界がゲームのような挙動をするというのは、いまいち実感が湧かない。
「あなたが遭遇した個体が、そうなのかはわからない」
一つの可能性の話、と言って、すてらはつないだままにしていた両手を下ろした。
もしそうだとすれば、それはドラゴンにとっても気の毒な話である。偶然未知の世界へと飛ばされ、洗脳によって縛られて道具のように使われる。危うく、少し同情しそうになった。
「けど、どちらにせよ、このまま野放しにはできない」
「どうするんだ?」
「捕まえて、元の世界に逃がす」
すてらは何でもないことかのように言うが、相手はドラゴンだ。ただでさえ強大な力を持つうえ、牙人が一瞬で無力化された。それとも、魔法を使えば、あるいは可能な話なのだろうか。
いろいろと思うところはあったが、牙人は一言「……そっか」と小さな声で応えた。
そんな牙人を横目に、すてらは何やらスマホを取り出して、じっと画面を見つめた。
「……そろそろ」
意味深に呟いて、スカートのポケットにスマホが戻される。
「呼んでいた人が、来る頃」
「え?」
どういうことだ、とか、誰のことだ、とか訊く前に、牙人は公園の入り口の方に足音を聞きつけた。スニーカーが、アスファルトを踏みつきえる音。
ほどなくして、足音の主が姿を現す。
男……だが、身長は低め。体格的に、中学生くらいだろうか。
向こうもこちらを視認して、近寄ってくる。どうやら、用があるのは牙人たちのようだ。通りすがりの近所の少年とも思えない。
そうして立ち止まった彼は、すてらの方を見て、それから牙人を一瞥して、もう一度すてらを見つめた。
「——話とはなんだ、“凍星の魔女”」
くしゃ、と灰色の髪に手をやりながら、その少年はぶっきらぼうにそう言って、紅い眼をゆっくりと瞬かせた。




