第32話 栞の弱さ、牙人の弱さ
「——と、いうわけなんですが」
話し終えた牙人は、気恥ずかしさをごまかすようにレモンサワーに口をつけた。
もちろん、異能力に関する話は「仕事の関係で」というようにぼかしている。
栞が大事な場面で先走り、ミスをしたこと。それを牙人がカバーできなかったこと。栞には親の仇の人物がいて、復讐をしようとしていること。それを知って、牙人が正論とともに理不尽な怒りをぶつけて、栞を傷つけてしまったこと。
ふんふんといつになく真面目な顔で聴いていた明日香は、「うーん……」と唸りながら天井を見上げた。
「思ったより重くて、酒がまずくなるよこれ……」
「宗像さんがなんか話せって言うから話したんですけど」
「あたしは面白い話してって言ったの!」
音を立ててジョッキをテーブルに置くと、明日香はこれ見よがしに、やれやれとでも言いたげに首を振った。
それから、鼻から息を吐きながら、頬杖をつく。
「まあ、あたしは優しい先輩だから? 悩める後輩くんの相談に乗ってあげてもいいんだけど~」
なんだか腹の立つ言い方だが、一人で同じところを回り続けるのも、そろそろ勘弁してほしくなってきたところだ。誰かに相談すれば、何か見えてくるのではないか。うっすらとそんな期待を胸に、牙人はしぶしぶ「お願いします」と仰々しく頭を下げた。
「その代わり、さっきのなしね」
「え?」
「奢るって言ったやつ。相談料でチャラね」
「えー……」
やはり、相談する人を間違えただろうか。
そこはかとなく不安になってきたが、牙人はそんなやり取りに口を緩めた。今は、あけすけな明日香の態度が、なんだか安心する。
「後輩くんは、栞ちゃんと仲直りしたいんでしょ?」
「そりゃまあ……」
できることなら、したいと思っている。
「けど、自分でも、なんて謝ればいいかわかんないんですよ。……ただ、『ごめんなさい』っていうのも、薄っぺらい気がして」
頭を掻きながら牙人が言うと、明日香が少しだけ目を見開いた。
「へえ」
「……なんすか」
「いやあ、結構かわいいとこあるなあって思って」
「う……」
自分でも、幼稚なことで悩んでいる自覚はある。それを改めて指摘されると、やはりそれはなんだか恥ずかしくて、牙人は目を逸らした。
「ごめんごめん。真面目にやるからさ」
眉を下げて笑いながら、明日香はまた、ジョッキを傾けた。んくっ、と喉を鳴らしてから、口を開く。
「にしても、栞ちゃん、結構大変な人生歩んできたんだねえ」
「みたいですね」
「それを後輩くんに話してくれたってことは、結構信頼してくれてたってことなんじゃない?」
「信頼……?」
首を傾げる牙人。もともと、栞に怪しまれたおかげで足を踏み入れた異能力の世界だ。その栞に、信頼されているというのは、なんだか変な感じがした。
「言ってみれば、たぶんそれって栞ちゃんの弱さなわけ。その弱さを打ち明けた相手に、自分の気持ちを全否定されたら、そりゃあいい気持ちはしないでしょ」
「……」
改めて考えてみれば、そうかもしれない。
「しかも、あたし、後輩くんともう一年近く一緒に働いてるわけだけど」
「そうですね」
「後輩くんって、あんまり自分のこと話さないよね」
急に、心の奥の柔らかいところに踏み込まれたような気がして、牙人はひゅっと喉を鳴らした。
「そう、ですかね……」
「そうだよ」
ちょっと怒ったような、呆れたような顔をして、明日香は語気を強めた。
それから、我に返ったようにわざとらしく咳ばらいをすると、明日香は「まあ、あたしのことはいいんだけど」と、ちっともよくなさそうな表情で言った。
「たぶんそれって、栞ちゃんに対しても同じなんでしょ?」
「……」
「自分の弱さを晒したのに、相手は同じように弱さを見せてくれない。そのうえ、誰の言葉かもわからない一般論であれこれ言われるなんてさ。もう寝取られよこんなん!」
「寝取られって……」
ヒートアップしてきた明日香の謎の言葉選びにツッコミを入れるが、それどころではない真面目なまなざしに、牙人は口をつぐんだ。
確かに、牙人は正体を隠して生きている。それを、心を開いていないと思われても仕方がない。いや、実際、本当の意味で心を開いていなかったのかもしれない。
怖いのだ。自分の本性を、過去を話して、周りの人が離れていくのが……。
だけど、栞は、それをやってのけた。いつまでも怯えている牙人とは違った。栞は、強い。
「ま、そういうことなんじゃない? たぶん」
急に投げやりな口調になった明日香が、剥いた枝豆の莢を器の隅に置いて、考え込む牙人を諭すような口調で言った。
「たぶんって……」
「あとは、後輩くんが自分で考えることだよ」
「……」
突き放すような、しかし確かに温かみを持った明日香の言葉に、牙人は目を瞬かせた。
適当なようで、時折はっとするようなことを言う人だ。押し黙った牙人を見て、明日香は愉快そうに枝豆をちゅるりと食べた。
「ちょっと思ったんだけどさあ」
ジョッキを持ち上げた手をゆらゆらと動かしながら、思い出したように明日香が言った。
「今の君たちの状況、結構あたしの占い通りだと思わない?」
「……」
「いやいや、そんな目しないでよ!」
いい話の後で急に何を言い出すのかと、怪しむような視線を送る。慌てるように手を振りながら、明日香は視線を上の方に向けて何かを思い出すようなしぐさをした。
「だって、栞ちゃんは感情的になって失敗して。後輩くんは、カバーができなかった……つまり本領発揮できなかった。……って、ちょっとこじつけすぎかな?」
牙人も、おぼろげな記憶を引き出しから引っ張り出してみる。
確か、栞は災難が起こるとか言われたのだったか。そして、牙人のカードの意味は「拘束」とか「停滞」……だったはずだ。
「まあ、確かに……?」
そう考えると、なんとなく当たっているような気がしてくる。
「ふふん。これでも、占いを教えてくれた叔母さんからは、すごい才能だって褒められて……」
「そんな情報明かされると、ちょっと怖くなってくるんでやめてください」
妙な信憑性が増してしまう。
占いは、占い。そのくらいで割り切っておくのがいいだろう。
「なんなら……後輩くんの恋の行方とかも占ってあげるよ?」
おどけるように、ぱちん、と指を鳴らしながら、明日香がウインクした。
「遠慮しておきます」
牙人は、冗談めかしたふうに言って、苦笑した。
約束通りに自分が頼んだ分は自分で払って、牙人と明日香は居酒屋を後にした。とりあえず、ぶらぶらと駅まで歩く。
「あたしの家、最寄りから結構遠いんだよね~。歩くのめんどくさいしタクシー呼ぶかな」
伸びをした明日香は、小さくあくびをこぼした。
「今日は、ありがとうございました」
「いいよ~、結構楽しかったし」
明日香は、酒が入って赤くなった顔で、たはーと口を大きく開けて笑った。
そうして駅で明日香と別れた牙人は、いつも通り三島広小路駅で降りて、街灯が薄く照らす夜道を歩く。
夜になっても、やはり蒸し暑さはまだ消えないものだ。Tシャツの襟元をぱたぱたと動かしながら、ふう、とため息をつく。
そんなこんなでアパートに着いた牙人は、はたと足を止めた。
牙人の部屋、一〇三号室。その扉の前に、誰かが背を向けて立っている。
ブレザーの制服は、この辺りの高校のものだったと思う。スカートの裾とともに、輝く銀髪がふわりと夜風に揺れた。その少女は機械のように無機質に、ただそこにいた。
「えっと……佐藤さん、でしたっけ」
「ん」
歩み寄った牙人が声をかけると、少女——佐藤すてらが、短い返事とともにくるりと振り向いた。
突然話しかけられたことへの驚きや戸惑いなどは特に感じられない。ただ、呼ばれたから応えただけ。そんな表情だった。
もうすぐ、日付が変わる。こんな時間に、女子高生が一人、成人男性の部屋の前にいる。怪しげなにおいしかしないし、この状況を近隣住民に目撃されようものなら、通報待ったなしである。
「そこ、俺の部屋なんですけど……何か用ですか?」
「待っていた」
小ぶりの唇から、鈴のような声が紡がれる。
待っていた、とはどういうことだろう。すてらが隣に越してきてから少し経つが、別に個人的な付き合いはない。時々顔を合わせれば挨拶をするくらいだ。
そんな牙人の疑問をたたえた目を受けても、変わらず宝石のような瞳が、まっすぐに牙人を見つめた。
「あなたに、話がある」




