第30話 それに引き替え
「単刀直入に言いましょう」
会議室。
有悟の対面に座った傑に全員の視線が集まる。目を閉じた傑は、ゆっくりと足を組み替えた。
「第十七隊が遭遇したという……便宜上ドラゴンとしておきましょうか。そいつの正体は……」
部屋の中に、ぴりっとした緊張感が走った。
「——“暴食”である可能性が高い」
有悟が、静かに顔をしかめたのが見えた。
「“暴食”……?」
とは、なんだっただろうか。
なんだか聞き覚えのあるワードに、牙人は首を傾げた。もちろん、ワードとしての「暴食」は当たり前に知っているけれど、最近どこかで聞いたような気がしてならない。
視線を上に向けて考え始めた牙人の横で、千春が「はいはい!」と小学生みたいに元気よく手を挙げた。
「それって、車の中で隊長が言ってたやつー?」
「そうだな」
「いえい!」
千春と有悟のそのやりとりで、頭の隅にしまい込んでいた記憶がよみがえる。
——情報屋からの追加リークで、“宵闇”に新しい戦力が入ったっつーのがあった。
——“暴食”だったか? 強力な能力者とかだろうな。詳しくはまだ調査中って言われたが。
牙人は、ああ、とほとんど吐息のような声を漏らした。
再び視線が傑に集まったタイミングで、傑は口を開いた。
「実はその後、情報屋が新しい情報を持ち込んできましてね。なんでも、“暴食”は巨大な珍獣のことであるとか……」
「珍獣……」
ドラゴンというのは、珍獣の類に入るのだろうか。確かに、「珍しい獣」ではあると思うが。
「それから、そいつを管理しているのが——周郷博隆という男である、とか」
「……っ!」
一同に、衝撃が走る。牙人も、目を見開いた。
こちらは、聞き覚えがあるどころの話ではない。牙人の胸に漂うもやもやが、ずしんと胃の上に乗ったような気がした。
有悟は、腕を組んだまま椅子の背もたれに体を預けて、鼻から長い息を吐いた。
「それはもう……間違いねえだろうなぁ」
「はい。残念ながら、なぜ“暴食”なんて呼ばれてるのかはわかんないみたいですけどね」
「んなもん、この界隈にゃ珍しいことじゃないでしょう」
「はは、確かに。コードネームの由来なんてこじつけみたいなのがほとんどですからね」
愉快そうに体を揺らした傑は、体を前に倒して「さて」と指を組んだ。
「こっからが本当の本題なんですけど」
「本当の……」
「ええ。うちのお偉いさん方も、未知の異分子が不安みたいで」
「ま、だろうな」
鼻を鳴らした有悟に、傑がうなずいて続ける。
「そこで、上層部が“暴食”の抹殺を兼ねた掃討作戦、というものを計画してるみたいなんですよ」
「おお~!」
千春が、目を輝かせて身を乗り出した。
「反撃の時だよ! 地球を守るんだー!」
「守るのはこの国の治安だよ」
立ち上がった千春に、傑がにこやかにツッコミを入れる。
「そうは問屋が卸さない!」
掲げていた拳を傑に突き付けた千春が、意味不明なことを口走る。たぶん、使い方が違う。
「相変わらずだね君は……」
「えへへー」
「褒めてない」
心なしか、傑の笑顔の裏にイラつきが見える。
あきれていいやら尊敬していいやらよくわからないが、そういえば千春も大概に変人だった。先程見せつけられた傑の異常なまでのブラコン性をもってしても、千春には勝てない気がする。いろんな意味を込めて、さすがだ。
牙人は、どうどうと千春をなだめて座らせる。
改めて有悟を見ると、苦々しい顔で傑を見据えていた。
「で……それをわざわざ言うってこたぁ、うちに参加しろと?」
「話が早くて助かります」
傑は、また裏の見えない笑みを浮かべた。
「現状、“暴食”を実際に目撃したのはこの第十七隊のメンバーしかいません。ぜひとも、協力をお願いしたいんですよ」
「ったく、『お願い』っつーか結局最後は命令になんでしょうが」
「ま、そうなんですけどね」
ぼやいた有悟に、傑が他人事のように言い放つ。
眉間を指でつまむようにして揉みながら、有悟は深くため息をついた。
「……了解」
「ありがとうございます」
傑がにこやかに言って、ぺこりと頭を下げる。
牙人の隣で「血で血を洗う争いだー!」とか言って万歳のポーズを取っている千春を華麗に無視して、傑が立ち上がった。
「では、僕はこの辺で」
ずっと無表情で静かにしていたりこが、くしゅん、と小さなくしゃみをした。
渉とともに事務所の玄関の外まで傑を見送りに来た牙人は、目の前の光景をなんとも言えない表情で見つめていた。
「お兄ちゃん帰っちゃうよ!? もっとハグしようよ!」
「いいから……!」
余裕のある笑みを見せていた先程とは別人かと思うほどの猫なで声を出しながら、傑が渉にすり寄っていく。渉は、ほおずりしようとする傑の肩をつかんで引きはがした。
「……それにしても、兄さんがわざわざ来ることじゃなかったよね?」
「んー?」
「そういう連絡ならリモート……少なくとも“局”のサポーターの人が来ればいいのに」
考えてみれば、そうだ。なぜ、第一隊長ともあろう人物が、こんな使い走りのようなことをしているのだろう。
傑は、愚問だとでも言いたげに薄く笑みを浮かべると、「言ったでしょ」と、お手本のようにきれいなウインクを決めた。
「渉に会いに来たのは半分は本当だって」
「まさか……」
「無理言って抜け出してきちゃった」
ぺろ、と舌を出した傑が、語尾にハートマークでもついていそうなポップな口調で言った。
「それだけ……?」
「うん!」
渉は、深い深いため息をついた。素晴らしい兄弟愛である。
「あ、狼谷くんだっけ、君」
「え……あー、はい」
突然流し目が自身に向けられて、牙人は一瞬固まった。
少しだけ距離を詰めてきた傑が、牙人の肩にぽんと手を置く。
「渉と同年代の男の子がいると嬉しいよ。仲良くしてやってね」
「兄さん」
咎めるような渉の声に、傑は笑いながら手を離した。
「ま、そんなわけでよろしく」
「うす……」
傑は、満足げにうなずいて、傘立てからシックな色合いの傘を手に取った。
「またね! 愛しの弟よ!」
「なんというか……すごい人だったな」
「……すみません」
傑を見送った後、牙人と渉は苦笑しながら顔を見合わせた。
「……兄さんは」
「ん?」
「兄さんは、あんなですけど、すごいんですよ」
渉は、眩しそうに目を細めながら、ぽつりとそう言った。
「僕の家、親戚みんな能力者なんですよ。だいたい、結構強力な異能力で。その中でも、兄さんは、飛び抜けて凄かったんです」
傑が去っていった方をまっすぐに見ながら、渉は続ける。
牙人も、なんとなく視線をそっちに向けた。
「頭もよくて、運動もできて、友達もたくさんいて……」
「……そっか」
「そのうえ異能力もすごいんです。中学生の頃にはもう“局”に入って、そこからどんどん実績を積んでいって。今や第一隊長ですよ」
実の兄弟のことだというのに、渉の語り口は完全な他人事のようだった。まるで、テレビの向こうのヒーローのことでも話しているかのような……。
「それに引き替え、僕はてんでダメなんです」
渉は目を伏せて、痛々しく自嘲気味に口元を引きつらせた。
牙人は、何か言葉を探そうとして、口を開いたが、声は出なかった。
「勉強は頑張ったけど、兄さんには届かなかった。運動はからきし。友達も……あまりいないですし」
「……」
「異能力も、戦闘では何の役にも立たない」
そこまで話し終えると、渉は、ふぅ、と何かを冷ますように息を吐き出した。
「僕は、この前の藤枝での一件があったとき、すごく悔しかったんです」
「悔しかった?」
「こんな僕の力を必要だと言ってくれた、この隊のみんなが、ピンチだったのに。僕は、何もできなくて」
「っ!」
牙人は、ぴくりと体を跳ねさせた。
「……すみません、急にこんな話しちゃって」
「ああ、いや……」
目を逸らして、牙人は小さな声で言った。
「戻りましょうか」
眉を八の字にして笑った渉が、ドアを開けて事務所の中に戻る。
牙人は、閉じたドアの前で、空を見上げた。まだ、雨はやみそうになかった。




