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第29話 愛されてるな

 兄さん、と、渉は言った。

 しかしその声は、ただの兄に向けるような声ではないように聞こえた。

 渉の言葉を受けて、傑はにこりと笑みを浮かべる。

「……」

「……」

 かたや緊張にこわばった表情。かたや真意のわからない笑顔。両者の間に、沈黙が流れる。

 もしかすると、二人の関係はあまりよくないのかもしれない。兄弟で仲が悪いというのも、けして珍しい話ではないだろう。牙人は緊張に乾く喉に唾を送って、渉と傑のにらみ合いを見つめた。

 言われてみれば、渉と傑はどことなく顔立ちが似ている気がする。垂れ気味の目元のあたりとか、面影がある。

 もしかすると、渉も整った顔をしているのではないだろうか。長い前髪と眼鏡のせいで、顔が半分近く隠れていてわからないが……。

 居心地の悪さから思考がずれ始めた牙人が眺める中、剣呑な雰囲気はしばらく続いた。


 ——沈黙を破ったのは、傑だった。


 こつ、と。


 踏み出した革靴が、音を立てた。

 それを見た渉は顔を引きつらせ、「いっ」と短い悲鳴を上げる。


 一瞬の後。


「渉ぅーっ! 会いたかったぞー!」

「うぐぅ」


「……は?」

 がばっと渉に抱き着いた傑に、牙人は拍子抜けしたように声を漏らした。

 眼前で繰り広げられる、熱い抱擁。といっても、一方的だが。

「兄さん……僕もう成人男性なんだけど……」

「そんなこと言うなよぉ。僕たち兄弟だろ?」

 しっかりと腕を背中に回した傑を、渉が迷惑そうに引きはがそうとしている。が、全く離れる様子はない。

「すみません、うちの兄が……」

 端正な顔をだらしなく崩してすりすりとほおずりしようとする傑を右手でガードしながら、渉はため息をついた。

「愛、だね」

 いつの間にか隣に立っていた千春が、腕を組んでしたり顔で呟いた。目を閉じてうんうんとうなずいている。そういうものだろうか……。

 あまりにもカオスな光景に、牙人も考えるのを放棄することにした。

「愛されてるな……」

 もみくちゃにされる渉に、合掌。

「わーたーるぅー」

「ちょ、やめ……」




「……で、なんで兄さんがここにいるの?」

 何とか傑を引きはがした渉が、眉をひそめながら尋ねた。

 そんな質問に、傑は乱れたワイシャツの襟元を直しながら、

「そりゃあ、愛しの弟に会いに……」

「兄さん」

「半分は本当なんだけどなあ」

 渉がジト目を送ると、金メッシュを揺らしておどけたように言う傑。渉は、困ったような表情でため息をついた。

 いつもはおとなしい渉が、兄たる傑相手には容赦ない。まあ、先程の絡み方を見るに、そうなっても仕方ないような気もするが。


「真面目な話をすると、中村さんに伝えることがあってね」

「隊長に?」

「この前の——藤枝での一件について」

「……!」

 藤枝での一件、となれば、一つしかないだろう。

 息を呑んだ牙人は、同時に栞のことを思い出して少し顔を歪めた。せっかく急な来客で薄れていた後悔がよみがえり、ちくちくと胸を刺す。

「で、その中村さんが見当たらないんだけど……」

「隊長なら、地域の集まりに行ってるよー」

 千春の言葉に、傑は「あちゃー」と笑いながら頭を掻いた。

「タイミング悪いなー、僕」

「先に連絡入れてくれればいいのに……」

「それじゃ、サプライズにならないだろ?」

 決め顔でウインクする傑に、渉は「はいはい」と苦笑をにじませた。


「とりあえず、さっき“思念伝達”で伝えたから、もう少ししたら帰ってくると思うよ」

「おおー、さすが我が弟!」

 傑が、嬉しそうにわしゃわしゃと渉の頭をなでる。もはや諦め顔でされるがままの渉に、涙を禁じ得ない。別に泣かないけども。代わりに、生暖かい目を向ける。

「しかし、少し時間ができちゃったなあ。……さて」

 素早い動きで渉の方に向き直り、傑が目を輝かせる。

「ここは、思う存分渉を愛でようじゃないか!」

「やめて」

「弟が塩対応でお兄ちゃん悲しい……」

 渉に抱き着こうと広げた両腕を下ろして、本気で悲しそうな顔をする傑。

「とにかく、隊長が帰ってくるまでここでおとなしくしておいてね」

「はーい」

 間延びした返事をして、傑はどっかりとソファに腰を下ろした。


 それを見届けてから、牙人は隣の千春に小声で「なあなあ」と話しかけた。

「んー?」

「“局”の第一隊長ってなんかすごそうだけど、どういうもんなの?」

「あー、それねー……」

 こほん、と気取るように咳払いをした千春が、びしっと指を牙人の鼻先に突き付けてきた。反射的に後ろにのけぞる。

「説明しよう!」

 大声で言い放ってから、千春は満足そうに腕を戻した。どうやら、これがやりたかっただけらしい。当然、渉と傑が不思議そうにこちらを見てくるが、愛想笑いで適当にごまかしておく。

 そんな牙人を横目に、千春は「えーとね」と少し考えるそぶりを見せた。

「まず、“局”っていくつも部隊があって、それぞれに番号が振られてるんだよね。例えば、うちは第十七隊」

 じゅうなな、と言いながら、両手の指で十と七を作る千春。

「ふむ」

「まー、基本的には部隊の番号って別に意味とかないんだよねー。……けど」

 そこで、千春は人差し指をまっすぐに立てて、にやりと笑みを浮かべる。


()()()()()()()()()()()


「一桁っていうと……」

 自然と、牙人の視線は傑の方に向かう。スマホゲームに没頭する渉を、にこにこと上機嫌で眺めていた。

 ここまでブラコン——もとい兄弟愛の強い人物は初めて見た。が、今重要なのはそこではない。顔の向きを戻した牙人に、千春が続ける。

「第一隊から第九隊までの九つの部隊が、“局”の()()()()なのだよ!」

「最高戦力……」

 これはまた、大仰な言葉が出てきたものだ。

「その中でも序列があって、第一隊が一番すごいってわけ」

「なるほどなあ。……ん?」

 牙人の脳が、フリーズした。

「どったの?」

 千春が、首を傾げて見上げてくる。

 牙人は歯の隙間から息を吸いながら、傑を指さした。

「え? あの人第一隊長なんだよな?」

「うん」

「第一隊の、隊長?」

「うん」

「ええええええええ!?」

「うるさいぞ、人狼くん!」

「うごっ」

 思わず叫んだ牙人は、首筋にチョップを食らって、つんのめる。

「あんたに言われたくないな!」

「ふははははは!」

 振り返って抗議するも、千春はなぜか自信満々に高笑いしてきた。本当になぜだ。


 とにかく、傑が思った以上にすごい立場の人物だということはわかった。それはつまり、実質的に“局”で最強、といっても過言ではないのかもしれない。

 渉も、すごい兄を持ったものだ。肝心の弟に対する愛が、ちょっとアレな気がしないでもないが……。

「そりゃ、知らないことが不思議みたいな反応にもなるわ……」

 これは、あまり深入りしない方が身のためかもしれない。牙人は、なるべく空気になることを決意した。




 りこを伴って有悟が事務所の扉を開けたのは、それからニ十分ほど後のことだった。

 有悟はソファに座る傑を見とめると、「どーも」と片手を挙げた。

「俺に話があるんですって?」

「おおー、おひさしぶりです中村さん。いつもかわいい弟がお世話になってます」

 傑が立ち上がって、ぺこりと頭を下げる。


「……第一隊長ともあろうあんたが、直々に、ねぇ」

 訝しむように目を細めた有悟は、口元に笑みを浮かべながら、頬を垂れる汗を拭った。

「ま、とりあえず会議室の方で。こいつらも一緒に聞いてもいいですかね」

「ええ、もちろん」


 傑の爽やかな笑顔は、やっぱり、底が見えなかった。

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