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〔4〕

 救急車で運ばれ、医師から受けた診断は低血糖症だった。

 炭水化物摂取の制限しすぎや激しい運動の後などに起きやすく、思考力の低下・イライラ・ふらつき・頭痛・倦怠感などの症状が出るらしい。

 身に覚えがありすぎて、落ち込んだ。

 点滴を受け、経過観察で一晩入院して自宅に戻れたけど母が心配するのでもう一日学校を休むことになった。

 携帯には心配した部活仲間やコーチ、クラスメイトからメッセージがたくさん届いている。

 だけど、春風一二美からのメッセージは無かった。

 自分が気付かなかっただけで、最近の私は毎日イライラしていたのだろう。そのせいで一二美は笑わなくなって、どこか私に遠慮しているような素振りもあった……。

 もしかして、倒れるほど食事制限してる私の前で無邪気に菓子パンを食べていたことを気に病んでいるのかな?

 違う。違うよ、一二美。

 悪いのは私。

 お母さんからもコーチからも心配されてたのに、うるさいとしか思わなかった。食べないことで、こんなに影響が出るとは思わなかった。

 幸せそうに食べる一二美を見ているのが大好きで、自分は食べなくても大丈夫だと思っていたんだ……。

 三日ぶりに登校した日の昼休み、いつものように一二美がひょっこり教室入り口に顔を出すことを期待しながらお弁当を開いた。栄養士さんの指導を受けて、お母さんが作ってくれたお弁当。

 生姜の香りがする甘辛味付けの鶏そぼろを敷き詰めた御飯、蓮根とゴボウとニンジンのきんぴら、ホウレン草のおひたし、カボチャの煮付け、プチトマト。そしてオレンジがワンカット。

 定番のブロッコリーは悪習慣の思い出だからか、入っていない。ブロッコリーが悪いわけじゃ無いんだけど。

 お母さんが、どんな想いでこのお弁当を作ったか考えながら、よく噛んで飲み込んだ。

 美味しいという感覚はまだ良く解らないけど、ありがとうと思いながら食べると味覚を刺激する色々な味が、だんだん嬉しくなってくる。

 この感覚が、一二美を笑顔にしているのだと初めて解った気がした。

 だけど、その日の昼休み。

 一二美はとうとう姿を見せてはくれなかった。

 田部井コーチから一週間の練習禁止を命じられた私は、終業のチャイムと同時に一二美のクラスに向かった。探しても一二美の姿が見当たらないので、教室を出てきた女子をつかまえ聞いたら「大事な用事がある」と言って午前早退したという。

 会いたい。

 会って、「私もしっかり食べるから、また一緒にお昼を食べよう」と伝えたい……。

 沈んだ気持ちのまま駅に向かって歩いていると、バターと砂糖が溶け合った甘い香りに気が付いた。

 あぁ、いつの間にか『サン・ベーカリ』の前まで来ていたんだ。

 ふと、一二美がいるような気がして立ち止まった。

「大事な用事で早退したんだから、いるわけ無いよね……」

 思い直して歩き出したとき。

「待って、涼子ちゃん!」

 お店から飛び出してきた陽向さんが、私を呼び止めた。

「えっ、あの……なんでしょう?」

「お願いがあるの、少し中でお話しできないかしら?」

「……?」

 陽向さんは、彼女らしくないほど強引に私の手を掴んで店内へ引っ張り込み、カウンター裏のテーブルに座らせた。

「ちょっと待っててね」

 真剣な表情で言われたので大人しく座って待っていると、陽向さんは奧にあるキッチンからハーブティーのポットとサンドイッチの乗ったお皿を運んできた。

 ハーブティーはハーブと一緒にオレンジやリンゴやベリーが入ったフルーツハーブティー。サンドイッチは……なんだろう? パンはフランスパンみたいだけど、中身はハムカツ?

「栄養不足と低血糖で倒れたって聞いたわ。だから元気になるように考えた涼子ちゃんスペシャル、食べてくれる?」

 戸惑う私に陽向さんは笑顔で言った。

 私が倒れたこと、多分お母さんから聞いたんだ。そして私が食べたくなるような惣菜パンの相談でもしたのだろう。

 せっかく、陽向さんが私のために考えて作ってくれたのだ。お母さんのお弁当と同じように、ありがとうの気持ちで齧り付いた。

 絶妙のバランスで表面カリカリの皮を残し薄くスライスしたバゲットに、このカツは……レバカツ? レバーは苦手だけど、あの独特の臭みやザラザラ感がなくて香りも良い。

 味付けはソース……にしては優しい甘さ。

 薄いサクサクの衣は油っぽく無くて、普通よりさらに細く刻まれた千切りキャベツのおかげで歯当たりがいい。

 それに……あぁ、オレンジの香りと酸味。

「美味しい……です」

 言葉にして私は、自分で驚いていた。

 美味しいと、思うことが出来たんだ。

「良かった! 美味しいって!」

 陽向さんがキッチンに向かって声を掛けた。たぶん、店長のお父さんも協力してくれたんだ。お礼を言わなきゃと、立ち上がってキッチンの方に顔を向けた。

「……一二美?」

 ところがキッチンから現れたのは、可愛らしいレモン色のエプロンをつけた春風一二美だった。

 一二美は大きな両目に涙を溜め、私に走り寄って抱きつく。

「うぇっっうえぇぇええっ……良かったよう……私、スー子がゴハンを食べなくて、このままじゃ死んじゃうんじゃないかって、すごくすごく心配してっ……ひっく……うえっく……それで食べて欲しくて……でも無理強いして嫌われちゃって……そしたら倒れたって聞いて……」

「ごっ、ごめんねぇ、フーミン。私、自分のことばっかりで……。嫌ってないよ……私が悪かったんだから、泣かないでぇ……」

 我慢できなくなって、私も泣き出す。

 号泣する私達にタオルを渡し、少し落ち着くのを待って陽向さんは一二美のことを話してくれた。

「私と一二美ちゃんが仲良くなったのは、そもそも涼子ちゃんのことを相談されたからなのよ? 大事な友達がゴハンを食べないから、どんどん痩せて元気も無くなっているって」

 毎日のようにパンを買ってくれる可愛い女子校生に相談されて陽向さんは、なんとか力になりたいと思ったのだそうだ。そして、どんなパンなら食べてくれるか二人で考えたのだという。

 栄養価が高く、鉄分やビタミンが豊富なレバーを臭み抜きのため牛乳に浸した後、ウスターソースと蜂蜜の特製ソースに漬け込んで挽きの細かいパン粉をまぶし、ノンフライヤーでカリッと焼き上げる。

 レバーに味付けしてからフライにするのは、フランスパンは食パンより気泡が荒いのでソースが漏れて美味しそうに見えなくなるから。ノンフライヤーを使用したのはカロリーを気にする涼子への配慮。さらにオレンジの酸味と香りで爽やかさをアップ。

 芯に近い柔らかい部分を可能な限り細く刻んだキャベツもタップリ入れて、野菜と食物繊維も十分に。

「もしかしてフーミンが今日、早退したのって……」

 私の質問に一二美は、照れくさそうに笑う。

「だってぇ……早く元気になって欲しくてぇ。ホントは家まで届けるつもりだったんだけど、陽向さんがお店の外にいたスー子を見つけて連れてきちゃったから、めっちゃ焦ったよぅ」

 あぁ……一二美の笑顔を、ようやく取り戻した。

「ずっと前から、私のこと心配してくれてたんだ……うっ……ありがとう……」

 嬉しくなってまた泣き出した私は、涙と鼻水でグチャグチャになりながらサンドイッチを全部食べきった。




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