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〔1〕

 食欲の秋と、人は言う。

「天高く馬肥ゆる秋」の諺もある。

 空は高く青く澄み渡り、心地よい日差しと頬を撫でる涼やかな風。美味なる穀物や果物が、豊富に実る秋……。

「……って、食べ過ぎじゃない? フーミン!」

 午前授業終わりのチャイムと共に、山ほどの惣菜パンを机に積み上げた春風一二美はるかぜ ひふみは、呆れる私を気にする素振りもなく満面の笑みを浮かべた。

「うん、心配しなくて大丈夫よぅ、スー子。五個中三個がお昼で、残りの二個はオヤツなの」

「そういう問題じゃなくてさぁ……」

 溜息と共に私は自分の机から椅子を引っ張って、一二美の正面に腰掛ける。

「昨日も半分はオヤツと言いながら、ポテサラ・サンドとカレーパンとチョココロネ、全部食べちゃったじゃない? 机に並べたら我慢できなくなるから、オヤツの分は鞄から出さない方が良いと思うけど?」

 私の提案に一二美は小さな頭を振って抗議する。天然パーマの長い髪がフワフワ広がって甘い香りを振りまいた。

「だってだって、全部並べてどれから食べようかなって悩むのが楽しいの。この気持ち、わかって欲しいんだよぅ」

「わかんない」

「あぁん……スー子、陸上部エースだからってストイックすぎるんだよぅ。ブロッコリーと鶏のササミばかり食べてないで、たまには……ほれ、このコロッケパンを食すが良い!」

「うっ……!」

「均一に綺麗な焼き色をしたコッペパン。縦一文字の切れ目には、黄色くて可愛らしいコーンがこぼれ落ちそうなほどタップリ入ったコロッケの断面が二つ並んで、ソースは甘めの中濃ソース。ザクザク食感のキャベツたっぷり! そのかわり、そのオレンジちょうだいっ!」

 きめの細かい食パンみたいに真っ白で柔らかそうな頬が、一二美の笑顔でふっくら膨らんで……。

「美味しそ……いやいや、ダメダメ! オレンジは私の唯一の楽しみなんだから、譲れません!」

 頬をつつきたい誘惑を抑え込んで、私は一二美とコロッケパンに背を向けた。

 私……綾波涼子あやなみすずこは、陸上部短距離走選手。

 ここ、私立秋草高校で二年連続インターハイ予選県大会に出場している。

 0・5キロの体重増加が、0・1秒の記録に変化をもたらす世界。少しでも身体を軽くしたくて、中学で陸上を始めてから髪さえもショートカットにしたのだ。

 いくら一二美のすすめでも、コロッケパンに手を出すことは出来ない

「ヤッパリ、食べてくれないのかぁ……体重維持はわかるけどさぁ。身長も随分伸びたし、もっと食べなきゃ筋肉もつかないよぅ?」

 ふぅっと、一二美は大きく息を吐いてから、不満そうに大きな瞳で私を見つめる。

「私のことは良いんだよ、自分の身体のことはちゃんと自分で管理してる。フーミンこそ、そんなに食べたらワンサイズ上の制服が必要になるからね!」

「ふぅん。まぁ、最近胸のあたりがキツいのは確かだけど……」

 ブレザーを脱いで白シャツだけのフーミンが、ゆさゆさと胸を揺らす。羨ましさをグッと堪え、私は自分のお弁当箱を机の上に開いた。

 一二美が言った通り、今日もブロッコリーと鶏のササミ。小松菜のシラス・ポン酢和え、トマトとチーズの卵焼き。デザートにオレンジのワンカット。カルシウムとタンパク質多め、炭水化物はなし。

「スー子、運動量多いのに、そんだけで足りるの? ねぇほら、このクリームパンあげるよ?」

「いぃーらぁーなぁーいってば!」

「えー? こんなに食べたら太るし」

「気にするくらいなら、たくさん買わなきゃいいでしょ?」

「だってぇ、『サン・ベーカリー』の陽向さんの笑顔が素敵だからぁ、ついついたくさん買っちゃうんだよぅ」

 一二美、お気に入りのパン屋さん『サン・ベーカリー』。

 私達が通う私立秋草高校から、最寄り駅に行く途中の人気店だ。

 豊富な種類の惣菜パンは味もボリュームも大満足で、何しろ安い。朝はお昼や朝練後の腹拵え用に最適な惣菜パン。夕方には帰宅する学生を対象に、オヤツや間食に最適な甘いパンが棚にたくさん用意されているのだ。

 しかも、店主の娘さんで看板娘でもある陽向さんが超美人!

 紅いタータン柄の三角巾とエプロン。キッチリとアイロンが掛かって清潔そうな白いブラウス。膝下までのスカートは日替わりで、タイトだったりフレアだったり。

「はぁあ……エプロンがぱっつんぱっつんになるほど、ふくよかな陽向さんのオッパイに顔を埋めたい! 焼きたてパンみたいに柔らかいんだろうなぁ……マジ天使、陽向さん可愛いよぅー!」

「……私はフーミンの方が可愛いと思う」

「んっ? なに?」

「……っ、なっなんでもない!」

 一年中グラウンドで走っている私の日焼けが落ちない茶色の肌と違って一二美は、ほんのりピンクがかった白い肌。胸だって陽向さんに負けないくらいボリュームがある。

 それに、好きなパンを食べているときの幸せそうな笑顔は天使そのものだ。

 眺めているだけで、お腹いっぱい……と、思ったそばから一二美が新たなパンの包みを開く。

「あっ! フーミン、それ四個目じゃない? お昼は三個までじゃなかったの?」

「んっふふふんっ! やはり大好きなハムカツサンドを放課後まで我慢することは出来ませんでしたっ! 天に星、地に花、人に愛。そしてパンにはハムカツ! これぞ天の理、この世の真理なり!」

「そんな諺、聞いたことないんですけど? しかも人には愛ってさぁ……あまり大食いしてると、好きな男が出来ても逃げられちゃうからね?」

「大丈夫だよぅ! 私が恋してるのは『小麦の妖精』さんだから!」

「ぷっ、『小麦の妖精』って?」

 ああそうか、陽向さんのことか。パン屋さんだから小麦粉に引っかけて『小麦の妖精』さんねぇ……。

 一二美に彼氏が出来るのは、当分先のことになりそうだ。

 笑いながら私は、味のない卵焼きを口に放り込んだ。





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