エマ様
「起きて下さい、フロタリアお嬢様」
「う、ん……眩しい」
「もうお日様はあんなに高い所ですよ。 いい加減に起きて下さい」
「何を朝からそんなに怒っているの? 旦那様が女遊びでもしたの?」
「フロタリアお嬢様、どんな夢を見てらっしゃったのですか?」
「ん……何だったかしら、よく覚えていないわ。 酷く嫌な夢だったような気がするのよね」
「そうでしょうね、私を既婚者のように言うんですから」
「あら、だって先月結婚したじゃないの」
「だから、それが夢だったのではないですか?」
「あ……そうだったかしら」
「全く、お嬢様が夢との区別もつかないほど遅くまで読書ばかりなさるからですよ」
「だって本は楽しいわよ? 色んな世界が見れるのだもの」
「私にはさっぱりです」
「ねぇ、そういえば……なんだか身体が痛いわ」
「大丈夫ですか? 三日後には寄宿学校に入るのですよ?」
「ネヴィル様に早くお会いしたいわ」
「でしたらもっと早く起きましょうね、お嬢様。 あちらでは起こして下さる方はいらっしゃらないのですから」
「それは大丈夫よ。 ジャクリンが起こしてくれるわ」
「その方はお友達ですか? 聞いた事がございませんが」
「あら……変ね。 誰だったかしら」
悪い夢を見ていた気がする。
とても嫌な、泣きたくて誰かにすがりつきたくなるような。
なのに、それがどんな夢なのか思い出せない。
私にとって大事な記憶だったはず。
それが何なのか思い出したいのに蓋をされているような。
夢……夢なのだろうか?
本当に夢なら、こんなにも身体中が痛いのはおかしい。
いったい、私は何を忘れているのだろうか。
☆ ☆ ☆
入学からの時間はあっという間。
世の中にはこんなにも色々な人間がいて、思考も何もかも違うものなのかと驚きばかりだ。
家庭教師から学ぶだけでは得る事のできない経験があるのが嬉しい。
だからネヴィル様に会えなくても、遠くから見ているだけでも楽しかった。
たまに目が合えば微笑んでくれるし、頑張ってるようだねと私にわかるように頷いてくれる。
今はそれだけでいい。 例え、ネヴィル様の隣に並ぶのが私でなかったとしても。
ある日の昼下がり、学びに必要な本が図書室にあると聞いた私はジャクリンを伴って向かう事にした。
ジャクリンには婚約者がいない。 ご両親はおそらく貴族のどなたかと婚姻させたいだろう。
こんなに可愛くて素敵な女性なのだ、縁談はいくらでも舞い込むはずだ。
実は既に縁談があるのに、ジャクリンに好きな殿方がいて婚姻に至らないという理由でもあるのだろうか。
「私ね、ここに来るまで狭い世界にいたのだと気づかなかったの。 守られるのが当然だと思ってたわ」
「私は逆かもしれません。 元々平民ですので、フロタリア様のような方の気持ちはよくわかりかねます」
学舎から図書室までは中庭を横目に見ながら歩くのだが、今日はその中庭を斜めに通過する。
たまには外れてみるのも良いと思ったのだ。
すると、向かい側からエマ様がコゼットを連れて歩いて来る。
コゼットはジャクリンが同部屋になる前に一緒だった。 ジャクリンとは正反対の冷たい雰囲気は、エマ様と一緒の今もそれは変わらないようだ。
私は正直、エマ様に声を掛けるのは躊躇われたが、上級生の侯爵令嬢を無視するわけにはいかない。
そして二人との距離が近づいて来た。
他の令嬢と交わす挨拶と大差なく、それでいて心を殺してありきたりの言葉を交わして通りすぎようとした時だった。
私の耳元でエマ様の口が微かに開いたのだ。
『ごめんなさいね』
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