第6話 終幕と波乱
楽しい時間は、瞬く間に過ぎていった。舞台の明かりは消え、代りに開始前に周囲に灯っていた明かりが、再び点灯する。現実に引き戻されるのに抗うように、ビアンカは目を閉じて心惹かれた唄を反芻する。
「どうしましょう。すごい、一気に人が……混んでるわね」
「ええ、例年、終わってすぐは混み合ってしまうのよ。ゴンドラを少し無理してでも町外れまで動かすこともできるのだけど、こういうのはどうかしら?」
「そのつもりで、私も今回は、南国のフルーツを持ってきたわ。干したものだけど、果汁が甘くて、ジュリアが好きな茶葉に会うと思うわ」
「まぁ!」
ふと、周囲を見渡して、終幕とともに流れ出した人ごみに驚くビアンカと違い、昨年も一緒に参加していた面々は、この事態も想定していたため、いそいそと水上のお茶会の準備を進め始めた。メイン会場である中央公園の付近は、水上も陸路もごった返していた。
同刻、レオナルド達もレストランで優雅に夕食をとっており、終わった後の過ごし方は、終わり間際に早々に席を立って混雑前に場を離れる者、終わってから会場を離れようとする者と様々だが、ゆっくりと座って過ごす者は、彼女たち同様に人の波が落ち着くのを待つ者も少なくない。
「そういえば、来る時にも話してたレオナルド様の婚約者って決まったのかしら? あれから何かメアリとビアンカは何か聞いてないの?」
商家ジュリアとコリンナが知らないからと言って、零細貴族のメアリとビアンカが何か知ってることがあるかというと、今回で言うと二人が持つ情報は、彼女の持つそれと変わらない。
「私は、知らないわ。んー、その日、色々あったから、すっかり忘れてましたし」
「ソフィア様を有力視する声は聞くわね。お二人ともお父上同士も親しくされてるし、信憑性は高いんじゃなくて?」
持ち寄ったお茶請けを口にしながら、お茶を楽しんでいる彼女たちの会話は、そこで途切れる。舞台が終わった後の喧騒を引き裂くように、遠くから届いた悲鳴が割り込んだからだ。
きゃぁぁぁあ
突然のことにビアンカ達は肩をすくめる。悲鳴の出所ははっきりとは分らないが、不穏な何かを察知した人々の動揺も騒めきとなって彼女たちの聴覚を刺激する。
「いまの悲鳴…?」
ビアンカが立ち上がると、ゴンドラが微かに揺れた。
「ビアンカ、ここで激しく動くと危ないわ」
「ご、ごめんなさい」
「でも、悲鳴、わたくしも聞こえました。それに、何か他にも…」
心なしか近づいてくる悲鳴と喧騒、その中には、聞き慣れない低い咆哮が、混ざっているのが分かる。少しは人は減ったようだが、まだ、会場の人混みは解消しておらず、依然混み合っている。ゴンドラも水路が混雑しており、すぐには身動きが取れなさそうである。却って、只ならぬ気配を感じ戸惑う人で、先程とは違った意味で広場が混雑し始めてしまう。
「ゴンドラで移動するのは、難しいかしら。降りて行動するにしても、混雑していた危ないわね」
「そうね」
そう口にしたビアンカだったが、同意するジュリアからも緊張が伝わって来る。音に驚き立ち上がったビアンカに冷静に語りかけたように見えたジュリアの手は微かに震えている。他の二人からも仮面越しでも緊張感が伝わって来た。
「ジュリアのお陰で冷静になれたわ。ありがとう。水に落ちてしまったら、溺れてしまうものね」
危ない危ないと、ビアンカは、明るい声で、手を差し出しジュリアの手を握った。不安を抑え込み明るく声を出すビアンカの心を思って、二人も笑顔を作る。
「まずは、ジュリアの言う通り、落ち着きましょう」
「そうね」
「下手に動く方が危険かもしれません。ここで少し様子を見ましょう」
「ここから離れるとしたら、広場の西側に抜けるのがいいわ」
「ええ、中央の大通りは悲鳴が聞こえて来た方につながっているから、酷く混雑してるんじゃないかしら、避けて避難するなら、別の道に出た方がいいわ」
市街に詳しいメアリとコリンナが、方針を提案し、ビアンカとジュリアは、それに賛同する。
うわぁーーーー
逃げろー
留まり様子をみることにしたが、少し経つと悲鳴が近づいてきているのわかった。水路に沿って、下流から近づいてきている様だった。
水竜が出たらしい、兵士が応戦中だ。
なんで、水竜がこんなところに!
水辺は危ない離れろ!
ざわめきから聞こえてきたのはそんな言葉だ。
「水竜ですって? 街にはここ十数年水竜が出るなんてことなかったと、お父様から聞いたわ」
「ええ、水門が強化され、水竜は入ってこられないのでは?」
水上都市であるこの王都に暮らす水竜は飼い慣らされ、ゴンドラを引くなど、生活の一部だった。野生の水竜が襲ってくることも昔はあったが、水路が完備、水門が強化されている今は、そうした危険からは解放され、そんな脅威があった事さえ街に暮らす人々の記憶からは薄らいでいた。
「あれはっ!」
少し遠くに水柱が上がった。街の兵士の攻撃だろうか、水路に向かって放たれたのか、乗っているゴンドラにも水が寄せてきて、時間差で大きく揺れた。
「乗っていると危ないかもしれないわ」
「降りましょう」
「みんな、はぐれない様に気を付けて、落ち着いて移動しましょう」
四人が降りた瞬間に、更に近くで水飛沫が上がり、水面が大きく波打ち、ゴンドラが隣接する船に当たり、音を立てた。
「水際は危ないわ!離れましょう!」
地面に足を付けて、水路から離れ駆け出すビアンカの耳に、ザバンッと何かが自ら飛び出すような水音がした。そして、すぐに近くの地面に重量を持った何かが落ち、振動が伝わってくる。振り返るとギラつく牙に唾液を滴らせて、刺すような眼光で見つめ返す水竜の姿が目に入る。
グゥァォオオオオオオ
禍々しい気配を纏った水竜が、煉瓦を踏み砕きながら、水路を離れて一歩、二歩とビアンカ達の方に歩みを進めてくるが、ビアンカ達の足は咆哮で地に縫い止めてしまったようだ。
逃げなければと頭は動いているのに、ビアンカの身体は凍りつき動くことができなかった。
「きゃ、きゃぁあああ」
「っ………」
悲鳴を上げたのは、コリンナだろうか、それともジュリアだろうか。ビアンカは、声も出せずに居た。街にいる水竜とは違った獰猛な姿に、咆哮に竦んでしまい、声の出し方も体の動かし方も分からず固まってしまう。
「逃げろっ!」
そこへ男の声が突然、降ってきた。黒いマント、黒い仮面で正体は知れないが、彼女達を背に、剣を構えて、水竜に対峙する。
「ここを離れろ!走れるか!?」
「はっ、はいっ!」
ビアンカは、座り込むコリンナを立たせて、その場を離れるよう促す。その間、男は剣で水竜の攻撃を受けていた。余りの重たさに軽く飛ばされるのを見て、身を竦ませたビアンカだったが、男は器用に地面に手をついて体制を整える。戦い慣れているようだ。避難する人々に近づけさせないように、攻撃を加えながら相手の注意を引き、周囲に避難を促す。
「なんだって、街中にこんな奴が……」
男は祭りの空気を一変させてしまった原因を睨みつけながらそう呟いた。去り際に耳にしたビアンカもそれに心の中で激しく同意した。
「こ、怖かった」
涙目でコリンナが口にしたが、気持ちは同じだった。
「ええ、一体、なぜ街中に…」
「本当に、でも一先ずこの場を離れましょう」
彼女たちは、街の外を目指すが、混雑する公園広場は思うように進めない。何とか逸れないよう気に掛けながら進んでいると、小さな声がビアンカの耳に届いた。
「おとぉーさーん」
「えっ…?」
「うぅっ、ぉとーさん」
「危ないっ!」
ビアンカが、声の出所を探って、視線を下げると小さな女の子が、人の行き交う広場で、押し倒されてしまいそうになっている姿が目に入り、駆け寄って抱き上げる。
「この子も一緒に、ひなん……えっ?」
「うわぁああん、おとーさーん」
すぐそばに居たはずの友人の姿が見えない、脈が速くなり、女の子の鳴き声が、人ごみに取り残され青ざめるビアンカの胸をざわつかせる。
長い時ではなかったはずだが、どうして、何処にいったのだろうか。立ちすくむビアンカ達を残して、逃げ行く人の波が通り過ぎると、背面にいた脅威の目に二人の姿が浮き彫りになって見えてしまう。逃れたはずだった危機が背面に迫って来ていた。耳障りな鳴き声とレンガを踏み鳴らす水竜の足音だ。
女の子の泣き声が気を引いてしまったのか、我に返ったビアンカが振り返った先には、その眼に獲物を捉え迫ってくる水竜の姿が映った。
「きゃぁああ」
女の子を抱きしめて、走り出す。走っても音が近づいてくる。心臓の鼓動が早い、恐怖と緊張、焦りで、耳に血が集まってるようだ。水竜の姿を確認し、足を止めずに逃げ惑うも、いつの間にか壁際に追い詰められてしまう。振りかぶる尾を横に薙ぐようにして叩きつける水竜の攻撃を間一髪で、奇跡的に避けたビアンカだったが、尾は背後の建物を削り、砕けた煉瓦とガラス片がビアンカに向かって降り注ぐ。
「うっ」
潰される、と、目を閉じたところで何かに押されて、ビアンカは女の子を抱えて、お尻から地面に倒れた。
「痛った」
「まだ、こんなとこに居たのか! その脇から大通りに出られる、ここから離れろ!」
「ありがとございます! ……ぁ、血がっ!」
「ん?あぁ、大したことはない、さぁ、早く!」
「……感謝します」
先ほどの男が、追いかけてきて、庇ってくれたようだ。庇ってくれた時に怪我をしたのか、血が細い筋を作り、地面に滴る。一瞬、躊躇するも、ここにいても今のように足手纏いになるだけと、口早に礼を告げて、その場を離れる。
「お父さーーーーん!」
「サーラ! あぁー、無事だったか」
「良かった! 思わず抱えて来てしまって」
「ありがとうございます!」
少し水竜の咆哮が和らぐところまで、足を進めると、幸いにも然程歩かない内に、女の子の父に出会うことができた。抱えていた女の子を引き渡すと、彼はビアンカに深々とお辞儀をし、口早に感謝の言葉を述べて、ビアンカのそばを離れていった。
「良かった…。皆は、無事に此処を離れたわよね。早く、合流しなくちゃ…」
ギャォオオオオオ
「…!」
ビアンカは、早く友と合流しようと、そう思ったが、水竜の咆哮が耳に入り、助けてくれた男から流れてた鮮血が脳裏をよぎる。
まだ、一人で戦っているのだろうか。
立て続けに、水竜の咆哮が聞こえた刹那、足は水路の方に向けて駆け出していた。
恐る恐る広場を建物の陰からのぞき込むと、カキンと剣と水竜の爪がぶつかり合う音が聞こえた。助けてくれた男は、無事だった。変わらず一人、奮闘しているのが見える。水竜は、弱ってるようには見えず、応戦する男に向かって攻撃を加える。
近くに倒れている男が目に入った。会場の近くの警備をしていた兵士だろうか、水竜に薙ぎ払われたのだろう若い男が壁に背を預けぐったりしてる。水竜の眼前に迫ってきた時の恐怖が蘇る。
「くっ」
水竜は、体制を崩した男に噛みつこうとし、キンっと剣で防がれ、その牙は届かない。男は、軽やかに攻撃を交わすが、ガラスで切った腕を布できつく縛りすぎたのか、力が入らず押し負けそうになっていた。重症ではないが、思いのほか出血が多く、握る剣が血で滑ってしまう。そして、対峙してから何度目の攻撃だろうか、ついに、剣は手から離れて遠くに飛ばされてしまう。
「くそっ」
「あっ!」
思わずビアンカは小さな声を上げた。混雑して応援は、駆けつけられないのだろうか、周囲に助けは見当たらない。男は、短剣を取出し応戦しようとしているようだが、どう見ても心許ない。ビアンカは、男にせめて何か武器をと周囲を見渡す。
「あ、あれを渡せば…!」
壁際に衛兵とともに飛ばされた剣を視界に収めた。素早く手に入れて、男のほうに投げれば、何とか渡せないかと、足音を忍ばせて素早く剣のところまで辿り着く。
手にした剣を持って、一歩踏み出したが、生き物の動く気配を察知した水竜が振り返り、ビアンカはその視界に再び入ってしまう。瞬時にまずいと、来た小道に逃げ込もうと駆け出したが、あと一歩で細い路地に入れそうというところで、ドレスの裾を爪に掬われて捕らえられてしまう。
「や、やぁーーー、いやー」
手にした剣を闇雲の振り回すも非力な女の力で鱗には、傷ひとつつけられず、切るというよりは剣を数度叩きつけただけで終わる。大きく開いた口が眼前に迫った時に聞き取ったのは、先程の男の声だ。
「刺せ!眼だ!思いっきり突き立てろ!」
「っ‥‥!」
ビアンカの身体が動いたのは反射だった。耳障りな竜の鳴き声を割って入ってきた人の言葉に従い、手にした剣を思い切り振りかざした。怖いこの獰猛な生き物から生き延びたい。水竜から放たれる凶悪な恐ろしさから逃れたい一心で、その瞳に刃を突き刺した。
「きゃっ」
痛みに激しく叫び身体を捩る水竜の動きに振り払われ、爪に掛かった衣装は破れビアンカは路地に叩きつけられた。痛みで意識が遠のきそうだ。うっすら開けた目には、怒りに瞳をギラつかせる水竜の姿が映る。逃げなくては…と思うが、衝撃で動けない。
その時、一筋の何かが水竜の顔面に向けて放たれた。
水竜に眼に突き刺さった一筋の何か。剣を突き立てられたのとは反対の眼に矢が刺さっていた。一瞬、痛み、怒り、怨み、負の感情からか取り巻く気配が強まったが、ふわりと霧散した。水竜の動きは緩慢になり、その巨体がゆっくりと傾き地面に伏した。
おおーーー!倒したぞ!
仕留めた!
「ディエゴ!無事か!!?」
周囲の建物から身を隠し、戦況をみていた民衆の言葉を遮って、頭上から男に声がかけられる。男の知り合いのようだ、男の安否を気遣っている。彼は心配する知人に無事を知らせるために軽く手を振り、呼びかけに応える。
「っ…」
傷を負った手に痛みが走り、顔をしかめたディエゴだったが、自分に向いていた水竜の注意を引き、剣を持って立ち向かった人影を探す。
姿が見えず、伏した水竜の奥を覗き込むと、ピクリとも動かない小柄な見覚えのあるマントが目に入り驚く。水竜と対峙した時に逃したはずの姿が、そこにあるのだから仕方がない。ビアンカは、どうやら気を失っているようだ。
「おいっ、しっかりしろ!」
大きな怪我はなさそうだが、力でなく横たわる姿に焦った声をあげるが、用心のため、あまり揺らさぬようにしつつディエゴは呼びかけ続ける。
「おいっ!」
「つっ‥‥」
倒れた衝撃でズレた仮面は、ビアンカが身じろぐことで、音を立てて地面に落ちる。黒髪の少女が姿を表し、ディエゴは呆気に取られる。獰猛な水竜と対峙した恐怖で、睫毛を涙に濡らし、汗ばんだ髪が頬に張り付いていた。怖かったのだろう涙の跡を見ると、どうして逃げたはずの少女が戻って来たのか分からない。
「うぅ‥‥」
「大丈夫か?」
「‥‥」
「救護を、誰か迎えを寄越すから、少し待ってくれ、ひどく痛むところはないか?」
「い、いえ、大丈夫です」
ただ、彼にとって一つはっきりと分かっているのは、自分がそんな普通の女の子に助けられた、ということだ。矢のタイミングからして、周囲に応援は到着していたのだろうが、剣を飛ばされたあの時、もし、彼女が現れなければ、無事にこうしていられたか定かではない。ビアンカは、心配する男に答えつつも、周囲を確認し倒れた水竜の姿を目に留めて、ほっと胸を撫で下ろす。
「まだ、動かない方がいい」
「いえ、連れと逸れてしまって、心配してると思いますので、探さないと」
「だが、どこか強く打ってるかも知れない、すぐ騎士団の救護部隊を呼ぶから待ってくれ」
「ディエゴ!」
「レオナルド、降りてくるな、上で待ってろ」
そうか、救護部隊を呼んでもらえるなら、甘えようかな、と思っていたところで、少し離れたところに姿を見せた予想外の人物に、思わず顔を背け、ディエゴを盾に姿を隠す。特に悪いことをした訳ではないのだから、その必要もないだろうに、なんとなく浅はかに『玉の輿!』と欲を一瞬出したことを思い出し、すすっと、外れていた仮面を装着する。
「助けていただいて、ありがとうございました。連れが待っておりますので、失礼します」
「えっ!あの、待って!」
水竜だ!
なんで、水竜がこんなところに?
いやー、討伐されて良かった
見たか?真っ直ぐに水竜の眼に矢が刺さってさ!
脅威が去ったと知れた人々が、その姿を確認しようと集まって来ており、呼び止めに応じず走り去ったビアンカの姿は、群衆に隠れてディエゴから見えなくなってしまった。
ジュリアが用意したイヤリングのお陰で無事にビアンカは、混雑を抜けて、友人たちと合流することができた。
「ビアンカ!」
「よかった、ビアンカ、無事…」
「「「…」」」
逸れた時にと考えていたのだからある意味想定していた用途だったが、みんな流石に水竜が出るとは想像してなかった。
「ジュリア、メアリ、コリンナ! 皆も無事だったのね。良かった……どうしたの?」
安堵し表情を緩めるビアンカとは反対に、蒼褪めて見つめ返す友人達。
「よ、良くないわ!」
「え?」
「そうよ、どうなさったの?」
「そ、それ…血?」
「えっ?」
近づいてきたビアンカの姿に友人たちは驚いた。彼女たちの反応に、自分の姿を改めてみたビアンカは、水竜の爪で傷んだ服、地面に倒れ汚れてしまっているドレス。そして、水竜のだろうか、助けてくれた彼のものだろうか、僅かにドレスににじむ赤黒い染みを見てビアンカも血の気が引いた。
初めて許しを得て参加したカーニバル。帰宅した後になんと説明をしようか汗を流しながら、必死に考えるビアンカであった。
「どうしましょう…」
2021/5/22 サブタイトル追加
2021/7/23 誤植修正




