第44話 遭難
ビアンカが目を開けるとゴツゴツとした岩肌が目に入った。
「気が付いたか」
「ここ……は?」
ガバっと勢いよく起き上がったビアンカは、身体を確認したが、何処も痛くない。突然、何かに押されて虚空に投げ出されたはずなのに、どういうことだろうか。
「オルランドだ」
「アルミノさん!」
ビアンカが落下していくのを視界にとらえたオルランドは、魔法を封じた魔道具をアルミノとビアンカに投げて寄越したらしい。落下速度が僅かにだが抑えられ、ビアンカを抱えたアルミノが何とか地上に降り立つことができたようだ。
「此処の中じゃ、魔法は上手く使えねえってことだが、魔道具は多少なら発動するって分かってたよかったな」
「そうですか……、アルミノさん、その足は!?」
ビアンカを空中で抱き留め、無傷で地上に降り立たせることには成功したアルミノだったが、二人の体重を支えるのは難しく着地で足を痛めたらしい。足を投げ出した格好で、添え木を当てて縛り上げているところだった。
「あぁ、何ともない」
「何ともって……」
「ははっ、そうだな。はぁーー、かっこ悪ぃとこ見せちまったな」
駆け寄ったビアンカは、少し痛みに顔をゆがめたアルミノを見て、眉を下げる。彼一人ならこんなことにならなかっただろう。
「だが、女ひとり守れねって方がかっこ悪ぃだろ。気にすんな」
節ばった手を軽く振って、ビアンカの憂いを晴らそうとするが、庇われたことに負い目を感じるビアンカの表情は晴れない。
「いっ、ふゎっ」
「んな、顔すんなって、骨は折れちゃないみたいだしな。オルランドたちが探しにくるだろうから、それまで此処で待つしかねぇな」
大きな手がビアンカの頭にボスっと乗せられ、掻きまわされる。痛みを隠して笑うアルミノに口元を引き締める。アルミノのお陰で無事な自分がしっかりしよう。耳元の魔道具でディエゴに通信を試みてみることにする。
「嬢ちゃん、それは?」
「通信具なんですが、応答がないですね」
「この中じゃ、魔力が上手く発動しないって言ってたからな」
そのせいか登り始めにもらった魔道具の効果も切れてしまったのか寒さが身に染みる。少し間隔を置きながら、ビアンカは諦めずにディエゴへ呼びかけながら、アルミノの足の具合を診る。
「嬢ちゃん?」
アルミノは、咄嗟にビアンカを追いかけて飛び込んできたため、装備の殆どをその場に置いてきてしまっていた。いつの間にか身に着けていたはずのビアンカの鞄も今は手元にはない。治療薬もその中にあった。いま、この場にはアルミノの傷を癒す手段はない。そう思って応急処置をしていたアルミノの足にビアンカは手を触れる。
オルランドに教えてもらった自分の力の可能性に掛けてみる。少しずつ力を流してみる。魔力はビアンカの内にある扉を抜けて少しずつアルミノの足を包み込んでいく。
「うっ」
内から流れ出る魔力が外に出ると萎んで霧散していこうとするのを留めようと力を注ぎ続けるが、手応えのない感覚と疲労感にビアンカは小さく呻いた。いつものように力が指向性を持ってビアンカの望みを叶えてくれる形で発動しようとしてくれない。
注いでも注いでも消失していく感覚に、ビアンカは唇をかんだ。
「もういい、嬢ちゃん無理すんな」
「すみません」
「や、少し痛みが引いた。ありがとな」
それからは二人で寄り添って、ディエゴへの通信を試みながら話をして気を紛らわせる。雪が吹き込まない岩の隙間だが、寒さを完全には防げない。極力風が当たらない隅にビアンカを座らせてアルミノは懐から取り出した小さな包みをビアンカに手渡す。
「カルッキって菓子だ食ってみな」
色鮮やか包みを開けると丸い桃色の”カルッキ”が出てきた。
「エルフの里で売ってた。こっちの菓子だ」
口に入れたビアンカの舌に甘い果実の味が広がる。果汁に詰めて固めた粒からじゅわりと素となった実の芳醇な香りも感じられた。雑味のない甘みがビアンカの頬を自然と緩ませる。
「あまい」
そんなビアンカの様子を意味深に見つめているアルミノだったが、甘さを噛みしめていたビアンカの表情が固まった。
「あ、あるみのさん」
「おっ、どうした?」
カルッキは甘い表層部分が溶かされると違う味になる。少し軟度がある触感で薬草と香辛料が混ざった苦味がある。一度口に含んだものを出すのは憚られて、何とか中身を咀嚼しきったビアンカは涙目でアルミノを見る。
「くっははっはははは、変な味したろ」
「何ですかこれ、うぅう口の中が……」
「俺も初めて食った時、驚いたがこっちでは好まれる味らしいぞ。で、こっちは中身も初めの味と同じやつだ。口直し」
「ほ、ほんとですか?」
今の仕打ちを考えれば当然だが、疑いの眼差しを向けるとアルミノが苦笑して先ほどとは違う色の包みを開けて自分の口にも放り込んだ。
「毒ってわけじゃないし、身体も温まるらしい」
「あまい……甘いままですっ」
今度はアルミノの宣言通りに、じゅわりとした甘みが口の中を潤してくれる。ビアンカは再び頬に手を当てて顔をとろけさせていた。アルミノは、その顔を見て頬を緩めたが、ビアンカの色を失くした指先をみて眉をひそめた。
この場に留まって、時間も経った。口数も少なくなってくる。動かないことを選択した二人は徐々に体温を奪われていた。返事がない通信具にため息を吐くビアンカをみて、アルミノは自分の外套を広がて、すっぽりとビアンカを中に入れて抱き留める。
「ちぃと我慢しろよ。勘弁な」
「あったかい」
一瞬呆気にとられたビアンカだったが、温もりに縋るように、抱き寄せたアルミノに逆らわず頬を胸に寄せる。
「合流できるまで、我慢な」
「きっと、ディエゴ様たちが来てくれます。信じましょう」
少しは抵抗されるかと思ったが大人しく身をゆだねる華奢な黒髪に手を置こうとしたアルミノだったが、彼女と笑いあう後輩冒険者の顔が浮かんで手を止めた。
隙間を作らないように外套の前をしっかりと合わせてじっとしていたアルミノだったが、ぴくりとも動かないビアンカを覗き込むと寝息を立てていた。
「ここまで無防備じゃ、あいつも苦労しそうだな」
「んっ…」
「お、起こしちまったな。少し吹雪いてきたし、寝てていぞ」
つい愛玩動物をめでるようにぽふっと頭を撫でてしまって、しまったと思ったアルミノだったが、ビアンカは、嫌がるそぶりは見せずに嬉しそうな顔をした。
「何だかお父様みたいです」
「……おいおい、俺は流石にそこまで年いってないんだがな」
肩すかしを食らった。しかも言うに事欠いて父親とは非常に不本意であった。悪意義はないのだろうが、思わずアルミノは心底呆れた声を出す。
「それにだ……」
頭に置かれた手を拒むことなく、温もりに吸い寄せられるようにアルミノの胸に頭を寄せているビアンカを見て、アルミノはビアンカの顎下を摘まんで上向かせる。
「おじさんだと思って、男にそんな事してると食われちまうぞ」
覗き込まれて、ビアンカの目にアルミノの意志の強さを表す眉と真っすぐ見つめる瞳が映った。いつもの陽気な笑みを隠した近くのアルミノの表情にビアンカは戸惑う。
「えっと、アルミノさん?」
「っくくくく、冗談だ。でもな。そんなんじゃ、いつか本当に食われちまうぞ。ディエゴ以外にしない方がいいぞ。もっとも、ディエゴも忍耐使ってそうだな……」
「食わっ? えっ、ディエゴ様?」
何を言われているのかピンときてなさそうなビアンカの疑問符を浮かべた表情に、アルミノは苦笑する。
「いつまでもあの紳士面が続くと思ってると……」
「思ってると……?」
「さぁてな。まぁ、今は父親とでも思って存分に枕にしてくれていいから、身体休めてな。疲れただろ」
「そんな、私だけ寝るなんて」
アルミノが子供をあやすように背を優しく叩いているとビアンカは再び寝息を立て始めて、アルミノは安堵した。年下の少女を相手にして、僅かに動揺してしまった自分にアルミノは正直驚いた。無意識にとんでもない言動が飛び出て来ても困る。起きてまた無邪気にじゃれられたら、堪ったもんじゃない。まだ、寝ててくれた方が気が楽だ。
「こうしてみると普通の子供なのにな」
思い出すのは前回の旅、神々しい光。自分の力よりもはるかに大きな魔力に驚愕し、畏怖した。恋だと愛だとかいうことじゃなく、ただ心を奪われた。主役じゃないと分かり切ってる物語に割り込むような無粋な真似をするつもりはない。守り切って、必ずこの腕の中のぬくもりは、心配してるだろう後輩冒険者の元に返すのだ。それが自分の役割と定め、彼は吹雪が終わるのを静かに待つ。




