第43話 目的地への道のり
――――翌日
オルランドの言葉の通り、進むにつれて寒さは増していた。ただ、今日はソフィアが耐寒の魔法を掛けてくれたため、鞍を掴む手も昨日程はかじかんでいない。スレイプニルの上では、大声でなければ、他のスレイプニルに乗るソフィアたちに声は届かない。
「お母様のこと聞いてもいいですか」
振り返ったビアンカが、思い切ってディエゴに声を掛けると彼は話してくれた。
「幼い頃に亡くしたので、もう記憶が曖昧なことも多いんですが、穏やかで優しくて、陽だまりのような笑顔が大好きだったのは良く覚えてます」
「そうだったんですか。すみません」
既に亡くなっていると困ったような笑顔で答えたディエゴに、ツラいことを思い出させてしまったのではとビアンカは詫びる。
「謝らないでください。その……、あまり母の話をする機会はないので、聞いていただけるなら嬉しいです。母は賊に襲われて亡くなったのですが、亡骸を前に泣くことしかできない自分の無力さを呪いました。幼い自分にはどうすることもできなかったことだと今では分ってはいます。ただ、あの頃は、剣を振るうことで、そんな弱い自分を消し去りたかった」
風を切る音とスレイプニルが足音が響く中、ゆっくりとした口調で語るディエゴの声がビアンカの耳を打つ。ビアンカは風を切る音に、その時の彼の慟哭を聞いた気がした。
「カテリーナ様が居なければ、その剣を誰かに向けてしまうような最低な人間になってたかもしれません」
ディエゴならば、そんなことはしないと言いたかったが、道の先を見つめながら遠い過去を辿る彼の表情にビアンカは掛ける言葉が見つからない。
「ヘルトを出てきた自分をカテリーナ様は色々と面倒を見てくださった。あの方は最愛の旦那様を失くされた悲しみを背負って、強く立っておられた。その姿と剣に暗い穴の底ではなく、光がある方に導いてもらえたと思っています。”母に誇れる自分であれ”と叱責してくださった。己の勝手な欲望のために振るう力ではなく、正しいことの為に力を振るえる心の強さを身に付けろと」
遠い過去から視点を戻したディエゴは誇らしげに少し目を細めた。ああ、カテリーナ様が今のディエゴを育ててくれたのだと思った。そして、いつか自分も会ってみたい。どんな女性なのだろうか。
「アルミノさんの言うように、カッコイイお方なのですね」
「ええ、僭越ではありますが、母のような方だと思っています。……人に褒められると嬉しいものですね」
ディエゴはカテリーナがいつか言っていた言葉を思い出す。”武力だけが力ではない”と彼女は言った。そして、必要とするときが来れば、助力は惜しまないと。これから彼女を守ろうとするときには、カテリーナの言うように武力だけではない力が必要だ。
守りたいものができたディエゴは、今になってその言葉の意味を噛みしめていた。持てる力全てで守りたいと思えるものが彼にはできた。
目的地である山脈が随分と近づいてきた。出立時には青空が雲間から覗いていたが、いつの間にか白い雪が舞い出していた。ここからは徒歩でなければ進めないというところでスプニールから降りて先を目指す。白くて柔らかな絨毯を敷き詰めているようだった。新雪を踏みしめて林を抜けると洞窟が目に入った。
オルランドの先導で足を踏み入れると洞窟の中には陽の光は届かない。入ってすぐにオルランドが手持ちの魔道具に明かりを灯す。口数少なくビアンカたちは歩を進めて行くが、曲がりくねった道が終わったところで、オルランドは足を止めた。
「じゃぁ、打ち合わせ通り、お願いできるかな」
「ああ」
小さく囁いたオルランドに頷いて、レオナルドが目を閉じて集中する。ソフィアが彼に支援魔法を掛けて、その威力を増していく。彼の持つ剣に集まる魔力を静かにビアンカたちは見守った。
「凍て付けっ!」
「……上手くいったようだね」
入り口に向かってレオナルドが魔力を解放すると極寒の風がビアンカたちの外套をはためかせる。入り口の方から聞こえる悲鳴を拾ったオルランドがにやりと口の端を上げて成功を皆に知らせた。ソフィアの力を借りた魔力の行使は、思いのほか威力がでてしまった。少し顔をひきつらせたレオナルドの声が続いた。
「死んでなきゃいいんだが……」
来た道を戻るビアンカたちの目に、幾つかの氷像が目に入った。来た時にはなかったものだ。
ビアンカたちが向かう目的地に、この洞窟は繋がってはいない。
盛大に”聖女”を見送るエルフの里からの出発は、しっかりと近くにいた何者かに聞こえていたようだ。エルフの里でオルランドとエルロンドは、遠い土地であるエルフの里とミラコーラで起きた出来事には関連があるのでは、という推論を立てた。
国内での騒動にこの土地での出来事が関連してるのであれば、エルフたちに盛大に見送られる”聖女”の存在を放っておくはずがない。まだ、結論はだせないが、上手くおびき出せたようだ。ビアンカたちに付きまとっていた一団が物言わぬ氷塊となっいた。
彼らの氷を溶かす前に、眠りの魔法をソフィアが掛ける。オルランドが合図を出すと密かにビアンカたちの後ろを付いてきていたエルフたちが姿を現した。
「では、俺たちは一緒に里に戻る」
「皆さん気を付けてください」
「ソフィアも気を付けて」
ここで、ソフィアとレオナルドとは一度別れることとなる。拘束した男たちを連れてエルフの里に戻るエルフたちと去る二人をビアンカたちは見送った。
レオナルドとソフィアがエルフたちと去っていくのを見送った後、ビアンカたちは再びスレイプニルに騎乗して、少し山の周囲を辿り移動した。
「有難うございます。あっ……」
オルランドの合図で止まり、ビアンカはディエゴの助けを借りてスレイプニルから降りたが、腕輪に髪が絡まってしまった。苦戦しているビアンカにディエゴが助け舟を出す。
「……失礼します。じっとして」
「すみませんっ」
ビアンカの細い手首にある銀色の腕輪は、父親と訪れた美術館でビアンカに掛けられた呪を解いたあとに父親が授けたものだ。
「急がないから、ゆっくりいいよーー」
オルランドたちは、その様子に気付いて待ってくれている。腕輪の素材の調達にオルランドも骨を折ってくれていたと父親からビアンカは聞いた。オルランドと出会った頃は、彼がエルフであることも知らなかった。初めて店を訪れた時、意味深なことを言うオルランドのことを不思議に思ったものだ。
『これは、君が力を使う際の補助具だね…。ただ、これで全てを思う通りに抑えられるものでもないだろう。少しずつ補助具に頼らず自分で覚えていかないといけないよ。もしも、…』
あの時、忠告だという言葉の意味を理解できなかったが、勢い良く力が吸い取られそうなときに、腕輪がその力を抑えてくれた。神樹のときもミラコーラに戻って神殿を訪れた時もそうだった。
『限界を超えて力が流れ出ないよう君の身体を守るために必要なものだね。感情の高ぶりに任せて、これを外すようなことはしないと約束してほしい。』
『貴方は、一体……?』
『そんな力の使い方をしたら、君を大事に思う人が悲しむ結果になるかもしれない』
『どういう意味ですか?』
『過ぎたる力は、君を壊す。君に何かあったら、傷つく存在がいると忘れないこと。冷静になって、力に飲み込まれずに力を御するんだ』
有無を言わせぬオルランドの真摯な眼差しを覚えている。今なら少し分かる。自分だけでは制御しきれない力の奔流に呑みこまれそうになる恐怖と寸でのところで押しとどめてくれた腕輪の存在……
「取れましたよ」
回想に意識を飛ばしていたビアンカだったが、奮闘して丁寧に絡まりを解いてくれたディエゴの言葉に我に返った。
「お手数おかけしました。有難うございます」
オルランドの言葉がなくても今のビアンカには怖くて、これを外して力を使うことは想像できない。ビアンカはディエゴにお礼を言いながら、細い腕輪を撫でた。
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ビアンカたちは、ひざ下半分ほどの雪を掻き分け、踏みしめながら進んで行く。アルミノとオルランドが作ってくれる道をビアンカは辿って付いていく。
「ここが入り口なのですか?」
立ち入りを厳重に取り締まっているという山の麓に着いたビアンカは、オルランドが示す場所に目を向けるが、目の前には真っ白な壁が立ちはだかっているだけだ。
「そうだよ、さあ、此処に立って」
手招きされてオルランドが雪を払った壁にビアンカは手を触れた。雪に閉ざされていた壁の冷たさに少し驚いたが、外套の隙間から漏れ出す光に手を引いた。胸元から取り出した琥珀の首飾りが淡く光っている。
見上げると門の輪郭が光によって浮き上り、少しずつ門を覆い隠していた雪が解けいく。大きな鳥の彫刻が施されている扉が姿を現した。
エルフの里の入り口の門によく似ている。固く閉ざされた門は雪に覆われて知る者でなければ、その場所は分らなかっただろう。
「これは……」
淵には彫られたエルフの文字と紋様も薄っすらと光を帯びている。造り手が施した意味があるものだろうが、複雑すぎてビアンカには、読み解くことはできない。
そっとビアンカが撫でると触れていた手から僅かに魔力が吸い取られていくのを感じた。すると隙間なくピタリと完全に合わさっていた白い扉に細い線が入り、ゆっくりとビアンカたちを迎え受けるように大きく両側に開いた。
「すごい」
「さあ、扉が閉まらないうちに皆入って」
オルランドに続いて門をくぐったビアンカは、聳え立つ白い氷の頂を見上げて息を呑む。白銀の山頂は雪に滲んではっきりとしない。オルランドは、見上げて山の中腹を指さした。
「分かるかな。見えづらいけど、中腹に小さな穴が開いてるのが見えるかな」
彼が指さす処は、先ほどから降り続く雪で良くは見えないが、彼が差す方向は随分と上だ。
「お、オルランドさん。あそこまで、歩くんですよね?」
「そうだね」
「うぅう……一体だれがこんな場所に」
「……」
慣れないスレイプニルでの移動に雪道で、既に体力を消耗しているビアンカは、膝を付いて打ちひしがれるが、無言のオルランドを勢いよく振り返る。
「聖女の力を引き継ぐ者じゃないと手に入れられないように一生懸命、封じたんだろうね」
「一体、だれが、このような、場所に??」
「……」
他人事のように言うオルランドに、少々強い語気で問いかけたビアンカに帰って来たのは微笑だけだったが、ビアンカはそれで自分の質問に対する答えは想像がついた。がっくりと項垂れたビアンカの後ろで、重たい扉が閉じる音がした。
オルランドは、惚けた風でビアンカと対話しながら、門に視線を送る。何の支障もなく託すべきものに『あの子』の形見を託して戻ってこようと誓う。
山の岩肌をなぞる様に少し歩くと急こう配の階段が姿を現した。
風を受ける外套はディエゴに託す。オルランドが用意した魔道具が寒さから身を守ってくれているが、吹雪いてきた視界はどうしようもない。不確かな視界で足元も不安だし、なにより強風に身体が持っていかれそうだ。
寒さではなく恐怖で身体が思うように動かない。
「ゆっくりでいいから、慌てないで」
「はい」
「嬢ちゃんが転がって来たから下で支えるから安心して転がってこい」
殿を務めるアルミノが笑いながら、そう言うが、うっかり滑って誰かを下敷きにしてしまうのを想像して、口元が引きつる。冗談で済まないかもしれないから、そういうこと言わないでほしい。
「着いたぁ」
まだ、目的地ではないが、何とか長い階段を登りきったビアンカは思い切りため込んだ不安を吐き出すように声を絞り出す。流石に少し休みたくて、風が吹き込んでこない岩陰に背を預けて、その場にへたり込んだ。皆も強張った顔で必死に登って来たビアンカを労う。
「お疲れさま」
「嬢ちゃん、よく頑張ったな」
魔道具は女性陣を心配して念のためにとオルランドが準備したもので、三人ともビアンカよりも動きづらいだろうに、難なく登りきっていた。鍛えている冒険者とこの土地にも馴染みが深いエルフのオルランドと張り合っても仕方がない。準備してくれたオルランドに感謝するしかない。……この場所を選んだのが彼なのだとしてもだ。
ビアンカの息が整うのを待って、また少しずつ登っていく。このまま雪に覆われた斜面を登るのは無理じゃないかと心配になったビアンカだったが、すぐにぽっかりと山肌に空いた穴を見つけた。雪に埋もれていない茶色の地面が続く洞窟を進む。
「はぁ……あのままずっと雪道かと思ってました」
「ははっ、それはないよ」
時折下っているように見えるが、頂上を目指して着実に登っている。長く光が届かない道を進んできたビアンカの先に外から差し込む光が見えてくる。
「そこから一旦外にでるよ。門のところから見えた出口がそこだよ。もう少しだ」
終着が何処か分らずに歩き続けるのはツラい、間もなく着くというその言葉と差し込む光に少しだけ気持ちが軽くなり、外に出たビアンカだったが、オルランドが指さす方を見て絶句した。
来訪者の何を試そうとしているのか。度胸かそれとも覚悟か。
道の先は山に沿って歪曲し、先は見えない。山肌に打ち付けられた鎖を頼りに登っていくのだろう。右手は断崖絶壁、僅かに岩が道に従って敷き詰められているが、気休め程度だろう。バランスを崩してしまったら手を付く壁などなく、身体は宙に放り出されるだろう。打ち付けられた鎖は、無ければ進むことなど不可能だろうが、鎖があったところで此処までと比較して格段に難易度が上がった道のりに、ビアンカは気が遠くなりかける。
固まったビアンカを気にしながらも、これから進む道をディエゴとオルランドが先に踏みしめ、鎖や足場の安全を確認している。問題なく鎖は留められているようだが、あの鎖を離してしまったら、もしくは、足を滑らせてしまったら……。
ビアンカは恐る恐る下を見て、ゾクリとした想像に身を縮ませたが、不意に浮遊感を感じて、頭が真っ白になった。
ビアンカの身体は、宙に投げ出された。
「ぇっ……」
一瞬の浮遊感を感じた後に、ビアンカは急速に地面に吸い寄せられていく。
「嬢ちゃん」
「きっ………!!」
風を切って急下降するビアンカの悲鳴は、あまりの恐怖に声にならなかった。僅かにでた音も吹き付ける風に掻き消された。
ビアンカを呼ぶアルミノの声にディエゴとオルランドは振り返るが、その先に二人の姿はなかった。地面には血痕とアルミノの剣だけが残されていた。
「ビアンカ様!!?」
ビアンカとアルミノの返事はなく、吹雪く耳障りな音だけが耳朶に響く。




