第42話 北の山脈へ
ビアンカたちは、エルフの里を出て、北上していた。段々と気温も下がっていき、吹き付ける冷たい風に身震いしていた。ゾクリとした違う種類の悪寒を感じたのは、レオナルドだった。
マルティーナがベールと扇の裏で、レオナルドを想って居た頃だ。
「っ…なんだ!? いまのは…」
「寒いから仕方ありませんわ」
身体を震わせたレオナルドの仕草をこの気候のせいだというソフィアの言葉に、何だか違う気もしたが、エルフの里よりも更に下がって来た気温と冷たい風に体温が奪われているのも事実だ。レオナルドは、その通りだと思うことにした。
「そ、そうだな」
ビアンカたちは、エルフの里でゆっくりと魔力の回復させ、その間にエルロンドが北の山脈への旅支度を整えてくれた。思いの外、早くに叶った再会にエルフの里の者たちは、ビアンカたちを盛大に歓待した。エルフたちの心からのもてなしを受け、英気を養った。
エルロンドは、ビアンカたちが帰還した後に知りえた神樹の異変の原因について教えてくれた。旅の準備を整える傍らで、故郷を襲った危機のためにとオルランドも時間の許す限りエルロンドたちと対策を講じていた。
幻想的なエルフの里をもっと堪能することも可能だったが、ミラコーラの方も心配だ。むやみに滞在期間を長引かせることはせず、準備を整えたところで、早速にビアンカたちはエルフの里を後にした。
「聖女さま、道中お気をつけて~~~!」
「ご無事の戻りをお待ちしてます!」
「うっ」
旅立ちの時には、里の者たちからの力の入った見送りがあった。心配してくれるのは嬉しいのだが、”聖女さま”という言葉に、ビアンカは微妙な顔をしていた。滞在中に決めた事とは言え、やはり慣れない。
「くくっ”聖女さま”、手ぐらい振ってやったらどうだ?」
楽しんでる様子のレオナルドをじとっと睨みつつ、仕方がないと引きつる笑顔で遠目に見えるエルフたちにビアンカは手を振った。
今回、エルフの里から目的地へは、八本足の魔獣に騎乗しての移動となった。見上げるほどに大きく綺麗な白い毛並みの生き物にビアンカは息を呑んだ。これに乗るのだと言われて、勢いよく振り返るビアンカの姿が可笑しくて、エルロンドとオルランドは声をだして笑っていた。
「ビアンカ様、大丈夫ですか?」
「は、はい」
独りで騎乗することができないビアンカとソフィアは、それぞれディエゴとレオナルドと同乗することになった。普段よりも近いところから聞こえるディエゴの声にビアンカは少し頬が熱くなる。互いの声が届きづらい中、自然と口数は少なくなり、風を切る音と軽快に力強く駆ける足音だけが聞こえてくる。
ただ、居心地の悪い無言でもなかった。高い視点も風を切る速さもビアンカを気遣うディエゴの気配を感じているだけで、不思議と怖くはなかった。
「陽が落ちたら寒さ厳しくなる。この先は更に気温も下がるしね。ここいらで休憩して、明日に備えよう」
早朝にエルフの里を出て、そろそろ日も陰ってくる。オルランドが指さす先にある小屋で、その日は休むことになった。無人の屋内だが、エルフたちがビアンカたちに先回りして整えてくれていたおかげで中は一晩快適に過ごせるようになっていた。
「スレイプニルの乗り心地はどうだった?」
「初めは、正直怖かったんですけど、大分慣れました。少しお尻が痛いですけど」
「ふふっ、そうですわね」
男性陣は、オルランドを除いて初めてのスレイプニルの騎乗に慣れるため、エルフの里で手ほどきを受けていた。ミラコーラでもスレイプニルのように頑強で大きくはないが、遠征で似たような騎獣に馴染みがあった三人は難なく乗りこなしていた。
「さてと、ソフィア嬢、お願いできるかな?」
「はい」
オルランドは戸を閉めたところで、オルランドの促しでソフィアが指輪を翳すと淡い光が小屋の中を照らし、以前エルフの里を訪れた時に夢に見た女性が姿を現す。
微笑を浮かべている彼女は、淡い緑の光を全身に纏っている。緩やに波打つ髪の根元は大樹の幹のように濃褐色だが、毛先に向かって色素は薄くなり先端は新緑の葉のような鮮やかな緑だ。
「やはり、近くに何者かが潜んでいるようですね。ヴィーお願いできる?」
ソフィアの願いに応えて望む情報を伝えてから、ソフィアの頼みに”当たり前よ”と答えるかのように、ふわりとソフィアの周りを回ってから、再び彼女はその姿を消した。
エルフの里に着いて、ソフィアが神樹の元を訪れると指輪から光が幹に還っていった。幹から飛び出てきた彼女は、ぽろぽろと涙をこぼしながらソフィアに抱き着いてきた。
ソフィアのことが気になっていた彼女は、小さな力の一旦を密かにソフィアに託し、ソフィアがミラコーラに戻ってからもひっそり見守っていたようだ。生死の境を彷徨うことになったソフィアの無事を喜び、そして、彼女は守れなかったことを悔いていたようだ。
ソフィアは、ヴィータと契約した。
「随分と気に入られたようだね」
素直に彼女の願いを受けて行動している様子にオルランドは感心した。神樹をいたく気に入っていたヴィータは、これまで誰かと繋がり縛れることを望むことはなかったらしい。
「ヴィーはわたくしに力を貸してくれると言ってましたが、この地を離れてしまって大丈夫なのですか?」
「問題ないよ。お嬢さんと強く結びついた。絆を結んだってだけで、彼女の有り様や力が何か変容するということでもない」
命を芽吹かせ育む精霊の力は、この世界の至る所に存在している。命を蝕み破壊と混沌を齎す『悪しき魔』、それと同じ邪悪な気を纏う魔物とは相反する存在だ。
そんな彼女が助けを求めた先日の神樹の異変。この世界に生きる者であれば、それを害そうとすることは、首を絞める行為なはずだが、意図的にそれを成そうとする者がいる。
その手がかりを得るためのビアンカたちの反撃の狼煙は静かに上がっていた。
エルフで管理しているという小屋に辿り着いたビアンカたちは、ミラコーラよりも随分と低い気温に身を固くしてた。部屋の隅にある水晶をオルランドが起動すると部屋の中を暖かな風が巡り、寒さにこわばっていた身体は温もりを感じて弛緩する。これから寒さも一段と厳しくなると聞いて不安を覚える。
その日の夕食は、エルフの里で準備してもらった香草が食欲を誘う肉料理と根菜のスープだ。簡易な調理場で、手際よくアルミノとオルランドが準備してくれた。
「ふぁ~~~」
ビアンカは、温かいスープを口にして、身体の中から温まり、ようやく一息ついた。温かい食事を口にして、身体の芯から冷え切っていたのだと、ようやく気付く。他の皆も同じように心がほぐされて、和やかに食事は進む。
「上手く釣れるといいんだがな」
「そうですね」
食後の茶に口を付けながら、レオンルドが口を開く。国内の危険を避けるためにやって来たビアンカたちだったが、此方に来てみれば遭遇した危機をもたらした何者かの影がチラついていた。次は心残りなくこの地を去るためにも、策がうまくいけばと誰もが願っている。ビアンカは、レオナルドの願いに同意する。
「ミラコーラ国内のことも気がかりです。お父様たちが何か手がかりを掴んでくれていればいいのですが」
一方で、父親たちに託した国内の動きも気になる。熱湯が注がれた器に添えた指先、冷え切っていた感覚が戻ってきて、温もりより熱さを感じる。反対の手を添えて熱を逃がすが、ソフィアを害そうとした者への怒りは消えない。
「ドメニコ様の逆鱗に触れたんだ。ドミニコ様たちを信じよう」
「王子の婚姻に向けた準備に国境の件もあるだろうし、王宮も随分と立て込んでるようだけどね。まぁ帰ってからのお楽しみかな」
レオナルドもソフィアの安全のために国を離れたが、血の気が引いたあの日のことを当然忘れた訳ではない。ピリピリとした空気の食卓で、オルランドが干した果実を茶請けに進める。
「アルミノさんは、あの後、国境への派兵に応じたと伺いましたが」
ソフィアは自分のために皆が憤り、やるせない気持ちでいるのは分かっていたが、少し話題を変えようとアルミノに話を振る。ビアンカの兄が出向いたヴァローナ方面への遠征は、前回の北の大陸への調査隊から戻ったアルミノも依頼を受けて増援として向かっていたらしい。
「ああ。……王都からも増援がすぐに駆けつけられたし、何とか今回は治められた」
ヘルトとの国境では被害が増えているようで、ここしばらくなかった事態だと騎士団でも動揺が広がっているようだ。今回は、領主の采配で事態は沈静化したようだ。
「国境付近を納めるヴァローナ家のカテリーナ様は、ヘルトでも名を上げていたお貴族のお嬢さんだったんでしょ? 旦那さんとは恋愛結婚で、いまでは亡くなったヴァローナの元領主である旦那さんの遺志を継いで、立派に領地を治めてるってのは、街でも有名だよね」
「へぇ、あんた詳しいな」
街では興味そそられる魔道具にかまけてばかりなわけではないらしい。オルランドは、国外れの情報にも通じているようだ。
「息子は武道はからっきしで、『後継ぎにカテリーナ様はお悩みだ。彼女のように武勲を上げられる女傑を息子のお嫁さんに熱望している』って話だよね」
「それに遠目にしか見てねぇが、えらい美人だよな。お前さんのパトロン」
静かにスープを口に運んでいたディエゴだったが、オルランドと話が弾んでいたアルミノに急に話を振られてせき込んだ。そして、一斉に皆の視線がディエゴに向けられる。
「へぇー、やるねー君。美人な未亡人のねぇー」
「ア、アルミノ! 何ですかその目はオルランドさん」
「「パトロン……」」
冒険者にしては、普段の振る舞いもそうだが、先日の夜会も場に溶け込んでいた。どうりで貴族社会にも馴染みがあると言うか。新たな一面を知って、それにビアンカは納得がいった。そうだったのかと思いながら、ビアンカは抱えていたカップを口元に運ぶ。
「今でも彼女の夫の座を狙う者は多いってきくから、刺されそうだな」
ビアンカもカテリーナの名は聞いた事がある。戦場にあって苛烈で容赦なく自らも剣で魔獣の命を奪い、社交の場においては凛とした美しさで男性を虜にするという女性だ。そんな人がディエゴのパトロンだと聞いて、喉を通り過ぎたお茶は適温なはずなのに、胸が変な感じがした。
「レオ……、お前、知ってるんだろ。母と縁があった方で、それで良くしていただいているだけだ。勘違いされるようなこと言うな」
「誰に何を勘違いしてほしくないんだ?」
「レオ!」
「だってよ。安心していいみたいだぞ、嬢ちゃん」
今度はビアンカがむせる番だった。何も言っていないのに、アルミノに話しかけられてお茶が気道に入ってせき込んだ。ディエゴを除く三人からも生暖かい眼差しを向けられる。
「こほっ!! な、何が……こほっですか!?」
向かいでビアンカの表情の変化を見ていたソフィアは、少しだけ口の端を持ち上げたが、すぐにビアンカに寄り添って背中を摩る。
「ビアンカ、大丈夫ですか」
二人の様子を苦笑いしながら見ていたレオナルドだったが、ビアンカの頭越しにソフィアの物言いたげな視線とぶつかった。ソフィアの口が弧を描いている内に、フォローに入ることにする。
「ヴァローナ家の先代の奥方であるカテリーナ様は、ご自身も武勲を立てている女傑として名を馳せている。オルランドが知ってたとしても納得だな」
「ミラコーラでも有名な女性の一人だろうね」
「彼女もヘルト出身というから、ディエゴの母君ともその縁なのだろう?」
「まぁ、そうだな。……アルミノ。思いのほか被害は大きかったと聞いたが、カテリーナ様には会ったか」
ヘルトからやってきて世話になっている人の安否をディエゴが気に掛ける。ビアンカの兄を見舞った時から、予想外の勢力に負傷者も多数出たと聞いたが、カテリーナの話は聞こえてきていない。橙色の明かり照らされたディエゴの黒い瞳が少し揺れている。皆もアルミノに視線を向けた。
「ああ、発つ前に会ったが、本当にカッコイイ女だったな。ディエゴに聞いてた通りの人だった。事後処理も彼女がいれば、滞りなく進められるだろう」
「そうですか」
ソフィアに差し出された水で落ち着いたビアンカは、ディエゴが腹の底から吐き出した小さな呟きを拾う。
「私にとって第二の母のような方なのです」
そういって、ディエゴは少し恥ずかしそうに笑った。
2021/8/29 サブタイトル未記載でした、追記しました




