第35話 神殿の異変
―――夜会の前、帰国して数日経った頃のイレーヴェ家。
同刻、ビアンカやソフィアたちは、帰国後すぐに夜会の準備が必要となり、それに追われていた頃だろう。
父親への報告は帰国した足で向かった王宮で済ませてはいたが、レオナルドは、改めて時間を取って話をしようと、久しぶりに父親の部屋を訪れた。
飛行船で、ヘルトとの王子との婚約を聞いて、公爵家に取り入ろうとした厄介なヘルトの女のことを否応にも想起させられたが、隣国ヘルトに関しては、最近、喜ばしい話題は少なかった。王族の婚姻に諸外国からの人の出入りも増えて、街は潤いもするし、街の者たちとっても喜ばしい話題だろう。
ミラコーラと隣国のヘルトは、古の戦いの後、国が分れ別々の国となったが、元は一つの国であった。ヘルトの首都は、その戦いで聖女と共に戦った勇者の出身地で、その子孫が発展させた国である。時が流れ、ミラコーラとは違い、ヘルトで知られている物語の中では、聖女よりも勇者が活躍している。
当時の王都であったミラコーラの方が魔力量が豊富な人材が多く、ヘルトは割合としては、少なかった。勇者の血筋は、魔法適性に優れたものではなく、ミラコーラとは違った魔術の発展、道具や魔道具などの開発で国力を維持・発展させてきた。
「王子の婚約で、王宮は流石に多忙な様子ですね」
「事前に詰めていたものではあるが、来賓の到着も立て続いているから仕方ない」
この婚約話を聞いて、レオナルドは、自身の婚約話が思ったよりも迅速に進められたことにも納得がいった。
「私とソフィアの婚約は、ヘルトの王女付きの侍女や護衛。隣国の有力貴族とソフィアの縁談への牽制ですか」
精霊魔法に適性がある貴重な人材を国外に出すことは、良しとしないだろう。一方で、先方は魔力が強いモノとの婚姻を強く望んでいる。
「そうだな、我が家であれば、横槍を入れてくるものも、そうは居ないだろうからな。加えて、お前との縁談で得ようとした利が、王族同士の縁談で双方叶ったのだからな、お前の件について、とやかく言う連中も減った」
レオナルドとコロンナ家の令嬢マルティーナとの話は、自国から引き出したミラコーラにとって魅力的な手土産を周囲にチラつかせてくるコロンナ家のせいで、身動きが取りづらかった。好戦的な派閥の筆頭であるはうのコロンナ家の思惑は分らず、対抗馬となりそうな家と令嬢への攻撃も表立った証拠は残さずにするものだから、非常に厄介だった。
こちらも婚約者を立てることによって、再燃は防ぎたいところだ。彼らが国にいる間は、ソフィアの身を守るために気は抜けない。
「我が国としては技術提供や貿易に関する諸条件の見直しにより得られる利がある。むこうも、それと引き換えに聖魔法の術者にしか作れぬ薬の取引交渉が纏まり、双方にとってこの縁談で、得られる利はある。仮にも国の要職を務める家だ下手なことはしないと思いたい」
「…ヘルトでは、魔獣や魔物の被害が増えていると聞いていましたが、王女を出してくるとは、事態は思ったよりも差し迫っているということですね」
そうだな、と答えつつもレオナルドが真面目かつ素直に会話を続けることに呆れるというか、感心するというか、何とも言えない微妙な顔をしてしまう。
「…その辺が落ち着いたなら、もういいでしょう」
「はぁ…、そこまで徹底しなくてもよかっただろ…、ドメニコの影響か…」
うつけ者を装って、大人たちに考える猶予を与えたつもりか、面倒な縁談に関わりたくなかっただけか。真意は話さないが、ソフィアとの婚約で貴族としての役目を果たす覚悟も決まったのか。少し前まで、捻くれた反抗で手を焼かせてきた息子の変わりように、ため息を吐きたくもなるが、いまは飲み込むことにする。
「ヘルトには、まだ、聖女の存在を悟らせるわけにはいかん。彼の国も一枚岩ではないからな。強硬な手段にでるものが居ないとも限らん。それに、ここ最近の事件については不確かなことも多い」
二コラ隊長と息子から聞いた報告で分かったボルゼーゲ家の少女の力。国内における地位を確立させ守るためには、早々に整える必要があるが、隣国の目もある状況で、大々的に周知するのは避けたい。
「近年、魔獣や魔物の被害が少ない我が国に対してのヘルトからの何らかの諜報活動かもしれない、というわけですか…。我が国としては、ビアンカ譲を守り、引き続き情報統制をかけるということですね」
多くを語らずとも先回りして話す息子に笑みがこぼれる。
「コロンナのご令嬢も入国し夜会にはいらっしゃるようだ。…上手くやれ」
レオナルドは魔力量も多く、元より現役の魔法師団での活躍も期待できるという評価はあった。面倒事を避けたい息子の学院生活で得た評価が、それだった。しかし、二コラ隊長から受けた報告の限りでは、十分に魔法師団の手練れにも肩を並べられる実力を備えているようだ。
まだ学生である身だからこそ器用にも立ち回れることもあるだろう。エドアルドは、仲間と共に成果を持ち帰って来た息子を、父親として信じることにした。
「ええ、分かってます。まずは、オルランド氏のところに伺って、結果は、追ってご報告します」
「それと…」
「…?」
話は終わりか、と踵を返そうとする息子にエドアルドは、二枚の書類を手渡す。それはディエゴに関するものだった。一枚目は、既知の情報だったが、捲った二枚目に書かれている内容は、初めて知る内容だった。
「この件は、今回の彼の活躍を聞くまで、さして重視していなかったんだがな。気になって情報を洗いなおさせている。横やりが入る前に、こちらもビアンカ嬢のことと合わせて対策を考える」
「分かったら知らせてください」
支援してくれてる貴族がいて、良い関係を築いているようで、後援者として随分世話になっている、とは聞いていた。詳しくは過去を話さないのが冒険者だと周囲にも言われたので、本人に進んで聞いたことはなかった。てっきり、彼の出身は、ミラコーラだと思っていたが、先ほど話題にしていたヘルトらしい。
「俺の護衛は、間に合ってます。もう報告も要らないでしょ。ビアンカ嬢の護衛として、依頼を出しておいてください。アレッシオ様との調整もお任せしていいでしょうか」
「分かった」
出身がヘルトだからといって、長年付き合いのある彼への息子の信頼は変わらないと分かって、その提案を了承する。
奔放な息子の監視兼護衛として、彼からは適宜、報告を上げさせていたが、時分の事も信頼しろと言外に言われたエドアルドは、これも含め承諾する。
それに、さて、彼のことも、国としてどう手綱を付けるべきかと考えていたが、補足情報として上がってきている二人の様子も勘案し、側においてても問題はなかろう。むしろ、騎士団を公にビアンカに護衛としてつけるよりは都合がいいし、互いにいい楔となるか。
後は貴族連中、教会をどう納得させるかだなと当人たちが居ないところで、周りは動き出していた。
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夜会から数日、学院に顔を出したビアンカ。北の大陸からの帰国から間を開けずして行われた試験は、ビアンカの体力も気力も奪い尽くしていた。
旅を終えて、以前よりも精霊魔法が強化されたらしいソフィアは、遠征する騎士団へ納める薬の調合など、進んで協力していたようで、ビアンカの比ではないほどに多忙だったはずなのだが、見事に主席の座を維持していた。
笑顔で平然と人の何倍もの事を人並み以上に成し遂げるソフィア。試験を終えた翌日、『試験が終わってからで良い』という父親の言葉を素直に受け取り、雑多なことと棚に上げていた自分のことを見返ってため息を吐いた。
ビアンカは、試験が終わって、ようやく神殿に向かうことにしたというのに…、同じ人だとは思えない凄さに、ソフィアの試験結果を聞いた時、ビアンカは絶句してしまった。
仕事があって手が離せないという父親と、なら丁度いいわと笑顔で護衛を手配すると言った母親。二人の間で、何か無言の攻防が繰り広げられていたが、ビアンカにはさっぱり分らなかった。
その日の朝に屋敷にやって来たディエゴを見て、青筋を立てる夫を宥めながら、気を付けていってくるのですよと言う母親に見送られて、ビアンカはディエゴと神殿に向かうことにした。
北の大陸へ旅に出る前、初めてディエゴが家に来たときの反応から、夜会も良い顔はされないのではと思っていたが、許可が下りた。そして、今日も依頼に応じて訪れたディエゴに対して、若干、父親の隠し切れない感情が大いに表情にでていて、本当にいいのだろうかと思いつつ出かける運びとなった。
ただ、エルフの里での反応を味わっているはずだが、どこか呑気なビアンカは、見知った街で護衛が付けられるという状況には、まだ違和感しかなかった。
ビアンカの心の声をレオナルドやエドアルドが聞いたら、脱力してしまうだろう。『もっと危機感を持てっ!!』とも叱責も飛んでくるだろう。
神殿に向かう前に、二人はオルランドの店に立ち寄った。
「儀式の代案の実証実験してたところだし、水門の方の結界も大きな問題は起きてないみたいだし、急がなくて大丈夫でしょ」
彼を拾ってから、三人で神殿に向かっているところだ。
道中、ソフィアの凄さを語って聞かせるビアンカは、今日まで待たせてしまったことを申し訳なさそうにしていたが、オルランドは気にするなと笑う。
「昨日、ソフィアの近況を聞いて驚いてしまったものですから」
聖女の結界は、一定量の魔力がなければ、最低限の神殿の中核の結界を維持するのみだが、ビアンカの魔力で魔獣や魔物の被害が減っていたのは、結界の効果範囲が広域に及び効力を発揮しているお陰だという。
儀式の代案を研究する中で、古い文献を掘り起こし、オルランドの協力も得て、儀式の代案としての方法が試行されているところだ。ただ、近いうちに一度神殿に赴くように、という父からの指示があった。カーニバルの水竜の侵入は、何らかの干渉によって、水門に張り巡らされている守りが瞬断してしまったことが原因だろうという。
オルランドも加わっての調査で、問題なく稼働しているとの報告は上がっているが、念のため淀みなく力を巡らせるため、ビアンカに声が掛かった。
「神樹のことも含めて、最近、色々と起きてるからね。念のため、神殿にも異常がないか、今一度、詳しく調べておきたい」
「そうですね」
そういうオルランドの意見もあって、ビアンカたちは神殿に向かっている。
オルランドは、自分の言葉に神妙に頷くビアンカをみて、少々、心苦しく思った。結界の稼働状況は遠隔でも把握できている。それに彼女たちが不在の間に、直接見て確認もしていた。
念のため、という思いは確かにあるが、今回は、儀式をしているところを直接見てみたい、というオルランドの好奇心に依るところが大きい。
そんなオルランドの思惑を知らないビアンカは、オルランドの杞憂であってほしいと、真剣な顔で祈っていた。
だが、オルランドの予想は外れてしまった。神殿が近づにつれて、ビアンカの表情が険しくなっていった。
「……どうかしたかい?」
オルランドも視認はできないが何かの異変を察知したようだ。険しい表情を浮かべるビアンカに問いかける。
「神殿に薄っすらとした黒い霧が……」
「ビアンカ様、それは…!」
「ええ、イーダさんのお父様を覆っていたような靄よりは薄いのですが、北の大陸で目にしたものと同じかと思います」
一先ず神殿の中に入り、儀式の円陣や部屋の中を見てみたが、異常はなかった。儀式を執り行うことで、解消できるのでは、と儀式を行うことになった。恥ずかしいので、二人には外してもらおうと思ったが、笑顔でオルランドに押し切られてしまった。
「さぁ、僕たちは此処で待ってるから」
テコでも考えを曲げなさそうなオルランドに折れて、不承不承ながら、促されて別室へと準備をするために向かうビアンカだった。今回、仮面はつけないが、舞うのに慣れている格好でと思って、持参した衣装に着替えながら、軽くため息を吐きつつ、衣装の腰のリボンをギュッと締めて、腹をくくるのだった。
「ビアンカ様…」
「…綺麗だね」
白を基調とした衣装は、きめ細やかな金糸の刺繍が施されており、その上に、薄く透ける生地が重ねられている。ビアンカの舞に合わせて波打つ様は幻想的だった。祈るように歌う彼女の声に、次第に地面の円陣が輝きだし、ビアンカから薄っすらと光がこぼれては、吸い込まれていく。
キンッ
ビアンカは、舞が終わった瞬間に、空気が引き締められたような感覚を味わった。踊っている最中もそうだったが、今までは感知することができなかった力が溢れ出てきて、奉納されていくのが分かった。
止めどなく流れようとする力は、幼い頃とは違って、北の大陸で色々と経験をしたビアンカは、少しずつ自身で制御ができるようになっているようだ。それに、これ以上はまずい、という以上には自分の内にある扉は開かない。左手首の腕輪が枷となり押しとどめてくれているのを感じていた。
「お疲れさま、見事に力を扱えているようだね。水門や国境の結界については、調査結果を送ってもらうことになるけど、来た時よりも随分と空気が澄んだ。精霊も喜んでるみたいだし…」
これで大丈夫だと、続けようとしたオルランドは、言葉を止めた。精霊が心配そうな声で囁いて来るのも混じっていた。
「オルランド様、……分かります?」
「これは……」
「どうされましたか?」
二人の言葉少なく状況を伝え合う様子に戸惑っていたディエゴの手を取り、ビアンカは少しずつ力を籠める。
「ビ、ビアンカ様、何を……!」
湖で戦った時、知覚出来ないはずの黒い気配が分かったと彼は言っていた。きっと、聖女の力を受け止めているときの彼ならば、知覚できるのではないかと思ってビアンカは彼の手を取った。そんな思惑は分かるはずもなく、触れてくる手にディエゴは少々動揺した。
「分かりますか?」
「……っ!」
三人は、神殿の中庭にでて周囲を探す。来た時に周辺を覆っていた薄っすらとした気配は消えたが、まだ、何かが近くにある。オルランドが精霊の力を借りながら、ビアンカとディエゴも気配を探って、やって来たのは日陰になっていた神殿の裏手の植え込みだった。
ディエゴが近くにあった枝を使って、慎重に地面を掘り返していく。少し深いが、最近、掘り起こされたのだろう。土は比較的柔らかく、掘り返すのに苦労はしなかった。
「これは…」
「ビアンカ様、離れて!」
その姿を現した瞬間に、黒い石から一気に黒い煙が上がりビアンカたちに向かってくる。ビアンカは、咄嗟に自分の周囲に結果を張り弾き返したが、ビアンカたちを避けて周囲に少しずつ広がろうとするのを見て、ビアンカはその煙のような黒い何かを球状の結界に閉じ込めることにした。広範囲に球状の結果で囲ってから、閉じ込めるように少しずつ円を狭めていく。
「び、びっくりしました」
「折角だから、保管して持ち帰りたいところだけど…、これは難しいかな…、ちょっと君さ。スパッと、やっちゃってよ」
「「えっ?」」
「君できるはずでしょ?」
それに僕見てないしさ、と好奇心に目を輝かせるオルランドに気圧されてディエゴは剣を手に取る。湖でのことを報告した際は、確かに興味津々に色々と聞かれた。
随分と彼の好奇心は刺激されているようだが、気軽にやってみろと言われても、あれは一度きりのことで、ビアンカは一瞬戸惑う。横を向くと同じような顔をしたディエゴが居て、つい笑ってしまった。
「スパッて、そんな簡単に、ふふっ」
「オルランドさん、こんな時なのに、その軽いノリやめてくださいよ」
ディエゴが、苦笑気味に言うが、オルランドは悪びれた様子もない。
「や、お嬢さんが、すぐに隔離してくれたみたいだし、大事にはなってないでしょ?」
「ディエゴ様、やってみましょう」
「お願いします」
神殿内でも少し試してみたし、やってみるかとディエゴの腕に触れた。先ほどよりも少し強く力を注いでいくと彼が持つ刀身が輝きだした。
「結界ごと叩き切っちゃいなよ」
「…やってみます」
ディエゴが大剣を一振りすると、ビアンカが張った結界を剣は擦り抜けて石を真っ二つに砕いた。
「見事だね! それにしても……さて、ね。一体だれの仕業だろうね」
だれが、そして、いつの間に……。
目の前の問題は排除できたが、その原因は見えてこない。
エルフの里の出来事と同じように、見えない何者かの悪意に、三人は無言で立ち尽くす。




