第29話 北の大陸からの帰路
神樹を回復させたお礼にと、エルフからは街で蓄えが少なくなっていた薬も色々と融通してもらえて、街の商会からは大いに感謝された。帰路に付くビアンカたちの飛行船の離陸時には、商会員たちが大手を振って見送ってくれた。
ビアンカは、飛行船から遠ざかる街並みと遠くに見える森を見つめていた。
「ようやく…」
―――出立前、エルフの里での会話を思い出す。
エルフの長は、『悪しき魔』の浄化に関する協力は惜しまないという約束に加えて、ミラコーラ国との国交の深化についても前向きに検討すると言ってくれた。
聖水の素材となる神樹の葉もビアンカたちに託された。素材の希少さから数は限られているという。少しの融通であっても大いに喜ばれるだろう。
幾つか国から調査隊が持ってきた交渉についても前向きな返事をもらえ、特に二コラ隊長はその回答に歓喜していた。
そして、エルフの里を立つ前、ビアンカたちは、神樹の元に案内された。
「ご覧ください」
そう言って、エルフの長が指さすところには、青々とした葉が繁っているが、そこに赤い実が生っていた。ビアンカがその存在に気づき、正体を問おうとすると何の前触れもなく、枝から実は離れて、ふわりとビアンカの元に降りてきた。
「メーラの実…?」
それは、ミラコーラ国の果樹園に実る果物によく似ていた。ただ、ビアンカがそれに触れると鮮やかな赤が急に強い輝きを放った。目を瞑ってしまったビアンカが、手のひらの上にその質量を感じて目を開けると透き通った石が乗っていた。
「神樹の清浄な気が結晶化した魔石です。ビアンカさまの望みの為に、どうぞお役立てください」
「よろしいのですか?」
「貴方の望みを叶えるための素材として、不足はないでしょう。我が愚弟であれば上手く活かすことでしょう。存分にお頼りください」
「…弟君ですか?」
ちらりとエルフの長は、四人がお揃いで身に着けていた首飾りに視線を送った。袖から長い羽を取り出し、空に何か術式を描いていく。彼がビアンカに向かって軽くそれを弾くと小さく萎んでいき、胸元の首飾りの中に入っていった。
「…?」
「其方も共に愚弟にお渡しください。貴方が必要とする物を得るのに必要な鍵でございます」
ビアンカは、首飾りの琥珀部分に手を触れた。お守りだと言って、これをくれたのは飄々とした態度の店主、オルランドだった。改めてビアンカは、エルフの長であるエルロンドの顔を見つめる。彼の方がオルランドよりも随分と年上に見えるが、鼻筋の通った顔だち、オルランドと同じ綺麗なプラチナブロンドの髪を靡かせている。
「お、弟君といのはオルランドさんのことなのですか!?」
「ほっほっほ、左様です。そういえば、申し上げておりませんでしたな」
オルランドを知る四人は、オルランドの姿を思い出すが、彼はエルフの身体的特徴を持ち合わせていなかったような…と記憶を探ったが、名前や顔だちなど確かに共通項はあった。
「街に紛れている故に、姿も偽っておるのでしょうな。悪戯が好きなのは昔から変わらぬようですな」
驚きを露わにした四人を見て、エルロンドの瞳は愉快だと楽しそうに笑っている。その姿に四人は心底納得した。『ああ、確かに血のつながりを感じる…』と。
そして、里を離れるとき、最後まで空気を読まずに突撃してきたのは、例の若いエルフであった。
「ビアンカ様…!」
「…これ、お主…」
「…重ね重ねの無礼をお詫び申し上げます。ディエゴ…様にもご寛恕を賜りたいとは申せませんが、失礼な言動、謝罪いたします」
身構えてビアンカの前にディエゴがでたが、彼の口から出てきたのはビアンカたちが想像したものとは違った。
「里の危機をお救い下さり、皆様には心より感謝申し上げます」
「…こちらこそ、貴方の弓には助けられました。有難うございました」
二人は歩み寄って、握手を交わした。
「聖女様を…、ビアンカ様をお守りください」
「言われなくとも」
最後の言葉は、二人が互いにだけ聞こえるような小さな囁きだった。不敵にディエゴは笑い彼の言葉に返答した。
飛行船の甲板で備え付けられたベンチに座ってビアンカは、エルフの里の旅立ちの際の会話を思い出しながら、胸元にあった首飾りを手に取った。太陽の翳すと光を受けて黄金に煌めく。最後にエルロンドが何かをしたようだが、空に描かれた術式は不可視で、何の変化もないように見える。
「ビアンカ様」
「ディエゴ様」
不意に声を掛けてきたのは、ディエゴだった。断りを入れてからビアンカの隣に座る。
「何を見ていたのですか」
「これですわ」
「ああ…」
握っていた首飾りをディエゴに差し出す。
「何も変化はないようですね」
「ええ、そうなのです。オルランドさんにお渡しすれば分かるのでしょうか? 見てください綺麗なんですよ」
太陽の光に透かして煌めく様をディエゴにも見てもらった。
「本当だ…」
湖で感じた力、自身を纏う光は、無力感に沈む暗い心を照らす光明だった。暗闇を切り裂いて道を拓いてくれた。
『愚弟が貴方たちに示すでしょう。貴方たちが必要とするものを手に入れるための路を…』
エルロンドからビアンカとディエゴに告げられた言葉は、謎めいたものだった。ビアンカたちに必要なものとは一体何なのか、その答えは教えてくれなかった。
ディエゴは自分が持つ首飾りをビアンカのように太陽に翳してみる。彼もその光に湖の出来事に思いを馳せた。身体の回路が初めて綺麗につながったかのように、力が漲り思いのままに動いた。それは、ビアンカも同じだった流れていく自分の力が自然とディエゴの中に馴染んでいく。注いだすべてを想いを受け止めてくれる安心感、あれは一体何だったのだろうか。
二人とも陽の光を受け輝く石を眺めながら、別れを告げた土地で起きた事を思い返していた。
「「あの時(湖で)っ」」
ふっと口を開いたのは同時だった。顔を見合わて思わず笑ってしまう。
「あれは…、何だったのでしょうね」
「ええ」
笑いながら、ぽつりとディエゴが口にする。国に帰れば、その答えも知ることができるのだろうか。エルロンドはオルランドに委ねたようで、多くを語らなかったが、必要なものは託すからと素材や何やら書物、そして、神樹から授かった赤い石も持たせてくれた。
ディエゴは立てかけた大剣を手にして、そっとはめ込まれた魔石を撫でる。ただの装飾かと思い、『無駄に金がかかってるな』と初めは思ったものだが、セルペントとの戦いの時、ビアンカの聖女の力に反応して輝いていた。ただの宝石だったら、そうはならない。
「オルランド氏は、あらかじめ知っていたのでしょうか」
「何を…ですか?」
「んー、『何を』というと難しいですけど。エルフの森で起きていた異変を知っていたかは分かりませんが、あの戦いのとき、身体も剣もビアンカ様の力が流れ込んできて、今までにない力を出すことができました。淀みなく剣も身体の一部のように力の流れを感じることができた。あのようなことが起こるという可能性を考慮してなければ、きっと、与えられた武器は、もっと違ったものだったのではないか、と思います」
いつになくディエゴは饒舌だった。彼としても湖で起きた出来事は想像し得ぬもので、色々と考えることがあったのだろう。
「本当にすごかったですものね。エルフの皆さんも…」
湖から帰ると、エルフたちの視線や態度は変わっていた。同行した者達から話が広まったのだろう。神聖な聖女と分不相応な冒険者ということに程度の差はあれ、良い感情を持たない者が一定数いたが、湖から戻ってからは、里の危機を救った英雄としてディエゴも注目を浴びた。
「湖に向かうまでのビアンカ様の苦悩が分りました」
「まぁっ、ディエゴ様もレオナルド様みたいに内心は面白がって他人事だと思ってたんですね」
「いやっ、そういうわけでは…」
「…冗談です。自分は何も変わってないつもりなのに、急に扱いが変わって、戸惑ってしまいました?」
「そうですね。同行した隊員たちは、乗船してからは、態度も元に戻りましたけど、帰国後のことを話し合っておく必要はありそうですね」
「ええ」
風を受けながら二人は少しずつ傾いていく太陽を眺め、これからのことに考えを巡らせる。国への報告とオルランドとの再会、そして、これからのことの相談は、一体どのように事態を動かしていくのだろうか。
儀式用の仮面の修復に必要な素材は入手し、帰路に付くことはできた。だが、自分たちを取り巻く環境がこの旅の出来事によって、大きく変わっていくような予感がして落ち着かない。
「帰ったら四人で出掛けませんか」
「えっ?」
「パオロさんがミラコーラでも北の大陸からの果物を使ったお菓子を出してる店があるって教えてくれました」
「いいですね」
少し揶揄ってくるレオナルドが、面倒だったりもしたが、ソフィアとレオナルドは周囲が態度を変えても、大きく接し方を変えるようなことはなかった。帰った後の楽しみを準備して、不安を晴らそうとするビアンカの提案にディエゴも乗る。
「楽…しみ…」
ビアンカの言葉が急に萎んでいった。ディエゴが隣を見ると、太陽の眩しさに少しのつもりで目を閉じたビアンカは、睡魔に誘われて、夢の国に旅立ってしまっていた。
確かに、今日は朝が早かったが…、声を殺してディエゴは、肩を震わせる。今まで普通に話していたのに、あっと言う間に寝息を立て始めたビアンカを見て笑いが堪えられない。二人とも抱えた不安を吐露し合っていた気がするが、それを見てると何だか、些末なことと思えてしまう。
「ええ、楽しみです。四人で行きましょうね」
彼女の意識には届かないだろうが、そう答える。
初めてカーニバルで見た時から、気にかかって、旅の間も目が離せなかった。側にいると離れがたくて、今も、風があたるから風邪をひかないように早く船内に案内しなければ、と思うのにこの瞬間を惜しんでしまう。
欠けていた何かが、ずっと昔から求めていたような何かが身体に流れ込んできたような不思議な充足感をあの時に感じた。あの光に包まれていた心地よさは何とも言えないものだった。
「守りたい…」
そして、願わくば、今みたいにずっと側にいたい。そんな願いを胸の中で呟くと、そっと目を閉じた。その為に、国に帰ってからやるべきことを考えながら、ビアンカの後を追って、ディエゴも夢の世界に足を踏み入れるのだった。
穏やかな寝息を立てて寄り添って眠るビアンカとディエゴの姿は、隊員に発見される。彼は声を掛けられずに立ち尽くし、また、後からやって来た隊員も「何やってんだよ」と先にいた隊員に訝しんで問いかけ、指さす先を見て「ああ…」と納得する。
人が増えていっても、結局、どうすべきかと思案し、彼らは答えを出せない。
結果、眠っていたディエゴが揺さぶられて目を覚まし、最初に目にしたのは呆れ顔のレオナルドだった。
「仲いいなお前たち」
「ふふふっ、気持ちよさそうに眠ってるのに心苦しいですが、風邪ひいてしまうのでは、と皆さん心配してますわ」
「…!!?」
レオナルドの隣に立つソフィアに、『皆さん』と言われて視線を移すと、遠目に眺めていた隊員たちが、そそくさと船内に入っていった。身じろいだディエゴに寄りかかっていたビアンカも揺り起こされ、ゆっくりと目を開ける。
「ビアンカ、おはようございます」
数回目を瞬かせたビアンカは、楽しそうなソフィアの声を聞いて、ふわふわした頭で『あれ?今まで何をしてたのかしら…』と周りを見渡して、少し顔が赤いディエゴと目が合う。
「っ…えっ、わたくしっ、えっ…わっ!!」
現状を把握すると、慌てふためいて勢いよく立ち上がったビアンカだったが、足をもつれさせる。そのまま倒れそうになるのをディエゴが支えるが、起き抜けに間近に迫ったディエゴの顔をみて、更に混乱して、結局、転倒する。身を挺して庇ったディエゴだったが、倒れ込んで抱きかかえられてるのに気づいたビアンカが暴れて、鳩尾に一撃もらって低いうめき声をあげた。
「う゛っ…」
「ご、ごめんなさいーーーー!」
こうして、ビアンカの初めての旅路の帰路は過ぎていった。




