第26話 神樹の水源
彼が生まれた国では、魔法の適正が高いものは殊に重宝された。彼の国ではその割合が隣国よりも低く、希少性も高かった。
幼い頃に母親は早世し、その家には高慢さと強引な振る舞いで家を支配するようになった父親と少年が取り残された。朧げに覚えている穏やかな父親の笑みは彼の『こうあって欲しかった』という願望なのか、確かにあった記憶なのか、彼自身にも今はもう分らない。
母親の死から時を置かずして、新しく兄と妹ができた。そして、新しい母だと名乗る女のキツイ香水の香りに穏やかで満たされていた日常は、覆い隠され、いつの間にか消えていった。
『お前のような役立たず、何処へなりとも出ていくがいい』
少年は家を出た。
魔力がない少年の家での存在価値は低かった。父親が説く貴族としての正しい振る舞いは、彼には受け入れがたかく、他領や他国に争いの火種を撒こうとする貴族としての男の姿にも嫌気がさした。人知れず家を出て、隣国に嫁いでいた大叔母を頼りに国を出たのは、何年前のことだったろうか。
最愛の母親がいない家に執着はなかったが、母親が育んできた小さな幸せの形、屋敷にあった庭園、部屋の装飾、さりげなく飾られていた廊下の花瓶や絵画は、段々と形を変えて姿を消していった。力がない幼い彼は抗うことも出来なかった。思い出と一緒に家を捨ててしまったこと、守れなかったことへの後ろめたさは胸に燻っていた。
『強くなりたい』
ディエゴは、冒険者になった。
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エルフの長に、周囲の水源の調査を依頼してから数日が経った。今日もエルフの館の裏手で、ディエゴたちは鍛錬に精を出していた。
「お疲れ様です。ディエゴ様」
「びっ、…ビアンカ様、どうされました?」
一度部屋の外にでたときに、エルフの里の者たちの自分を見る目や熱狂する様を見て、大人しく部屋に居ると言っていたビアンカが姿を見せたことにディエゴは驚いた。
「部屋にずっといるのも飽きてしまいまして…」
「わたくしたちからの差し入れですわ」
「ソフィア様も…」
周囲の気配を気にするディエゴに、ビアンカは、ソフィアに認識疎外の魔法を掛けてもらったことを伝える。ソフィアもビアンカが外にでることは勧めはしなかったが、此処に来たかった理由も察していたため、強くは反対することができなかったようだ。
「有難うございます。お二人とも」
ディエゴはいつものような笑みを浮かべているが、表層だけ取り繕った笑顔の裏にある何かを思ってビアンカは、ここに足を運んだ。
「甘い…」
「こちらの果実を入れたフルーツティーです。…疲れには甘いものがいいかと。無理はなさらず、身体も休めてくださいね」
「ビアンカ様…」
見せてくれる笑みに、一応は安心するが、ディエゴが口にはしない何に心を乱している様子をビアンカは気遣っていた。そんなビアンカに、ディエゴは心配かけてしまった自分の不義無さに、顔を覆いたくなる。
「ご心配お掛けしたようで、すみません…」
「嬢ちゃん、俺にもあるのか?」
「アルミノさん、お疲れさまです。はい、ありますよ」
明るく話に混ざって来たアルミノにビアンカは、持ってきた器を差し出す。もとより、少し多めに準備してもらったものだ。
ディエゴは、その存在を思うと無性に胸が騒ぎ、かき乱される。ビアンカとアルミノが向かい合って談笑する姿に、チリっと熱いような俄かに痛いような刺激が胸を微かに掠めて、そうか…とディエゴは少女に出会った頃から感じてきた思いの正体を知った。
「ディエゴ様、おかわりもありますよ…」
「…ありがとうございます」
ビアンカが振り返ると、ディエゴが真っすぐに見つめる瞳と視線が絡んだ。一瞬、彼の熱量に気圧されて身を引きそうになったが、柔らかく崩れたいつものディエゴの笑顔が、それを打ち消した。気のせいか、と思ってグラスに飲み物を注ごうとするビアンカだったが、視線に射抜かれた動揺からか、手元が狂って地面に少し零してしまったフルーツティが、地面に染みを作る。
ビアンカとソフィアが部屋に戻ってすぐに、エルフから調査結果を知らされた。その日の内に、ビアンカたちは、彼らの先導で森へと出発した。ビアンカたちがやって来た方角とは正反対の森の奥を目指すことになった。
「ビアンカ様、どうぞこちらでお寛ぎください」
「あ、ありがとうございます」
ビアンカは、小さな岩の上柔らかな敷物を準備して、にっこりと勧めてくる若いエルフを見て、ヒクりと顔を引きつらせる。出会いがしらから友好的とは言えなかったエルフが里を出立からずっと、纏わりついてきて、何かにつけては世話を焼こうとするのに、ビアンカは段々疲れてきていた。
「いえいえ、ビアンカ様のことは我らにお任せください」
問題なのはエルフたちだけではなく、ここまで一緒に旅をしてきた隊員もパオロをはじめとしてビアンカの世話を焼こうとすることだ。バチバチと火花を散らし始める。
「ビアンカ様、どうぞ」
「ディエゴ様! ありがとうございます」
二人に困り果てていると、その攻防をわき目に、ソフィアがくつろぐ隣にビアンカを連れ出してくれたのはディエゴだった。
「ふふっ、ビアンカ大人気ですわね」
「ソフィア…」
神樹の件は、深く考えずに成り行きでしたことだったが、多くの者に目撃されていた。長をはじめとするエルフたちもそうだが、同じ建屋にいたビアンカの旅の同行者も今までと態度が変わってしまって、困惑してしまう。
「まぁ、あれを見たらなぁ…」
レオナルドは、苦笑しつつも、先日の光景を思い出しながら仕方ないだろうと告げる。ビアンカが短剣を幹に刺した後の変化は劇的だった。元の姿を取り戻した生命力が漲る神樹と、ビアンカを恭しく地上に返す姿。あれを見て、皆、言葉を失いその光景を見つめていたのだ。
「長たちはそうでもないが、聖女を人間から守らねば、という感情を持ってる者もいるようだな」
古の戦いで聖女が命を散らせたのは、魔王との戦いだとされる。事実どうだったのかは分らないが、その後のエルフと人間との関係もあってか、人間に良い印象を持たないものもいるのだ。聖女が命を失ったのは、当時の人間にも原因があったと考える者もいるようだ。
「はぁ…、敵愾心をむき出しにされるよりは良いですが…、どうにも落ち着きません」
「隊員たちは、国に戻れば落ち着くと思うがな…」
二コラ隊長から、本件については口外を禁じると厳命がくだされた。エルフたちに警護を任せるわけにもいかないため、『自分たちがエルフの国にいる間はしっかりとお守りします』という隊員達の言動を全て禁じることも難しく、この状況を許容したのはビアンカだった。困り果てた二コラ隊長がチラリと寄越した視線に、板挟み状態の二コラ隊長が可愛そうになって、ビアンカは首を縦に振った。
「それより、この先にある泉がそうだとエルフの長は言ってたな」
「ここから遠くはなさそうですね」
エルフの里でもらった地図を眺め、おおよその現在地と目的地を確認する。レオナルドとソフィアの言う通り、彼らがビアンカとソフィアの情報から当たりをつけた湖は、もう近いようだ。辿りつけるかも分らないエルフの里を探して歩いていた時より気持ちは楽だが、今の状況は別の意味で肩が凝って仕方ない。
「ほどなく辿りつけるとのことです。ビアンカ様、体調は大丈夫ですか。ご無理はなさいませんよう」
「二コラ隊長」
「隊員が、失礼しました」
「い、いえ」
二コラ隊長は、ビアンカとソフィアの帯同を反対していたが、否を唱えたのは、ビアンカとソフィアだった。樹木を侵していた元凶がこの先にもあるのだとしたら、それを見分けることができ、対処できるのは自分たちだから、と彼を説得した。
「貴方は、私の部下を…いえ、私にできる限りのことはさせていただきます。貴方を守り、無事に送り届けることが私の役目です。私の力の及ぶ限りで力になりましょう」
「二コラ隊長…」
騎士団の同行者の中でも二コラ隊長には、今回の目的とボルゼーゲ家の役目は、伝えられていた。昨日の光景を見て、はっきりとは口にしないが、パオロのことも察しがついているのだろう。二コラは、騎士団の一隊を任される隊長であると同時にミラコーラの貴族でもある。事情を飲み込みつつ、気を配ってくれる彼にビアンカは申し訳なさも感じつつも、彼を選抜してくれた父親たちに感謝もする。彼が隊を纏めてくれているお陰で、随分と助けられている。
二コラ隊長の伝言どおり、一休みした岩場から程無くしてビアンカたちは、湖にたどり着いた。一見すると特段おかしなことはないが、ほの暗い空気が漂っているのをビアンカは感じる。ソフィアの周りにいる精霊もソフィアに離れるよう警告を発しているようだった。
ここに一体何があるのだろうか。




