第24話 神樹の声
一晩明けてレオナルドは、心配する言葉を口にしながらも楽しそうに笑いながら、ビアンカに話しかけてくる。
「それで、ボルゼーゲ伯爵は、お父上は大丈夫だったのか…?」
「氷嚢でその日は、頭を冷やしてましたが…、先日、王宮でご一緒させていただきましたとおり元気ですわ。レオナルド様…その話、止めません?」
「やー、ビアンカ嬢のイメージが変わった。ははっ」
「うー、そんなこと言ったら、レオナルド様だって、新聞で婚約者探しするなんて…、あれ、何だったのですか?」
家宝を壊したことについて、旅に出る前に想像していたよりは、責められることもなく、そういう意味では、ビアンカとしては良かった。だが、部屋にやってきて楽しそうに絡んでくるレオナルドが、ビアンカは段々煩わしくなってきた。学院で遠目に見ていた貴族令息としての彼の印象もこの旅でだいぶ変わったようだ。
「うっ…あー、そうだなぁ、私も…親子喧嘩みたいなものだ」
「親子喧嘩…?!」
意外な反撃を受けてレオナルドは、淀みなく流れていた言葉を一瞬止めて、そう答えた。ビアンカに、そのことを持ち出されるとは思ってなかったからだろう。だが、その日のことを思い出しつつビアンカの顔を見ていると、彼の脳裏に窓から目にした光景が蘇った。
「そういえば…、あの日、ビアンカ嬢……、我が家の近くにいなかったか?」
「…」
居た。確かに、ビアンカはあの場にいた。家を飛び出して、迷子になった挙句に、多少『玉の輿』という言葉に惹かれたのも事実だ。反撃のつもりで口にしたが、思わぬ返しに窮して、今度はビアンカの方が言葉に詰まる。
「ぇ…」
「あっ…」
ビアンカには聞こえなかったが、小さく声を漏らし、動きを止めたのはディエゴ。微かに漏れた声に、ディエゴを見やって、余計なことを言ったとレオナルドは自省した。ビアンカは、ディエゴの声に気付いたわけではなく、婚約者であるソフィアがいるのにと焦って、自ら笑いの種をばら撒くのだった。
「ま、迷子になってただけです!」
「「「え?」」」
「……ぅっ」
結局、ビアンカは家宝で父親を殴り飛ばした後の経緯も洗いざらい皆に説明しつつ、……一人身を切るよう形となり、『どうしてこうなった!?』と自問自答する。
「悪かった、もう笑わないから」
「レオ様…」
「すまない。昨晩、聞いたビアンカ嬢の力のことと、本人像がどうも…、もう笑わないから、その顔やめてくれ…、ほら、せっかくだ神樹を見に行こう」
ぷっくりと、頬を膨らませて、抗議するビアンカと、さすがに笑い過ぎだとレオナルドを諫めるソフィア。彼としても討伐隊、エルフの森までの旅で、久しぶりに安心して過ごせるエルフの館で、少し気が緩んでいたようだ。集まった目的を思い出して、ビアンカの注意を反らそうとする。
ふかふかの寝具で、ぐっすりと睡眠をとった四人は、用意されていたエルフの衣装に身を包んでいた。軽くて丈夫な素材で、身に着けていた装備よりも身軽で着心地は良い。
「ビアンカ様、良くお似合いですよ」
「…ディエゴ様も、その、よく似合ってます」
部屋に迎えに来て、色々と話し込んでしまって言いそびれていたが、一目見た時から伝えたいと思っていた言葉をディエゴは、ビアンカに告げる。ビアンカとソフィアの準備を手伝ってくれたエルフの側付きの女性たちは、扉を出ていく彼らを微笑ましそうに見送った。
矛先が逸れたかと、心の中でレオナルドはディエゴに拍手を送っていたが、ソフィアに小言を貰いながら二人の後ろを付いていく。
一階に降りたところで、汗を布で拭いつつ歩いて来るアルミノに遭遇した。ディエゴとレオナルドも朝から鍛錬していたようだが、彼は今、引き揚げてきたようだ。
「おーい、どこ行くんだ?」
「アルミノさん、おはようございます」
これから神樹を見に行くのだ、と話をすると彼も近くで見てみたい、というので一緒に向かうことになった。エルフにとって大切な樹だと聞く。中庭に面する窓からも見ることはできるが、自由に側に寄ることはできないようになっており、興味をそそられていたのだろう。
この館は、神樹をコの字に囲うように建てられている。神聖なる神樹の庭に出られる扉は一つだ。扉の護衛はビアンカたちの姿を認め、すぐに中へと通してくれた。中庭に足を踏み入れると遠目にも雄大に見えた神樹が、眼前に現れた。朝日が枝葉の間から差し込んでいて、周りの木々は光を受けて薄っすらと白く輝いている。
「大きい…」
静かに佇む大木を見上げて感嘆の息を付く一行。神樹は、エルフの森に多く茂る白い木肌の樹木とは違い、茶色の幹に濃緑の葉が生い茂っていた。
彼らの森で魔物が出現し、その頃から、神樹の生命力が衰え、異変が起きていると長からは聞いた。しかし、初めてみるビアンカたちには、そのような異変は感じられない。圧倒されてしばし各々見入ってしまう。
「元気がない…?」
ビアンカは、相対して樹木を見つめている内にそう感じた。神樹の放つ気配に紛れてはいるが、その内に混ざっている別の気配に気がついた。ソフィアは、ビアンカの言葉を耳にして、注意深く見つめて、その奥にある不穏な気配を同じく知覚した。
「ビアンカ…これは…」
(タ……テ…)
「「…?」」
エルフの長から聞いていた異変は、これのことかと気付いた二人の耳に聞こえた囁き、それを伝え合う前に、慌ただしく背後の扉が開き、空気を読まぬ者が割り込んできた。
「余所者を入れるなど、父上は何を考えているのだ!」
お戻りください!
ここは今お客人が…
制止を振り切って割り込んできたのは、若いエルフであった。どうも彼は長の息子のようで、彼の強硬な姿勢は、側付きの女性陣では抑えがきかぬようだ。どしどしと近づいてくる様に、ディエゴとレオナルドが二人を守るように立ちはだかり、一番背丈のあるアルミノが大きな手のひらで、ガシッとその頭を押さえて、物理的にその突進を止めた。アルミノに抗おうとうるものの、どうすることも出来ないようで、若いエルフは声を張り上げる。
「手を離せ! 叔父上は、其方らを認めたというが、私は認めていない。里に招き入れるのは、良いとしても、神樹の元に外から来たものを通すなど、許されるか! いますぐ、神樹から離れろ!」
と、その時、語気を強めたエルフの勢いに後ずったビアンカは、軽くつまずいて神樹に手を付いてしまった。彼らが大切にする神樹には、恐れ多くて触れることなく少し距離を置いて見ていたのだが、勢いがついて神樹に手を触れてしまう。
「わっ…!」
「ビアンカ!」
「ビアンカ様!」
体勢を崩したビアンカを心配して、ソフィアとディエゴがビアンカに視線を向けると、何処からともなく伸びてきた枝がビアンカに巻きつくのが目に入り焦った声で彼女の名を呼ぶ。ビアンカの身体は瞬く間に巻き取られ、彼らの手が届かぬ空中に、掬い上げられてしまう。
「ビアンカ嬢!」
「嬢ちゃん!」
「ふえっ、わっ、ふぇええええっ!」
手を伸ばしたソフィアとディエゴの手は届かず、一足遅れて振り返ったレオナルドとアルミノは、地から足が離れて悲鳴を上げるビアンカを見上げる。
「やはり! 神樹もお怒りなのだ、はやく、父上たちを呼べ! 神樹が害する者達に抗っているのだ」
「なっ、我らにそうした意思はないと申し上げている」
昨日から感情的に突っかかってくる若いエルフに言葉遣いは丁寧だが、レオナルドも反射的に苛立ちを含んだ声を上げてしまう。
「ならば、あれをどう説明する! 神樹が、あのような事をするのは私は見たことがない!」
下から言い争う声は聞こえてくるが、ビアンカは木の枝に捕らわれて、地から足が浮いてしまう経験など初めてて、全力で狼狽えており、それどころではない。
「ビアンカ!」
「ビアンカ様!」
心配して見上げてくるソフィアとディエゴに、手を伸ばしたいが、不安定なこの場で身動きすることも怖くて躊躇してしまう。そもそも捕らわれたビアンカは徐々に高度を上げて、すぐにソフィアとディエゴの頭上を越えて持ち上げられてしまって、手を伸ばしたところで、もはや届かない。
ビアンカは、足が宙に浮いている不安定さと、離れていく地面と仲間たちの姿に身震いした。頼るものなどない虚空で頼れるものは、抱え上げている枝のみ。こんな状況に陥らせた元凶の枝ではあるが、それしか頼ることも出来ず、ビアンカは、絡みついてきた枝にしがみ付く。
(……ス…テ)
「…えっ!?」
ぎゅっとしがみ付いた枝葉から伝わってくる、声。
(イタイ)
(ツライ)
(ヤメテ)
(ケガサレル)
(助けて…)
「痛い…?」
「ビアンカ様!?」
心配するディエゴが、声を掛けてくる。柄に手を掛けて、枝葉を断ち切るべきか悩む姿を目にして、自分が聞いた声を伝える。
「ディエゴ様、『痛い、助けて』って言ってます」
「えっ…?」
「大丈夫です。恐らくですが…」
剣を抜こうか悩む彼に、安心してほしいと伝える。
救い上げられて驚いたが、枝葉はビアンカの脇と膝下を優しく支えて抱え上げてくれている。絡みつくように増えていく枝葉に、傍目から見上げるディエゴは焦っているが、ビアンカは全身を優しく支えようとしてくれているのが分って、少しずつ恐怖心が消えていく。痛みなど与えぬように抱き上げる枝葉は、ビアンカに訴えかけてくる。声なき声がその枝葉を伝ってビアンカの中に流れ込んできた。
「わたくしに、何かできることがあるのかしら…?」
ビアンカの問いかけに応えるように絡みつく枝が葉は、するっと脇に差したビアンカの短剣を持ち上げ、ビアンカの前に差し出す。
「…」
神樹の内側に感じた見知った嫌な気配。それと同じなのであれば…と、短剣を手にして、自分の内にある扉の鍵を開ける。これまでの旅で、きっかけを掴んでいたビアンカは、助力を乞うた声に応えたいと、内にある力を少しずつ外に解放するように、自分の内にある扉を少しずつ開けるイメージで、短剣に自らの力を注ぎこむ。
焦って事態を打開しようとしていたディエゴだったが、ビアンカの良くわからない制止の声に、剣を振るうこともできずに様子を見守る。もどかしい気持ちで剣に掛けた手を強く握りしめている。集中するように目を瞑るビアンカに声かけることもできない。
ディエゴは、背後に騒がしい若いエルフのほかに、次第にエルフの長や二コラ隊長と隊員たちが集まってきたことに気付いたが、目を閉じ集中するビアンカの目には入っていない。ただ、神樹と向かい合い一心に願う。
「助ける」
「な、なにをするつもりだ」
ビアンカが握りしめた短剣を振り上げたところで、若いエルフが声を上げるが、側に来たエルフの長は、彼を引き留める。剣先に集まる力には、攻撃性も嫌な感じも全くしない、むしろ…と、その成り行きを見守ることにしたようだ。
(ごめんね)
こうするしかないと、感じたのは直感だ。だが、今までもそうだが、旅に出てからもオルランドにもらった短剣で、何かを傷つけることはなかったビアンカには、少しの躊躇いもあった。
それでも、ビアンカは大樹を傷付けるかもしれない、と謝罪を口にしつつ、その剣は離さない。目の前の大木を傷つけたいのではない、その奥底に潜む何かを消し去りたいと強く願い、手にした短剣を神樹の幹に勢いをつけて突き立てる。
ずぶり、と硬いはずの木に剣は飲み込まれた。
「なっ!」
「…なんと……」
想像していなかった不遜な振る舞いに、怒って若いエルフが声を上げ、見守っていた長たちも驚きに声を上げるが…。後者の驚きは、そんなことではない。容易に貫ける硬度ではないはずだ。難なく貫く…、いや、自ら神樹がその刃を受け入れるかのような不思議な光景に息を呑んだ。
幹は、差し込まれた刃を中心に光り輝きだす。
ビアンカは何か固いものに刃が触れ、その切っ先から広がる魔力がそれを貫くのを感じた。全身から迸る力が刃の先に向かって流れ込んでいく。刃を通じてより濃く感じることができる黒い気配、それが内から神樹の生命力を侵して食い尽くそうとしている。それを切り刻んで小さくして、無垢な色にして虚空に返す。
必死に強く願うビアンカに応えるように、剣を通じて力が勢いよく流れ込んでいく。次第に開いた扉がその奔流に耐え切れずに壊れてしまいそうで、ビアンカは怖くなってきた。扉を閉じようとするビアンカだったが、流れ出ていく力を止めることが出来ずに、焦りを感じ始める。誰か…とビアンカが助けを願うと、何の前触れもなく急にその力が引き絞られ、勢いが消えていった。
訳が分からないが、勢いが止まって、ほっと息を付こうとしたビアンカだったが、肢体に力が入らず、マズい…と別の焦りを感じる。だが、抗うこともできず、完全に木に身をゆだね崩れ落ちたビアンカは、視界が暗転する直前に腕輪の石がキラり、と光っているのが目に入った。
彼女を包んでいた枝葉は、待ち受けるディエゴの元を彼女をふわりと下ろして、大樹の元に戻っていく。
一同が見上げたそこに存在するのは、青々とした葉を茂らせた神樹の姿だった。今までが死んでいたのだと言われても納得がいくほど、力強い生気を身にまとい佇む姿。
いつの間にか集まっていた隊員。
そして、各階から中庭の様子を見ていたエルフたち。
彼らは、神樹が慈しむようにビアンカをディエゴに返す様を言葉なく見つめていた。
2021/7/23 誤植修正




