第19話 初めての魔物と拓かれた道
草木の間から狼によく似た数頭の魔獣、ルーパが姿を現す。普通ならそう判断するが、ビアンカとソフィアには、それらを覆う黒い靄が見える。それは、イーダの父から発せられていた残滓と同じだ。ビアンカは、初めてその目に『魔物』を捉えた。
「これが、魔物…」
「ええ、全て魔物化しています」
「対象は、魔物化している、手筈は訓練通りだ」
ビアンカ達の会話を拾ったニコラ隊長が、各員に伝達する。
「ど、どうしてエルフの森に魔物がっ!!」
姿は魔獣であるルーパと同じだが、禍々しく立ち上る黒い気は、此処に来るまでに遭遇したものとは違う存在なのだと主張している。
「マルコさん、皆さんを信じましょう」
ビアンカは、彼を落ち着かせるため短剣に力を込める。目に見えて守られていると伝われば、少しは冷静になるだろうと、前方に少し大きめな盾を出現させることができた。自分とこの二人を守るのだ、その想いを短剣が汲んでくれる。
「うぁああっ!」
ビアンカの前方では、隊員が一人、遠吠えと共に飛来する見えない刃を受け、その体を吹き飛ばされた。隊長の指示の下で、隊員たちは少し距離をとり現れた四頭に対峙する。彼らの後方からレオナルドがその剣を振るうと四頭に水の槍が降り注ぎ、その槍で胸を貫き動きを止める。
「っ!」
やったか、と喜色をマルコが浮かべたが、動きを止めたのは数秒で、すぐに血が止まり眼前の隊員にその牙を向けようとする。
「凍れ」
パキンっ
しかし、レオナルドが魔力を込めて、足元の水は鋭利な刃となりその腹を貫く。足許を凍らせて動きを封じる。隊長とアルミノはそれを見逃さずに両脇の二頭の首を刎ねる。
「危ないっ!」
だが、隊長が刎ねた首は、薄っすらと筋を引く血が太くなり、元に戻ろうとする。思わずビアンカが声を張る。首を刎ねられたにも関わらず、その一頭はレオナルドの氷の楔から逃れようともがく、その姿にビアンカは驚愕し、気味の悪さに目を反らしたくなった。背後から二コラ隊長の背を睨み付けており、いつ拘束を振り切って、襲い掛かるか気が気じゃない。
だが、二コラ隊長とアルミノが次の二頭に切りかかる間に、ビアンカの声を待つまでもなく心得ている様子で二コラを狙おうとする一頭は他の隊員が囲む。魔物と予め分かっているため、対魔物戦を想定した連携で、確実にその生命を刈り取れるよう畳みかける。
「流石ですわね」
「ええっ」
短剣を握る力が汗ばむほどに、肝を冷やしたビアンカだったが、彼らの絶妙な連携に止めていた息を吐いた。彼らの戦闘は、森の中でも見ていたが、強敵を前にして、彼らの絶妙な連携が光る。
その時、彼らの戦闘に意識を集中していたビアンカたちの死角から別の影が躍り出た。ソフィアの右後から別の二頭が襲い掛かる。
「はぁああっ!」
「!!?」
ビアンカたちが振り向くより早く、護衛に残ったパオロが切り付け、その強襲を止める。しかし、咆哮と共に見えない刃が放たれ、パオロは辛うじて直撃は避けるも風圧で飛ばされ倒れ込む。その隙に、再びソフィアを目がけてルーパが襲い掛かってくる。
「ソフィアッ!」
パオロのお陰で、その危機に気付いたビアンカは、正面に構えていた盾をソフィアとルーパの間に突き出す。ビアンカの盾に阻まれ、勢いよく飛びついたルーパは、後ろに仰け反るよう跳ね返る。
「ビアンカッ…」
ぎゅっと思わず目を閉じてしまったソフィアだったが、盾に跳ね返されたルーパの怯む声にそろりと目を開ける。危機をしのいでくれたのが仲間だと気づいてソフィアはその名を呼ぶが、ルーパは、体勢を整え再びビアンカたちに牙をむいて来る。
パオロが、これ以上は護衛対象に近づけるまいと立ち上がりルーパに向かって剣を振り下ろす。ルーパの側面からその肉を断つが、ルーパは彼の追撃を軽やかに躱す。
ルーパは自分を傷つけたパオロに敵意をむき出しにし、ズブりと腹にその牙を食い込ませた。
「ぐっ」
「パオロさんっ!」
パオロは剣を振るいルーパを引きはがすが、距離を取ったルーパは見えない刃で彼を切り裂き、地に倒すパオロの腹を再び食い破ろうとする。
「や、やめてー!」
ビアンカの叫びと共に地に伏すパオロを中心に半球状の障壁が現れる。構わず飛びかかるルーパだったが、うっすらと球状の盾が帯びる白い浄化の光に自身の力の一部が霧散していくのを感じたのか、障壁に挑むのを止めて、忌々しそうにビアンカを見据える。
「っ……」
「はぁあああ!」
明確な殺意を正面から受けて怯むビアンカだったが、ルーパがビアンカに攻撃を仕掛ける前に、一頭を仕留めたディエゴが、その首に大剣を打ち下ろした。パオロから受けたダメージもあったせいか、ディエゴの一撃でルーパの黒い気配は消滅し、その動きを止めた。
「ディエゴ様…!」
「怪我は?!」
「わたくしたちは大丈夫ですが、パオロさんが…」
怪我を負ったパオロに近づきよく見ると、風で切り裂かれた裂傷は浅いが、防具を貫通し噛みつかれた腹部からは血がでている。ソフィアが声をかけながら癒しを与える。
「ち、血を止めなければ、パオロさんしっかりなさってください」
「…。ソフィア様、パオロさんをお願いします。ビアンカ様、盾の中に彼らと一緒にご自身も入ることはできますか?」
「やってみます」
半球状の盾を広げて、ビアンカはその場の四人を包み込む。
「こちらでお待ちください。加勢して一気に終わらせます」
レオナルドたちの方は、いつの間にか更に一回り大きな個体と数頭のルーパが姿を現していた。ディエゴは、周囲の気配を探り、他には襲撃はないと判断し、戦闘中のレオナルド達のところへ合流する。
「ディエゴ様、気を付けてください」
「すぐ戻ります」
ディエゴが加勢に向かう間に、アルミノはすでに大きな一頭に斬撃を加えていた。斬りつけらても直ぐに傷が回復し始め、決定打にはならない。立て直し襲いくる爪と牙を軽快に躱し、すれ違い様に首元を深く切りつける。だが、それでも動きを止めない。
「はぁっ!」
アルミノと入れ替わるようにレオナルドと隊長が畳み掛ける間に、アルミノは刀身に力を込めるように溜めを作ると、ニコラ隊長の合図で、少し動きが鈍った魔物に剣を突き立てた。
「アルミノ、いまだ、やれっ」
「はぁああっ!!」
突き立てられた剣を中心に、魔獣の黒い靄が薄まっていく。隊長とアルミノでそれが完全に無力化するまで、手を緩めずに攻撃を加える。
大きな個体が引き連れてきた魔物が、まだ数頭残っているが、レオナルド、隊員達の連携攻撃にディエゴも加勢し、ディエゴの言葉通りに事態は程無く収束した。
用心深く動かない魔物を調べ、隊員たちはその遺骸を一所に集め、それを燃やしていた。その傍ら、傷を負ったパオロにソフィアが癒しを施しているが、イーダの父親と一緒だ。他にも傷を負った者はいたが、それは薬の治療で間に合うが、パオロの治癒は難航していた。
夜半ビアンカは、そっと寝所を抜け出そうとして、ソフィアに声を掛けることにした。治療で疲れたソフィアは、眠っていると思ったが、ビアンカの考えなど見透かされていたのだろう、振り返ると彼女と目が合った。
「ビアンカ、いくの?」
「ソフィア、起きてたのね…」
「すぐに手当てができたから、恐らく命には別条はないはずよ」
襲撃の後、パオロには傷を受けてすぐに聖水を飲ませ、傷の治療もできる限りはしたため、命に別状はないから、とソフィアは短剣に手を伸ばすビアンカを止めた。通常の討伐であれば、それが一般的な処置である。先ほどと同じ言葉を繰り替えす。
「ねえ、ソフィア。ディエゴ様と見つけた赤い実、美味しかったわ」
「…口にすると、思ったより甘かったですわね」
「パオロさんが、国に帰っても食べれるって教えてくれたわ。生菓子に練り込まれてたり、国内でも流通してるみたいなの」
「…」
「苦しむパオロさんのこと放っておいたら、…いま、悩んで躊躇して何かあったら、きっと、戻ってからお菓子を口にしたり、学院に通って講義を受けたり、そういう日常を心から楽しめない気がするの」
「ビアンカ…」
自分たちを守るために傷つくのを見てしまった以上、放ってなどおけない。
「それに、この力のことが公になっても何かあるって決まってるわけでもないもの。気になって睡眠不足になるより、いいかなって思って」
「ふふっ…、そう決めたのでしたら、お手伝いするわ」
それに短い間だが共に旅をしてきた仲間だ。ビアンカのことを気遣い優しく接してくれた。
隠し通すより皆で無事に帰ることを選びたい。
「ソフィア……、ありがとう」
負傷したパオロには傷薬と穢れを祓うために用意された聖水も用いたが、完全には黒い靄は消えなかった。浸食を抑えて、教会で処置をしてもらうのが通例だそうだ。
見張りを残して他の者は明日に備え、就寝していた。当然、彼らも傷ついた仲間が心配だが、そんな時こそ身体を休めることも仕事の内と訓練されている。だが、魔物に遭遇した仲間の末路は、経験上、最悪の事態もありうる。絶対に大丈夫だという保証もなく、先ほどは仲間を心配しソフィアの治療を遠目に見守ってるのが伺えた。
「ディエゴ様…」
イーダの父の時のように、魔法の準備をしようとしたソフィアだったが、暗がりの中に立つ人物が大剣を背にしているのを目にして止めた。
「来ると思った」
見張りに立っていたのは、ディエゴだった。この事態を想定して見張りを買って出ていたようだ。予想通り現れたビアンカに彼は微笑んだ。
怪我したパオロには一つの天幕が宛がわれていた。
パオロは、腹部から全身に忍び寄る痛みに呻く。順調に回復するとしても暫くはその痛みに苛まれると知識として知っている。怪我、あるいは死も入団したときから覚悟していたはずなのに、想像を超える痛みに心が挫けそうになる。
「情けないっ…」
二コラ隊長と共にこの地に来る任を与えられ、嬉しかった。やり遂げようと思っていたのに、自分が皆の足を引っ張ることになることが悔しくて、朦朧とした意識で後悔の念を口にしていた。
(大丈夫です。すぐに良くなりますから)
痛みで混濁してた意識が、か細い声を捉えた。重たい瞼を気合を入れて薄っすら上げてみると、目を閉じて小さく何かを口ずさむ少女の姿が目に入る。自分の身体じゃないような重たさが消えていき、身体が次第に楽になっていく。目を閉じている少女は気づいていないようだが、淡く光る少女の姿は、暗がりに差し込んだ急な眩しさのせいで、はっきりと姿を捉えることができない。
(この者を侵す穢れを祓い賜え)
そう少女が呟いた瞬間、パオロの全身に心地良い温もりが広がった。
パオロは、余りの痛さに夢を見ているのだろう。きっと、目が覚めたら、また痛みがやってくるのかもしれないと思った。でも、今はこの心地さに身を任せよう。パオロは睡魔に抗えずに眠りに落ちていった。
次の日、旅の面々は歓喜した。まだ、傷は残っているものの昨日の苦しみ方が嘘のように、通常運転で皆の前に姿を現したパオロに、魔物の討伐を経験したことが有る彼らは、一体何が…と驚いていたが、仲間の回復を祝い、共に喜んだ。
「痛みは、もうないのか…」
「ほ、本当に大丈夫なのか?」
「マジかよ、心配かけやがって、このやろー!」
「うわっ、止めてくれ、痛っ、まだ傷は治ってないから、止めてくれっ」
先輩の隊員に頭をガシガシ撫でられて、傷が痛むと文句をいうが、その顔は笑っている。昨晩まで感じていた痛みに比べたら、どうってことはない。
天幕をしまい出発準備を皆が進める中、お前は、良いからとビアンカたちと共に、待機を命じられたパオロは、ビアンカたちと出発の準備が整うまで待機となった。
「日が差すと昨日までとは、全然違いますね、それに…」
「ええ、魔物を討伐したからでしょうか、空気がまるで違います」
会話する少女たちを見つめながら、パオロは昨晩の夢で聞いた声と薄っすら目にした姿を思いだそうとする。
「…あのっ、昨晩、昨晩は、どちらに…?」
「え?」
「…私たちは、一緒に休んでましたが…、早めに眠くなってしまって、つい先ほどまで寝てまして…」
「ふふっ、ビアンカはすぐに寝入ってしまいましたものね」
何かを言いたそうにしていたパオロだったが、アルミノがソフィアの言葉を聞き留め話しかけてくる。
「嬢ちゃん、意外とやるな、こんな場所でもよく寝れんだったら、大したもんだ。本当に、貴族のお嬢様か?」
「アルミノさんっ、失礼です!…疲れてましたもの仕方ないじゃないですか。…パオロさん、回復されて、よかったです」
ビアンカの声を聞きながら、パオロは黒い髪がふわりと舞い、光が少女を祝福するように煌めいていた光景を脳裏に描く。夢だった…、でも、違うのではないか。
聞きたくて、確かめたくて、何かを口にしたいのに、心の底から自分の快方を喜んでくれる彼女の嬉しそうな顔をみて、絞り出したのは、別の言葉だった。
「ありがとう、ございます。有難うございます。ビアンカ様」
「…準備が整ったようですね。参りましょう」
立ち上がりソフィアがニコリと笑い、他の隊員たちと合流する。
皆、昨晩とは打って変わって、明るく笑いあっている。その場の空気が軽やかなのは、パオロの快方がもたらすものだが、それだけではない。
夜が明けると、世界は一変していた。
開けた野営地に陽が差しているから、というだけでもない。薄暗い空気が霧散し、きらきらと光る精霊の存在を色濃く感じる。精霊の気配を感じることができない者にも分かるほどに空気が違っていた。
「では…」
準備が整い、「参りましょう」と二コラ隊長が先導しマルコが見つけた道を進もうとしたが、彼が振り返ると周囲の視線は、ソフィアに注がれていた。
「これは…」
ソフィアがの指輪には、光が集まり凝縮していく。
(ありがとう…)
ソフィアの耳にだけ、見えない何かの声が届く。指輪から放たれる光は、出発する予定だった方向に向かって細い線となり木々の間を抜けてその先まで続いていく。細い線が少しずつ大きくなり、ひと際強い光となって弾けると、そこには鬱蒼とした木々の姿が消え去り、広々とした道が姿を現した。
2021/7/23 誤植修正




