第1話 迷子と新聞
大事な役目なら自分でなくとも、他の誰かがやればいい。頭に血が上って家を飛び出し、闇雲に突き進んできたビアンカだったが、ふと気が付くと、全く見慣れぬ路地に入り込んでしまっていた。日が差さない薄暗い路地の冷たい空気はビアンカの足を止めさた。
「…此処は、どこかしら…」
大変な役目なんて、1回しなくても誰も困らないではないか、ビアンカは、魔力もなければ、精霊も見えない。特別な力がある人間は、一握りいる。彼らは自分の力を認知し、その力を役立てられる王宮の騎士団や教会で、求められ職務を全うしている。昔から我が家の血筋がやっていたことだから、と押し付けられた役目。一度たりとも自分にしかできないと考えたことはない。
ただ、飛び出したものの行く当てもなく、どう進めば戻れるか分らない。ゾクっと不安が背筋を撫でる。日が差す場所が恋しくなって、一先ず広い通りに出る。少し値が根が張る魔道具や服飾品を取り扱う店や書店が目に入った。どうやら貴族街に接する商業区のようだ。
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前略
ジュリア、父を殴ってしまいました。
流石に、撲殺はしていないと思いたいです。
適当に道を歩いてきたら、商業区に迷い出てしまいました。
迷子になっております。
帰り道もこらからどうすれば良いかも分かりません。
明日、いつものように学院でお会いできることを祈ってくださいませ。
早々
迷子中のビアンカより
追伸 傷害罪で自由を奪われる前に
一度でいいからカーニバルご一緒したかった…
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心で文をしたためて、ぐすんと、段々心細くなって涙が出そうになってる気持ちを誤魔化しながら、とぼとぼと歩き続ける。
商業区であれば、もしかしたら、ジュリアの商会や誰か知ってる人に出会えないかしら、と思ったが、知り合いにこの年で迷子だと告白するのは、恥ずかしすぎる。葛藤しながら歩き続けた結果、どんどんビアンカは自宅から遠ざかっていた。
レ…ナル…様の婚約者になったら!
この記事、本当なのかしら
でも、時間も夕刻までって書いてるし、そんなに猶予ないじゃない
私は行くわ
じゃぁ、私も行くわよ
正面からやってきた年頃の女の子の集団とすれ違う。何やら大層興奮しており、何かの紙をみながら、盛り上がっているようだ。
「何かしら、これは……」
ふわりと、地面に落ちている紙切れを手に取る。先ほどの集団の誰かが落としていったのだろうか。新聞広告の切り抜きだった。
『イレーヴェ公爵家 レオナルドの妻を国内の18歳以下の子女より募集する』
「なんですって?!」
つい、ぽろっと玉の輿にでも乗りたいわ、などと口にしていたところ、転がっていたおいしい話。思わず天下の往来で、大きな声をあげるビアンカだった。
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イレーヴェ公爵家の門前に、平民の子女、位がさほど高くない貴族の子女が群がっていた。お目当ては、その日の新聞の下段に掲載されていた広告であった。普段は、老舗の商会や羽振りのいい新興商会が競って獲得するスペースだが、大きな広告が掲載されていた。
道にも人生にも迷子中のビアンカは、渡りに船だと思った。迷子になってる自分だが、彼女たちについて行けば、貴族街の自分が知っている場所まで戻れるかもしれない。しかも、玉の輿の機会が転がり込んで来ようとは、と幸運に感謝した。
女の子達の後を追って歩いていると、次第に何処かへ出かけていた冷静さも戻ってきた。段々見慣れた街並みが近づいてくにつれて、心細さも解消されてくる。しばらくすると頭に上っていた血も完全に降りてきていた。何だか怪しい話しではないか。もう一度、拾った紙をよく見ている。
「あら?」
広告記事の装飾のようにも見える少し小さな文字で「真のクロムスフェーンの輝きを持つ者よ」という一文をビアンカは識別した。何やら、小さな文字で条件が書いてあるが、どういう意味だろうか。クロムスフェーンは、緑色の希少性の高い宝石だ。
「そんなもの身に着けてないけれど、それが条件ということ?」
流石に公爵家に喧嘩売ろうなんて人いないだろう。公爵家の名を語る偽広告はないだろうが、社交会でも人気がある公爵家の息子の相手をこのような形で、募集なんて本当にしてるのだろうか。
良くわからないが、女の子たちの後ろを追って、たどり着いてしまった公爵家の門前は、記事を見た人が押しかけていた。
「どうして私は入れないのよ!18歳以下の子女であれば良いって、書いてあったじゃない!」
憤慨して、門番に詰め寄る少女と、面倒くさそうな表情を隠すこともしない兵士が、向かい合っているのは、王都中央部の貴族街にあるひと際大きな屋敷の門前であった。
「あのなぁ、お嬢さん。ちゃんと書いてあるだろう、『真のクロムスフェーンの輝きを持つ』って一文ちゃんと読んだのか?」
胸に手を当てて、門番に詰め寄る少女。年は15、16の頃合いだろうか。周囲には同調し、中に入れるように騒ぎ立てる子女が多数。やれやれとため息をついて、門番は何度目になるかわからない説明を口にする。
「公爵子息の婚約者候補だぞ。本物のクロムスフェーンを身に着けられるようじゃなけりゃ、そもそも屋敷に入れられるわけがないだろう…」
「わざわざ来たんだから、入れないさいよね!」
「とにかく、こちらの門からは、通すことはできない。さぁー、帰った帰った!」
兵士に詰め寄っていた、裕福な家の出であろう娘が諦めて引き上げていくにつられ、集まってきた子女たちは、街に帰っていった。
「そうよね。そんな上手い話なんてないわよね・・・」
貴族が使う馬車は、国内随一の商会製のものが有名であり、緑の宝石クロムスフェーンが凝った意匠の車体と前照灯に嵌め込まれていた。クロムスフェーンは不変や純愛を象徴しており、深読みせずに読めば「純粋に公爵子息を愛する気持ちを持っている18歳以下の子女であれば歓迎するから、募集に応じてくださいね」とも読み取れるが、大きな文字で、「誰でもいいよ」と書いてるようで、馬車で正門にお越しください。つまり、「馬車の一つも持ってない貧乏人はおよびじゃないから、そこんところは、ご了承くださいね」と書いてあるようにも取れる。
「そんな言い回し、馴染みがない庶民に察してという方が無茶だわ。だったら、庶民の目に留まるような場所で告知なんて出さなきゃいいのに、『放蕩息子』っていうのは本当なのかしら」
ビアンカは、父親を殴り倒して飛び出してきた。当然、徒であったし、家にはそんな立派な馬車はない。帰りゆく平民たちを見やりながら、胸中に抱くのは、もしかして、この門に入れるのではないかと幾ばくか期待した自分への呆れだった。やっぱり、そんな都合のいい話は転がってるわけないか、と肩を落とす。
だが、彼女たちについてきたおかげで、たどり着いた此処は、小高い公爵家の門前であった。遠目に見慣れた樹木が生い茂る一帯が目に入った。実家の果樹園だ。幼いころから、嫌なことがあったら逃げ込んでいる場所だ。帰る前に気持ちを落ち着けようと果樹園を目指すことにした。
2021/5/22 サブタイトル追加
2021/7/23 誤植修正




