第17話 休息と距離感
レオナルドたちを見送ってからの数日間、ビアンカ達は殆どの時間を商会で過ごしていたが、街の散策に出掛けることになった。午前中は、看護の手伝いをしていたが、怪我人たちの状態も大分回復してきたため、これ以上の手伝いは、と遠慮されてしまった。商会員から色々と街のお勧めを紹介され、今は天然石の店にやってきていた。
「たくさん種類がありますね。綺麗…」
北の大陸は、天然石の採掘量が多く、希少性の高い宝石の原石も多い。軽量で高価な品々は、取引の主要な品の一つであった。魔道具に使われる宝石は特殊な加工が必要だが、北の大陸ではその技術も進んでおり、重宝されている。
「これはビアンカの短剣の石と同じだと思いますわ」
「これが…ですか?」
「短剣のものより希少性が低い淡い緑ですが、種類としては同じものですわね。こちらで購入して、戻ってから宝飾品に加工していただくのもいいかもしれませんね。ビアンカにきっと似合います」
「へぇ…、ソフィアさ…まは、お詳しいですね」
「…」
職人が技を競い高められた多彩なカット技術は需要が高い。この店では、原石も一部陳列されているが、熱処理と研磨がされたものが人気だ。それらを購入し、持ち帰ってから宝飾品へと加工してもらうことが多いようだ。ただし、魔道具の素材としての加工は別だ。こうした一般の店ではなく、限られた商会での取り扱いとなっている。
「ソフィアは、詳しいわね」
「ふふっ、わが国で知る人ぞ知る希少な石ですわ」
イーダの父を浄化した日、昼間に笑顔でソフィアから叱咤されたビアンカだったが、水くさいの下りのとどめは、浄化を終えて部屋に戻ってからだった。旅の仲間なのに「様」で呼ばれるのは寂しいと、ビアンカはソフィアに泣き落とされた。
『いえいえいえいえいえ、わたくしが、そんなっ!!』、と抵抗したものの美人に悲しそうに、じっと見つめられてビアンカは呆気なく陥落したのだが、まだ、慣れないため、このやり取りが何度か繰り返されていた。
敬称を付けないのには、少し違和感はあるが、嬉しそうなソフィアを見てると頬が緩むビアンカだった。護衛として同行していたディエゴも以前より距離感が近くなった二人の様子が微笑ましくて、彼の表情も自然と緩む。
「これは…何の石かしら…」
「サファイアかしら?」
「それは、タンザナイトですよ」
お店の人から、タンザナイトは『高貴』や『冷静』という意味を持つ、と聞いて、ソフィアに良く似合うと思った。澄んだ綺麗な青だった。政略結婚のソフィアとレオナルドだが、幼馴染ともあって、二人は一緒にいるのが自然に見える。きっと、レオナルドは、婚約者であるソフィアに宝飾品を送ったりするのだろうなと想像する。早く二人が一緒にいるところが見たい。
「レオナルド様たち、無事にお早く戻られるといいですね」
「ええ、そうですわね。でも、レオ様お強いので、きっと、ご無事ですわ」
それから各々気になるものを見ていたが、ディエゴが何かに気づいて、店の外を確認しに側を離れ、すぐに戻ってきた。
「ソフィア様、ビアンカ様、討伐隊の馬車が表を通りました。レオ達が戻ってきてるかもしれません」
「まぁっ! 思いのほか早かったですね」
「ソフィア、戻りましょう」
「ええ!」
皆に会えると足早に商館に戻った三人だったが、今朝は落ち着いていたはずの一階では、忙しなく商会員や外からやって来たと思われる治療院の制服を着た者たちが行き交っていた。
「まさか…」
「…」
先遣隊の治療に当てられている部屋の隣、別の会議室に人が集まっていた。恐らく誰か怪我を負ったのだろう。知り合って間もないが、初めての長旅に緊張していたビアンカを彼らは気遣ってくれた。彼らの誰かが…、そう思うとビアンカは血の気が引いてくる。皆無事で居てほしいと祈りながら、彼らが集う部屋へ向かった。
「レオ様!」
部屋の扉の側には、レオナルドがいた。声を掛けたソフィアは、特に怪我はしていない様子を確認して、ほっと小さく息を付く。
「ソフィア、いま、戻った」
「レオ様、お怪我はありませんでしたか?どなたかお怪我されたのでは?」
「ああ、私は大丈夫だ。怪我人もいるが、命にかかわるような怪我ではない。心配しなくていい」
怪我してしまった人はいるが、大事には至っていないと聞いて、三人は一様に安堵した。一旦、手当ての必要がない者で別室に集まることになった。
「討伐は幸い順調に進められた。先遣隊が遭遇したであろう魔物の掃討も叶ったため、恐らくエルフの森まではソフィア様とビアンカ様を連れていても問題なくたどり着けるだろう。明日、物資を整え、明後日、エルフの森を目指す」
隊長により予定が告げられ、翌日は、出発までの束の間の休息となった。
準備の大半は、商会と騎士団が請け負ってくれたこともあり、ビアンカ達は思い思いに出発前の時を過ごすことになった。どう過ごそうかと思案した結果、ビアンカは、街に出ることにした。そう深く考えず、ふらりと外に出掛けようとしたのだが、玄関に向かう道すがらでディエゴと遭遇する。
「ビアンカ様、流石に護衛は、お付けいただかないと…」
「でぃ、ディエゴ様」
正直、零細貴族の娘にとって、護衛というものに馴染みはない。それに皆、出発前にゆっくり体を休めたいだろうと思うと、護衛を誰かにお願いするのは気が引けた。ディエゴは、そんなことだろう、と察しは付いたが、街に一人で出掛けて何かあれば…、と思うと見かけてしまった以上、放っておくわけにもいかない。
「私で宜しければお供しますが…」
「えっ、そんな昨日もお願いしてしまったのに」
「あー、誰か隊員の方やアルミノも声を掛けたら喜んで引き受けてくれると思いますよ」
別の者を推挙されたが、別にディエゴが嫌なわけではないし、一番頼りにできるとは思っている。ただ、明日から出発するのに個人的な用件に付き合わせてしまうことが憚られる。
「急ぐものでもないので…、やはり、今日はこちらにいようかと思います。明日からは、馬車で移動ですし、帰りに時間が許せば出かけられます。今日は身体を休めておくことにします」
「…そうですか? …あのっ、私も行きたいところがありますので、もし、宜しければご一緒いただけませんか?」
先日から、何かと助けてもらってのだから、そう言われると断る理由はない。明日からに備えて何か買いたいものでもあるのだろうか。
「では、お願いしてもよろしいですか」
「喜んで」
結局、付き合ってもらってビアンカは街に出掛けることにした。行き先を聞いて移動手段を考えようかと思ってディエゴに行き先を尋ねてみる。
「どちらに行かれるのですか?」
「先に、ビアンカ様のご用件にお供してもよろしいでしょうか。まだ、少し時間が早いですので…」
「よろしいのですか?」
付き合ってほしいと言われたビアンカだったが、ディエゴは何処に向かいたいのだろうか。大抵の店であれば、もうやってる時分だと思うが…、やはり、気を使ってくれたのだろう、とディエゴの回答に苦笑するが、折角なので行きたかった目的の店に向かうことにした。
ビアンカが来たかったのは昨日の店だった。もう一度、ゆっくり見て気に入ったものがあれば、買っておきたい。目当てはジュリア達への土産だ。彼女たちに合いそうなものを吟味する。ビアンカが思案しているとディエゴが快く話を聞いてくれたため、少し時間は掛けてしまったが、満足いく品を選ぶことができた。品物は商会に届けてもらうことにした。
「ありがとうございました。お付き合いいただいて、お陰で選ぶことができました!」
「そんなっ、お役に立てたのでしたら、よかった」
「…ディエゴ様、この後はどちらに?」
「街外れに小さな庭園があると聞きまして、そこに足を運んでみようかと思いまして」
てっきり、気を使わせただけかと思ったが、行きたい場所はあるらしい。返ってきたのは少し意外な場所だったが、一方的に突き合わせただけにはならないようだ。
「庭園ですか?」
「キエロという白くて小さな花らしいのですが、こちらでは代表的な花らしく、ミラコーラにはないと聞きまして、見ておこうかと。もし、ご興味あればご一緒にいかがです?」
「ぜひ、見てみたいです」
「それと近くに、この土地の果物を使った甘味が人気の食事処がありまして…、男一人では入りづらいので、ご一緒いただけると嬉しいです」
「まぁっ、素敵です。喜んでっ」
昨日、勧められた場所の一つだという。甘味を好む男性もいるが、そうした店は何かと女性に向けたサービスが多く、店構えも男性が一人では入りづらい。少し照れくさそうに告げたディエゴが可笑しくて、ビアンカは微笑んだ。二人は乗合馬車を捕まえて、街の外れまで向かった。
「わぁー、一面、真っ白な花が、これがキエロですね」
「見事ですね」
たどり着いた庭園。美し花のいアーチをくぐり抜けて入ると早速、白いキエロの花が一面に敷き詰められているのが目に入る。葉が大きく緑の絨毯に白い花が敷き詰められているようだった。歩道の両側が全てキエロで、小さな鈴のような花が連なっており、弓なりに垂れている。小さな花が風に揺れていた。
「ジュリア達にも見せたいわ」
「仲がいいんですね」
「ええ、ジュリア、コリンナ、メアリ。帰ったら一緒にお茶するのが楽しみです。さきほどのお土産も早く渡したいです」
「きっと、喜んでいただけますよ」
「そうだと嬉しいです」
北の大陸に来ることになるとは、予期せぬ事態になったが、無事に戻れればジュリアたちと学院で会って、買い物に出掛けたり、お茶をしたりできるだろう。他愛ない日々を過ごして、役目を果たすときは、それをこなす。煩わしいと思っていた役目ではあるが、家宝の修復が叶えば、そんな当たり前な生活が戻ってくる。
「…わたくし、家の役目が嫌で、早く解放されたかったんです。ジュリアみたいに商才なんてないですが、庶民になって商いしたり、結婚して家を出たら役目なんて関係ない生活ができるかな、なんて思ってました」
「いまは…?」
ビアンカは、咲き誇る花々を前に、ふと国にいる友人を思い、立ち止まりキエロが一面に広がる遠くを見つめる。
「家の役目が『悪しき魔』を封じるために必要なもので、かつて聖女様が封じてくださったから、わたくしは今まで憂いなく過ごすことができていたと知りました。今までのように放り出したい、なんて簡単に口にはできなくなってしまいました……」
「貴方は、偉いですね」
「小心者なだけですよ。この旅で『悪しき魔』を完全に浄化する方法について何か手がかりを得られればと願います。壊してしまった責任もありますし…」
「ビアンカ様、それをあまり気にし過ぎると、また、ソフィア様に頬を摘ままれてしまいますよ」
「ふふっ、そうですね」
冷ややかな笑顔で怒るソフィアを思い出して二人で吹き出してしまう。
「ビアンカ様」
向かいから人が歩いてきていた。
注意が逸れていたビアンカの肩をそっと引いて、彼らとの衝突を回避してくれる。
「あ、ありがとうございます」
不意に引き寄せられて、視線をあげると普段より近くにディエゴの顔があって、ビアンカの心臓が少し跳ねる。
「参りましょうか」
そう言ってディエゴは、腕を差し出してくる。危ないから掴まれということだろうが、心臓に未知の衝撃を受けたビアンカは一瞬悩むが「どうしました?」と言うように静かに待つディエゴの腕を頼ることにした。
「はいっ」
少し悩んだビアンカが手をそっと腕に手を添えて、はにかみながらも微笑み見上げてくると、ディエゴは口元に反対の拳を当てた。華奢な手が軽く添えられているだけなのに、何故だかその存在に心が満たされる。
彼女の笑み一つで、揺り動かされる気持ちに少し戸惑いつつ、オルランドの店のように、するりと逃げられてしまわないように、ぐっと握った拳に力を込めて歩き出す。
2021/7/23 誤植修正