第16話 力の目覚め
明朝、討伐に向かう面々を見送り、商会に戻ると昨日の女性がソフィアを呼び止めた。
「ソフィア様!イーダの父親が…!」
部屋に向かうと起き上がった父に頭を撫でられて嬉しそうにしているイーダがいた。今朝になると苦痛が和らぎ、起き上がれるようになっていたという。まだ、完治はしていないため、少し辛そうではあるが、ずっと、臥せったままだったのだから大きな進展だった。
「お姉ちゃん!お父さんを治してくれてありがとう!」
昨日まで彼を取り巻いていた黒い気配が薄まっていた。ソフィアは、そう言われてイーダに抱き着かれると目を見張り、静かに嬉しそうに佇むビアンカを一瞬見たが、いつもの笑顔を浮かべて、イーダをそっと撫でた。
「わたくしは、少しお手伝いをしただけです。お父様が頑張って怪我と戦ったから、回復されたのでしょう。イーダさんの想いが届いたんですね」
その後、ビアンカは商会の裏手で、短剣を握りしめて昨晩の感覚を思い出そうとしていた。自分にできることを早く理解して、力を使えるようにならなければ…
「ビアンカ様、…昨日から、少し元気がないようですが、どうされました?」
「ディエゴ様」
庭のベンチに腰掛けて、ディエゴに差し入れられた水で喉を潤すが、渇いてザラつく心は変わらない。
「早く皆さまのお役に立てるようにならなければ、と思って少し焦っていたようです。ご心配お掛けしてしまって、すみません。もう、大丈夫です! 心配してくださって、有難うございます」
作ったような笑顔で、礼を言うビアンカをみて、ディエゴは少し悲しそうな顔をする。
「あの男性を癒したのは、ビアンカ様ですか?」
「…」
魔物の黒い穢れに侵され、彼のように重篤な状態になると、そう簡単に回復はしない、と知っている彼は、ビアンカの様子を見て、何かを察したようだ。
「……私のことを助けて下さったように、困った方がいると貴方は、行動するのを止められないのですね。力のことは隠しておきたいと仰るのに…、そのことで、何かお悩み」
「違います…」
彼の『何かお悩みですか』と言いかけた言葉をビアンカは遮る。
「わたくしが、来ることになったから彼女のお父さんは…。そのような高尚な行いではないのです」
「それは、ビアンカ様のせいではないでしょう?」
「っ…」
違う…。目の前にいた男性が浮かべたていた苦悶の表情。傷を負った商隊の人たち。あの一室にいた人たちの怪我は、自分のせいだ。もし、十分な準備の時間があれば、こんなことにならなかったのではないか…、ビアンカはそんな思いに囚われていた。
「…違います。わたくしのせいなのです」
「ビアンカ様…?」
言ったら軽蔑されるかもしれない。それに口にしてしまうことだって、狡いだけだ。そう思ったが、それでもビアンカは、誰かに責められてもいいから、吐き出して誰かに叱られて、懺悔して、楽になりたかったのだ。
「大事なものを、わたくしが壊してしまったのです。そのせいで、今回、急な出発となってしまったのです。…自分のためです。あの方を見ていて、自分の罪悪感に耐えられなくなっただけです。ただの自分勝手な行いなのです。その責任を取るためにきたのに…、わたくしは自分の力を、まだ上手く使えません」
「ビアンカ様…、でも、それは水くさいです。貴方のためだけではなく、私達のために彼らは先遣隊としての責務を果たしてくれたのです」
「ディエゴ様…」
「私は、この計画は、以前より話があったとアルミノに聞いております。だから、多少時期が早まったいうことでしたが、迅速に準備は整えらたと」
「…」
「時期のずれ、それがビアンカ様に関係しているのだとしても、この旅は、私達の旅です。一人のせいだなんてこと、そんなこと言わないでください」
「…」
「ただ、その後悔が貴方にとって大きくて、その為に何かを成し遂げようとするのであれば、一人より、二人の方が成し得ることも多いのではないでしょうか」
ディエゴは、ビアンカの前に片膝を付き、そっと頬に手のひらを添える。
「旅の仲間として、私は、貴方を支え、共に役目を果たしたいと思っています。一人で抱えて、悩まないでください。出発前、お伝えしたように、私は貴方を守りたいのです。一人で自分を攻撃して閉じこもろうとするより、最大の成果をあげるために、遠慮なく仲間も頼ることの方が、これからを考えると大事だと思えませんか?」
諭すような台詞…、ただ、その顔に見えるのは悲しみだろうか。眉を下げて心配そうにディエゴはビアンカを見ている。
「わたくしも「水くさい」というのには賛成いたしますわ」
ディエゴが、背後に向き直り、剣に手を掛けたが、すぐにそれを放す。建物の陰から出てきたのは、ソフィアだった。何でだろうか、笑顔を浮かべているのに、ビアンカは、ソフィアからは仄かに怒りの感情を感じた。
「ソフィア様!」
「ビアンカさんのところに行くと仰っていたので、少し話ができればと思いまして…。勝手に聞いてしまったことは謝ります。申し訳ありませんでした。これ以上は、盗み聞きを続けるではなく、話にわたくしも混ぜていただこうと思いましたの」
「…」
ディエゴを追ってきたのであれば、初めから聞かれていたのだろうか。力のこともこの旅の出立が早まったのが自分のせいであることも、ソフィアには知られてしまったのだろう。
「ビアンカさん!」
「は、はい」
いつもの淑女の見本のようなソフィアなのに、何かを背負っているかのような威圧感をビアンカは感じて、母に叱られた時のように背筋をピシりと伸ばして返事をする。
「わたくしも水くさいと思いますのよ」
「ソ、ソフィア様…、お、怒ってます…?」
「あら、そう見えまして?」
おっとりと頬に手を当てながら少し考えた後に、笑顔を深めながらソフィアは告げる。
「今回の調査隊の派遣は、国が決めた事です。何か思い悩んでるようですが、それは、貴方だけの問題ではなくて、私たちの問題だとわたくしも思います」
「それは…、でも、わたくしのせいで、準備期間も短くなってしまい…、それにソフィア様の主席だって…」
それを聞いたソフィアは、何度か目を瞬かせると、無言でツカツカとビアンカに歩み寄った。
「ソ、ソフィア様?!」
「ふぉふぃあはま…」
ソフィアは、ビアンカの頬をむにぃっと両脇に引っ張る。ぎょっと驚いたのは、側に立っていたディエゴだった。
「いま、普段あまり感じない、怒りというものを感じましたわ」
痛くない。すぐに解放されたため、それほどは痛くはないが、何かまた発言を誤ってしまったら、今度は、遠慮なく頬を引き延ばされる気がして、両手を頬に当て後ずさるビアンカだった。
ただし、背もたれのあるベンチから後退しても遠ざかれる距離はごく僅かだ。ビタっと背に当たるベンチの背もたれ…、ああ、追い詰められるって、今の状況のことを指すのか。無言で短剣と向き合っていた先ほどよりも余裕がでてきたようで、ビアンカは頭の片隅そんなことを考える。
「わたくし、飛行船で何度も貴方の魔法見てました。イーダさんのお父様を診て、わたくし達は、同じものが見えていたのではないですか?」
「…!」
イーダの父親、彼はあの時、ただ眠っていた。重症ではあったが、掛布団の下、それに服と包帯で傷は見えるはずもなく。一目見て、驚きを露わにしていたのは、ソフィアと、そしてビアンカの二人だけであった。
「わたくしの父は、ミラコーラの宰相ですが、わたくしにも、先日の水竜の件で、この目に穢れを見分ける力があることが分かるまで、ビアンカさんの家の役目の件は、伏せられていました。ですが、いまのわたくしは、その役目を知っています。」
「ソフィア様」
「それから、希少な力が争いの火種となった歴史も調べました。国を守るために口を閉ざしながらも、国を守る一族を支えてきた父や祖先のように、わたくしだって、閉ざす口と頑張る仲間のために力になりたいという気持ちは持ち合わせております」
「仲間…」
「こう見えてもわたくし、宰相である父を持つ侯爵家の娘として、そういった意味では、貴方を守る力はそれなりに持っているつもりですのよ? 頼って下さらないなんて、水くさいですわ」
反らすことを許さず、真っすぐに目を見つめるソフィア。ビアンカは、目を見開き彼女の表情を見つめる。『怒りを感じる』そう言ったソフィアだったが、その瞳に移るのは悲しそうな想い。ソフィアの隣に立つディエゴが先ほど見せていたものと同じ寂しげな瞳だ。
「あの穢れが見えなければ、あの方に何かあっても、その傷が原因と片付けられてしまったことでしょう。討伐の現場でも、そのようなことがあると聞きましたわ」
「そんな…」
「それが一晩で、僅かにでも回復されました。一人で貴方が夜中に部屋をでた翌日にですよ?」
「ソフィア様…わ、わたくしが出て行ったの気付いてらしたのですか…?」
「当然です」
「ふぇっ!?」
鼻先に突き付けられた人差し指を見つめながら、ビアンカは、完璧に音を殺して部屋を出たと自負していたのに…と、素っ頓狂な声をあげる。音をたてないように扉を閉めたつもりだったが、起こしてしまったのか。
「清らかな気配に精霊たちが騒いでいて、それどころではありませんでしたわ」
「えっ…!?」
音を立てて起こしたとか、そういうことではなく、それ以前問題だった。昨晩、短剣と自分に集中していてビアンカは頓着していなかったが、ソフィアからしたら部屋の中で高まる魔力に加えて、彼女は精霊の気配を敏感に察知する。清らかな気にはしゃぐ精霊たちの気配と、ビアンカから立ち上る魔力を感じて、昨夜は寝付くなど到底不可能だった。
ソフィアは鼻先をツンツンしながら、ちょびっとだけ文句を言った。
「そ・れ・に、お受けした大事な任より自分の学院の成績を気にするような度量の小さな人間だと思われてるのでしたら、怒りを通り越して悲しくもなりますわ」
「も、申し訳ありませんっ」
ビアンカは、ソフィアの笑顔に怯み、平謝りで突きつけられた指先から逃れようとするのであった。
また、ソフィアは、会って間もないディエゴには何やら事情を話している様子なのに、女性同士で同室だった自分には何も言ってくれないなんて寂しいじゃないか、と少し拗ねた顔で付け加えた。
ソフィアは、セサリーニ家の令嬢でありビアンカの家の役目、今代の役目を担っているのがビアンカであることを知っていた。昨晩の寝室でのことも気づいているのだから、当然、イーダの父親のこともすぐに気が付いたようだ。隠し立てしても意味がないと、ビアンカはソフィアに昨晩のことを話す。
「では、やはり、イーダさんのお父様を癒したのは、ビアンカさんだったのですね」
「すみません」
「どうして、謝りますの…ふふっ、イーダさんのお父様を助けることはわたくしには、できませんでした。良いことをしたのですから、謝る必要なんてないと思いますわよ」
ソフィアは、ビアンカの隣に腰かけ、微笑む。その笑みには偽りの感情は見えない。
昨晩、ビアンカは一階に降りたが、商会の人が起きている気配があったため、病室内も就寝していない人がいるかもと思い、庭にでて病室の窓を探した。病室の外から窓を覗き込み、囁くように唄った。か細く小さな声だったが、その声に応えるように、淡い光が立ち上り始め窓を超えて、眠る男性にその光が流れ始めたが、そう時間が経たない内にビアンカは人の気配を感じて、その場を離れてしまったのだ。
「イーダさんのお父様をちゃんと治して差し上げたい…」
「だったら、それを叶えましょう」
「ええ、わたくしも一緒に考えますわ」
ポンと優しく頭に手を当てて、ディエゴは優しい笑みで、そう言い。ソフィアは、そっと震えるビアンカの手を取って、力強くそう言ってくれた。
「ありがとうございます。ソフィア様、ディエゴ様」
その日の夜。三人は、一階の病室に向かった。
「【夢への誘いを…】」
扉の外で、ソフィアがそう囁くと、彼女の周りを浮遊する光が、扉の隙間からふわりと部屋の中に入り込む。そっと、扉を開けて部屋に入ると、皆、寝息を立てていた。
いっそのこと、昼間の内に、隠し立てせずに試してみる、という話も出たが、力の存在を慎重に扱っている国元の関係者に相談せず、というのは避け人目を忍んで行動を起こすことにした。
「では、私は此処で念のため、見張っています」
ディエゴは扉の内側で、廊下の気配に注意し、外の様子を見張ってくれる。ビアンカとソフィアは奥のベッドに足を進めた。イーダの父親も眠っていたが、額にうっすら汗をかいている。聖水が処方されたはずだが、恐らく残っている穢れがもたらす痛みは、今も彼を苛んでいるのだろう。
助けたい。確かに、時期がずれたとしても他の人が犠牲になっていたのかもしれないが、やっぱり、目の前で苦しんでいるのを放ってなどおけない。
「やってみます」
「ビアンカさん、自分を信じて、大丈夫、貴方ならきっとできます」
「はい」
ビアンカは、背中を押してくれるソフィアの言葉に、息をゆっくり吐いて力を抜く。眼を閉じて、短剣を彼の上に翳す。唄を口ずさみながら、祈る。あの子が心からの笑顔で父親といられるようにと願いながら、昨日の感覚を必死に思い出す。少しずつ扉が開いて力が短剣に送り込まれていく。淀みなく流れ始めたのを感じて、そっと目を開くと短剣の宝石は輝き、濃緑の石が薄っすらと光っていく、次第に透き通った黄緑へとその色を変えていく。
「【この者を侵す穢れを祓い賜え】」
長く歌ってきた唄。
唄にも意味があったのだと思う。
想いを形にするように、願いを言葉にして口にする。
暖かな光が男の身体を包み込みむと、その光に溶け出すように、彼を覆う黒い靄が少しずつ薄らいでいく。色濃く残っていた腹部の黒い靄は、徐々に吸い出され光に溶けていく。全ての黒が光に吸い込まれると、余韻を残しながら光も消えていった。
「できた…?」
「ええ…すごいです。…すべて、消えていますわ」
「ビアンカ様っ」
ビアンカが視線をイーダの父親に向けたまま小さく呟くと、笑顔で二人も駆け寄って、囁くような声でとても嬉しそうに言ってくれた。そうか、出来たのか…、そう思うと安堵して身体の力が抜ける。
ガシャン
「「び、ビアンカさん(様)!」」
「ご、ごめんなさいぃいっ」
安心して気を抜いたビアンカが盛大に側にあった椅子にぶち当たり、少々派手な音を立てた。小さな声で、二人に責められるビアンカだっだ。
こっそりやって来たのに、最後に台無しだ…。
幸い部屋の患者はソフィアの魔法が良く効いており、部屋の外からも人が駆けつけてくることはなかった。最後に、少しだけヒヤリっとしたが、そんな一幕も何だか可笑しくなって、声を潜めて笑いあった後、やり遂げた達成感を胸に三人は部屋を後にした。
2021/7/23 誤植修正