第14話 旅立ちと暗雲
北の大陸への旅路、ビアンカは飛行船の甲板にいた。
「わぁ…」
高度を上げた飛行船の甲板からの景色に感嘆の声を上げる。
『空からの景色は最高ですわよ!』
見送りに来ていたジュリア。顔合わせでは、代表として父親である商会長が来ていたが、王宮での騎士団との打ち合わせや、飛行船の運航に関するレクチャーでは、彼女も出向いて行っていたようだ。お陰で出立前の一週間はほとんど学院では会うことはなく、久しぶりに会えたのは、昨日の晩餐会と今日の出発の見送りだった。
離れていく街。国の中央の小高い処に構える王宮、高低差のある街並みと張り巡らされた水路が段々と遠ざかっていく。
「嬢ちゃん。乗り出すと落っこちまうぞ」
「ひゃっ」
ぐいっと服を掴んで、後ろに引っ張られて、驚きに声を出す。不意打ちに体勢を崩したが、がっしりとした何かが背中に当たる。
「こっから落っこちたら、死んじまうぞ」
「アルミノさん!」
幼い子供に言い聞かせるように言うのはアルミノ。寄りかかってしまったが、鍛えているのだろうビアンカが少し体重を傾けたぐらいでは微動だにしていない。今回の旅の同行者の中でも年嵩の男だ。恐らく騎士団の隊長と同じぐらいだろう。
「だ、大丈夫です。少し見ていただけですから。子ども扱いしないでください。わたくしもう一七歳ですのに…」
「おっさんからしたら、『嬢ちゃん』で十分だ」
高度が完全に上がり切って安定するまでは大人しく部屋に居ろよ、そう言って、にっと口の端をあげると、頭をポンポンと軽く叩いて、立ち去っていく。今回の旅は、レオナルド、ソフィア、そしてビアンカは、最年少。どうも隊員やアルミノには、子ども扱いされている節がある。
アルミノが去ると、また、ビアンカは一人になる。レオナルドは学院組の代表として、隊長と今後の詳細について打ち合わせをしている。高いところが苦手だというソフィアにも断られたが、初めての空の旅、外の様子が見たくて、ビアンカは一人で甲板にやってきていた。
海に面した王都が徐々に小さくなっていく。目を凝らしても子細な街の様子は伺えない。綺麗だ、と初めは空を飛んだ感動が胸いっぱいを埋め尽くしていたが、ずっと眺めていると、ふと冷ややかな空気に肌寒さを感じ、何もない海の上を飛ぶ心許なさが差し込んでくる。
「こちらにいらしたのですか」
「ディエゴ様。ええ、少し外が見たくて…、見てください、もう、あんなに離れてしまいました」
「あっと言う間に遠ざかってしまいましたね。ですが、あまり手摺りに近づき過ぎると危ないですよ」
「…アルミノ様に、既に同じ言葉をいただきましたわ」
「くくっ、これは失礼」
恥ずかしそうに顔をそむけるビアンカに、思わず吹き出してしまったディエゴ。付き合いは長くない旅の面々だが、事前の打ち合わせと昨晩のイレーヴェ邸での晩餐会でビアンカは大分打ち解けてきていた。
「アルミノは、普段は初対面の人間に積極的に関わりあうタイプの人間ではないのですが、ビアンカ様にはどうも過保護なようですね」
「そ、そうですか?」
アルミノと冒険者の先輩・後輩として付き合いがあるディエゴは、アルミノとビアンカのやり取りを聞いて、内心、少し驚いていた。彼は、ベテラン冒険者として、それなりに上流階級との接点はある。普段は、その辺は面倒に思って、投げられるときは人に任せて関与しようとしないのだが、他の隊員もそうだが、少し落ち着きがなく心細そうにする様は、小動物のようで庇護欲をそそるのか、大人たちからは暖かく歓迎されていた。
「ディエゴ様、その大剣重たくないのですか?」
ビアンカは、目についたディエゴが背負っている大剣に話を向ける。オルランドが作成し、ディエゴに与えられたものだ。
「ええ、思いのほか軽いのですよ。ですが、軽量化の付与がなされているだけで、威力に申し分はない。腕がいいというのは本当ですね、僅かな期間で皆の特性に合わせた装備を準備するとは…」
「船上でも、ずっと装備されたままなのですか?」
「少し、普段使っているものとは違いますので、慣れるために今は、手元においております。訓練で試してみましたが、使い勝手は良いですよ」
ビアンカは自分の部屋に置いてきた短剣を思い浮かべる。
「わたくしは、折角いただきましたのに、使いこなせるようになるには、時間がかかりそうです」
「そうなのですか?」
「そもそも魔力を使う経験がなかったもので…、あ、でも、魔力を使うという感覚はお陰で何となく分かってきました」
ビアンカは手のひらを広げ、剣に魔力を流した時の感覚を思い出しながら、…開く。今まで固く閉ざされていただけの殻。そこには開閉できる扉があった、その扉の存在とそれを開ける感覚を剣が教えてくれた。
ふわりとディエゴを中心に風が巻き起こり、外套を靡かせる。
「これは…」
「戦う戦力には、全然足りないと思いますが、旅の間にもう少し頑張ってみます」
飛行船での旅路は、四日間。初めは長いと思っていたビアンカだったが、あっという間に過ぎていった。広くはないが隊員やディエゴ達が鍛錬するスペースもあり、隅っこでビアンカも手ほどきを受けた。彼女には、聖魔法と風魔法の適性があった。道中は、同じく風魔法の適性があるレオナルドがいるため、風魔法の発動に取り組んでいたのだが、どうも攻撃は苦手なようだ。戦闘においては彼らがいることもあり、勧められたのは身を守る術の習得だった。
「今日は、それくらいにしたらどうだ?明朝には、到着する。ソフィアがお茶にしないかって…」
「レオナルド様、呼びに来てくださったんですね。ありがとうございます」
「随分と発動に慣れてきたみたいだな」
「ええ、見てください」
目を瞑って集中する。自分の正面にかざした剣の先端を中心に風の盾を出現させる。初心者が何もない状態で魔力を意味のある形、魔法として力を発動するのは難しい。複雑な魔術を詠唱や組んだ術式で発動するには、当然訓練が必要となる。短剣は素人のビアンカに代わり、魔力に一定の志向性を持たせ、発動できるようにするための魔道具だ。
「凄いな」
レオナルドが凄いといったのは、世辞でもなんでもなかった。薄い盾…、高密度に魔力が固められた強固な盾だ。軽く鍛錬用の木刀を当ててみるが、揺らぐ様子はない。今まで魔力が使えなかったというが、彼女の魔力量は相応にある。レオナルドの発言は、それも含んでの素直な感想だ。
「いえ、レオナルド様に見せていただいた盾に比べると、まだまだですね」
攻撃魔法の発動は、戦うことに慣れていないビアンカにとっては、馴染めないものだったが、水竜と遭遇した時の恐怖を思い返すと、思いのほか身を守る盾の形成は簡単だった。
そして、ビアンカの特性を考慮して作られた魔道具のなせる技だ。『悪しき魔』を封じた結界を形成する聖女の魔力の性質も相まって、薄くて強固な盾を具現化していた。だが、詳しい違いが分らないビアンカは、レオナルドの魔法より稚拙なものだと思っている。
「短期間にここまでできるようになったビアンカ嬢も凄いが、オルランド氏の腕も確かだったようだ」
レオナルドは、自分の腰に差したロングソードを撫でる。彼の武器もオルランドが作成したものだ。得意属性である火と水、風の三属性に対応し、切れ味も申し分ない。公爵家の彼は相応の品を所持していたが、そんな彼にとっても不足などない品質。それには正直、驚いていた。
部屋を出る準備をしていると、また、扉が開いた。
「また、此処にいるのか。熱心なのはいいことだが、今日はゆっくり休め」
「アルミノ様。ええ、今日は此処までにしますわ」
自分たちには早く休めよと言うが、彼は日課の鍛錬に精を出すようだった。
四人でお茶をしながら、隊長達と相談した内容や決定事項をレオナルドが三人にも説明してくれた。行程は予定通り進んでいたが、現地から通信があり、少し予定より長く次の街に留まることになるという。
「魔獣ですか?」
「今回は、現地の商隊にエルフの森までの案内を頼んでいるというのは、既に聞いていると思うが、先触れと経路の安全確認を行った際に、魔獣の襲撃を受けて負傷者がでているようだ。ソフィアとビアンカ嬢は街に残ってもらい、現地で討伐隊を組んで周辺の魔獣を掃討してから出発することとなった」
「お二人だけ、街に残すのか?」
「いや、到着後に商隊と詳細を打ち合わせてから決定するが、数名は護衛として残ってもらう予定だ」
「討伐ですか…」
「大丈夫ですよ、私とレオは経験もそれなりにありますから」
事前の情報では、北の大陸は時折、魔獣はでるが、そう危険度は高くないとのことだったが、予定通りに進んでいた空の旅から一転して、暗雲が立ち込め始めていた。
街のはずれに着陸すると、そんなビアンカ達の心情とは裏腹に、涼やかな風が吹く北の大陸は天候にも恵まれ、澄んだ青空に覆われていた。迎えにきていた商隊の馬車に荷を移し替え、一行は街に向かった。
案内された商会の建物に入ると、奥の廊下を人が行き来していた。同じ建屋に傷を負った者たちが療養しているためだろう。
隊長を先頭に案内された部屋に入ろうとしたところで、ビアンカは服を引かれ視線を下に向ける。大きな目で見上げてきたのは、ビアンカの腰ほどの身の丈の少女だった。
「お姉ちゃんたちがお父さんを治してくれる人たち?」
「こら、こっちに来たらいけないと言ったでしょっ!」
すぐに追いかけてきた女性が少女を連れて去っていくが、少女はこちらを何度も振り返っていた。どうやら父親が例の商隊の一員で療養しているようだ。席に案内され扉が音を立てて閉じたが、不安げに見上げる少女の言葉がビアンカの胸に刺さった。
『魔獣の襲撃を受けて負傷者がでているようだ』
今回の旅、きっかけを作った自分の行い。色々な人の協力を得てここまでやってきたが、傷ついた人がいると聞いて、ちくりと胸が痛んだ。
「私のせいで…」
小さな彼女のつぶやきは、はっきりとは聞こえなかったが、両脇に座っていたソフィアとディエゴは、様子がおかしいビアンカに気が付く。商会の代表と隊長たちの話が耳に入らない様子で考え込んでいるビアンカを心配そうに見るが、思考の海に溺れるビアンカは気づかない。
「ビアンカさん」
「…ビアンカ様」
「えっ?!あ、はい!」
ソフィアとディエゴが声を掛ける。話は終わり、討伐に向かう面々は、別室で装備の確認や詳細について引き続き話をするようだ。代表してレオナルドもそちらに行ってしまった後のようだ。
ソフィアが療養者の治療と看護の手伝いを申し出ていたため、ビアンカも同行することにした。案内された部屋は、複数のベッドが並べられ、負傷者が横たわっている。
「【癒しを…】」
部屋を訪れると教会で治癒に携わったことがあるソフィアは、商会の人間と話を付けて、負傷者を診て回る。ソフィアが、言葉を口にすると柔らかい光が患者を包み込み、患者が浮かべる苦悶の表情が和らいでいく。
「ソフィア様、凄い…」
「わたくしの力は、多少痛みを和らげて治癒を助ける程度です」
傷を瞬時に癒すような高位な魔法は極めて希少だ。ソフィアのように薬の効果を高め、治癒を促進させるだけでも希少なものである。彼女は精霊の力を借りて、手前の病床から一人ずつ診ていく。ソフィアの願いに応じた小さな光が、彼らに癒しを与える。
「やっぱり、お姉ちゃんたちが、お父さんを治してくれる人なの?」
部屋の奥にあるベットの陰から顔をのぞかせたのは、先ほど、ビアンカを引き留めた女の子だった。ソフィアの様子を遠目に眺めていたようだ。やはり、負傷した商隊の関係者だった。
「あなたは…」
「お願いお父さんを治して…!」
女の子に手を引かれて、窓際のベッドのところに二人は足を向ける。衝立で仕切られたベッドを覗き込むと。そこには彼女の父親だろう。一人の男が眠っていた。
「これは…」
ビアンカは、その周囲に漂うものを見て、声を上げる。隣にいるソフィアも厳しい表情を浮かべていた。
彼女たちの眼には、男を薄く覆う黒い靄のようなものがはっきりと見えた。
2021/6/30 誤植修正
2021/7/23 誤植修正