プロローグ
最低、週1ペースで、連載していきます。
よろしくお願いします。
ごすっ!
「お父様の分からずやぁああああ」
少女は、こみ上げてくる怒りから、手にした家宝を自分の父親に叩きつけた。何であんなことしてしまったのだろうかと、今朝の出来事を思い起こして、ため息を吐くのはビアンカ。王都の隅に居を構えるボルゼーゲ家の少女である。
「はぁ」
思い返すと良い音もしていたし、怪我してないわけはないだろう。しかも、家宝と言われている品を凶器に使ってしまった。年代物の品だ、間違いなく破損しているだろうと思うと憂鬱で、家に戻るのが気まずい。
父親に家宝を叩きつけてしまった後、家を飛び出し、街を彷徨った挙句、結局は家の近くの果樹園に戻ってきて、ビアンカは後悔の真っただ中にいた。
果樹園は、綺麗に区分けされ幾つかの種類の果実の木が植えられていた。中心の大きな木には、ロープで簡易に吊り下げられたベンチがあり、ビアンカはそこに腰を掛け、現実逃避していた。
「短慮を、直したい」
17歳の人生で、何度か口にしたことある台詞をため息と共に口からこぼした。慰めるようにベンチを支える大樹が葉を揺らしていた。ビアンカは、葉が擦れる音と風を感じながら、昨日からの出来事を思い出していた。
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王立学院に通うビアンカは、一日のカリキュラムも終わり、帰り支度をしていた。
「ビアンカ、カーニバルは、すでにご予定ありまして? たまには、街の方にでてみようと話をしてるんですのよ。ビアンカもご一緒しません?」
そこに同級生のジュリアが声をかけてきた。この時期になると王都はカーニバルの準備に期待にと浮き足立った雰囲気が漂うのが常だ。今日も学院のあちこちで、話題になっていた。
「今年は、中央公園の特設会場で隣国の楽団の演奏と唄があるのよね?」
「そうなの! 先日、夜会の予定はないと仰ってたでしょ? とても人気の楽団なんですって、もし、予定が空いてたら、わたくし達といかがかしら?」
この国で1番の祭典であるカーニバルは、開催期間中、街中で仮面を着けて仮装した人々が溢れ、諸外国からの人の流入も多くなる。王立学院もその期間は休みとなるため、皆、街に出かけたり、茶会や夜会を開くのだ。当然のようにビアンカも街の雰囲気を味わいたくて、その誘いに心が大きく動かされる。
「とても素敵! 見に行きたいのだけど…」
「ぜひ、ご一緒しましょう! 実は、良い席を確保してあるの」
ジュリアは、ビアンカも一緒だったら嬉しい、と目を輝かせる。
「行きたいのだけど…、お父様の許しが出るか分からないわ」
「まぁ‥‥、良い答えが得られることを願ってるわ。ビアンカも一緒だったら嬉しいもの」
「ええ、父に確認してみるわ」
笑顔で答えたビアンカだったが、笑顔に心なしか陰りがあるのは仕方がない。毎年、家の役目で、カーニバルにはいけないのだ。ボルゼーゲ家は、随分と昔の戦績によって叙勲を受け貴族として興った。歴史だけあるが、質素な生活を厭わない生真面目な家系で、生活は困窮はしていないものの貧乏貴族としての伯爵家のビアンカより、商家の友人のほうが遥かに羽振りは良い。時折、そんな友人を羨ましく感じることもある。
家の迎えが来たジュリアに手を振り別れると、ビアンカは、学院が運営する送迎馬車の乗り場に向かう。ボルゼーゲ家は、希少価値が高かったり、特産と言われるものがあるような立派な領地をもっている訳でもない。ただ、古いがために、昔から担っている妙な役目がある。貴族の旨みを感じることは少ないのに、貴族の義務として皆が楽しんでるときに自分だけ家の手伝いをさせられるなんて、と不満を感じるのも仕方ない。家の役目に窮屈さを感じ、もういっそ平民になろうかという考えが頭をよぎるが、口から出たのは真逆の言葉だった。
「玉の輿にでも乗って、この家から早く出られたらなぁ」
こうして学べるのは曲がりなりにも貴族としての家のお陰だとは分かっている。伯爵家は、長男である兄が継ぐことを考えると、自分は学院の卒業までの間に婚約者を見つけて、家を出ることになるはずだが、家の中で役目を担えるのは自分だけだと言われている。何時までこの家に縛られて生きていくのだろうか。
人生を大きく変える手段として、1番単純かつ手っ取り早いのは、婚姻だろう。一国の王や誰もがうらやむ高位貴族に見初められて、とまでの高望みはしないが、『玉の輿』…良い響きである。
翌朝、ビアンカは父親の書斎を訪れた。カーニバルに出掛けたいと父親に話そうと、一縷の望みをかけて、部屋に足を踏み入れたビアンカの目にボルゼーゲ家の家宝が目に入った。既にカーニバル期間に実施する儀式用の仮面が書斎の卓上に鎮座していた。頭部の羽は色鮮やかな羽で装飾され、仮面には数種類の宝石が埋め込まれている。出来た当時は輝いていたのだろうが、時を経て、古めかしさの方が目立つ。今年こそはと嘆願してみるビアンカだったが、彼女への回答は例年と同じであった。
「駄目だ。気持ちはわかるが、役目が終わってからならば、街に行くのも社交に向かっても良いが…」
「毎年、役目が終わる頃には殆どカーニバルは終わっているわ! 私だって王立学院の皆様と過ごしたいの。今年だけでもいいから、お父様お願いよ。行かせて!」
「これだけは、歴代の当主から受け継いだ大事な役目だ」
娘に否と応える父親は、長引くことも心中覚悟し、厳しい眼差しを緩めずに相対してくる。粘ってみた者の頑として譲ろうとしない父親の態度に、今年も回答は変わらないことを悟る。
卓上に鎮座している仮面を見つめていると、『また、長時間、誰が見守ることもない神殿で、一人重たい仮面と衣装を纏い、舞と唄を捧げるのか…』と気が滅入る。昔の光を失い、鈍い色彩の石、描かれた模様も薄れてきており、もう消えてしまいそうである。こんな仮面があるから、と思うとその存在が疎ましく思える。
「分かったわ」
「そうか」
ようやく家の役目に理解を示し、聞き分けてくれたか、と父親は胸を撫で下ろしたが、些かの心苦しさから、腰かけた椅子を回転させ、窓の外を見やった。だから、口では了承の言葉を口にした娘が、仮面を手に取り近寄って来ることに気付かない。
「お前には、まだ、解らないかも知れないが、これも我が家の役目だ。代々受け継ぐ仮面を着けて祈りを捧げること、これは‥‥」
「分かったのよ。こんな古びた仮面があるせいで、意味のない儀式とか、カビの生えた義務が、必要なのね」
「そうだ、その仮面は由緒ある‥‥ん?」
不穏な言葉と背後に気配を感じて振り返った彼が見たのは、家に伝わる大事な仮面が、自分に向かって振り下ろされるところであった。
ごすっ!
「お父様の分からずやぁああああ」
素直で明るく皆から慕われる自慢の娘、彼は娘が可愛いし、何も嫌いで意地悪をしているわけではない。一見古びていても伝統ある役目に必要な貴重なものである。娘もわかってくれているはずと考えていたのだろうが…、それは少し都合がよい考えだったかもしれない。
2021/5/22 サブタイトル追加
2021/7/22 誤植修正