vsトロキア皇国第四皇子①
「……なんだ、貴様?」
空から降ってきた俺に驚きながらも、シャルルは辛うじて威厳を保っていた。
「王子たる者が、領民を見捨てて逃げてきたのか?」
小馬鹿にした奴の言葉も、臆病者が……という取り巻きの戯れ言も聞き流し。
「まさか、だよ」
俺はすらりと剣を抜き、切っ先をシャルルに突き付けた。
「俺は、この騒ぎを起こした犯人に、罰を与えに来たんだ」
敵意を露わにした俺に、シャルルの顔がピクリと引きつった。
ビビった主を守るように、取り巻きたちは肩にかけていたライフルを構え、銃口を俺へと向けた。
長い銃身を持つその銃は、新型らしき後込め式。
撃鉄はすでに起こされ、いつでも発砲できる状態だった。
「僕が、その犯人だとでも?」
自らを守る武器を信頼しているのか、シャルルは幾ばくかの余裕を取り戻した。
「そうだ。お前が自分の力を使って、魔物をけしかけたんだ」
俺は断言しつつ、敵の力を見積もった。
丸腰のシャルルはともかく、取り巻き達はそれなりに腕が立ちそうだった。主の危機に銃を構えたから、奴らは全員、魔術師ではないのだろう。
「馬鹿げた言いがかりを! あの魔物がどこから来たかなんて、誰にも分からないじゃ……!」
「いいや。もう分かってるんだよ」
「なん……だと?」
あくまで冷静な俺に、なじる声の勢いがそがれた。
「いいか。あの連中に、群れを指揮する大型個体はいなかった。だから奴らは、大陸のどこかにある魔物の集落から出てきた、というわけじゃない。こことは異なる世界から、お前に呼び出されたんだ」
「……っ!」
黙りこくったシャルルの額に、一筋の汗が流れた。奴が動揺しているのは明らかだった。
「お前の祝福【異界の開闢者】を使ってだ。それがどんな力なのかは、お前の兄貴がご丁寧に宣伝していたからな」
それは、ここではない世界を、こちらにつなげる力。
伝説にある魔王や魔神が支配する魔界。
あるいは神々が住まう天上界。
それら人の手が届かない異界への道を開く力で、世界で唯一、シャルルだけが使える能力だった。
「ふ、ふん。僕がその力を使ったという証拠がどこにある? あるなら見せてみろ」
「俺が昨日一日、遊んでいたと思うのか?」
辛うじて吐き出された反論に、俺は努めて冷静に告げた。
奴を追い込む最後の言葉を。
「俺は奴らの進撃ルートをさかのぼり、ずっと魔物の拠点を探していた。そして、セレウス公国の領内までたどってようやく、見つけたんだ」
「でたらめ言うな! お前みたいなのが公国に入れるものか!」
嫌な予感がしたのか、シャルルは声を荒げた。
隣国のセレウス公国はトロキアの属国で、ウィンディーネとは長年敵対関係にあった。
だから俺みたいな敵国の人間が入り込まないよう、国境では厳重な警備が敷かれていた。
「徒歩や馬なら無理だったろうな。でも、空からの侵入は割と楽だったよ。さっきみたいに」
俺がそこまで言うと。
向けられたライフルの一つが火を噴き、俺がいた場所を貫いた。
「殿下。お下がりください」
取り巻きたちが前に出て壁を作り、空に飛び上がってかわした俺から主を守った。
「少し時間はかかったが、おかげで開かれたばかりの『門』を発見できた。その場所を魔術師協会に教えてやったから、今頃あいつらが調査に乗り出しているだろうよ」
「きょう……会、だと??」
世界で唯一の国際組織の名前を出されて、シャルルはさすがに動揺した。公正中立を旗印とする協会は、大国の第四皇子の圧力などモノともしないだろう。
「そういうわけで、お前の犯行だってことは明確だ。大方、俺たちを皆殺しにしてエステルを連れ去るつもりだったんだろう?」
亡国の姫を守る者などいない。
エステルを最初に捕らえた奴が、彼女の全てを手に入れる。
そのために、シャルルは見つかるリスクを冒してまで、王都のすぐ近くに潜んでいたんだ。
「くっ……! 殺せ! 殺してしまえ!」
その号令一下、連続した銃声が生じた。
シャルルの犯行を証言できる俺の口を封じようと、俺を殺そうと、奴の護衛が立て続けに発砲。
護衛が構えるライフルの装弾数は1。
一発撃つごとに銃身に備えられたレバーを引いて、弾丸を再装填していた。
装弾は先込め銃よりもはるかに速く、お互いをカバーしながら、全員が弾切れにならないように立ち回っていた。
さすが皇族の護衛らしく、動きに無駄がなく隙も全く無かった。無暗に発砲せず、俺を主に近づけないことに細心の注意を払っていた。
「はっ。どうした、逃げ回っているだけか? 自分の国が滅びそうだというのに呑気なものだな」
「好きにほざいていろよ。勝利の美酒に酔えるのは、今だけなんだ」
そんな嘲りでは、俺の心は揺らがなかった。
余計な感情は、必要なかった。
奴を仕留めることだけを考えればいい。
俺は何としても、この場で決着を着けなければならないんだ。
シャルルを逃せば、第二、第三の『門』が開かれる。
奴は何度でも『門』を開いて魔物を呼び出し、王国へと攻め込ませるだろう。
妹を我が物にするまで。
「はははっ! どうするつもりだ! そのなまくらで、銃に勝てるつもりか!?」
「そんなに心配してくれるなよ。準備はできた」
そう告げた俺は、シャルルの周囲に潜ませた精霊に命じた。
力を開放するようにと。
その声に応じて生じた突風がつむじを巻き、砂と枯草とを巻き上げた。
視界を遮られた敵は両腕で顔をかばい、飛ばされまいと膝をついた。
生じたその隙を逃さず。
風の乱舞に合わせて一気に距離を詰めた俺は、護衛の一人の背後に着地。
銃が向けられるよりも速く、煌めいたショートソードの剣先が、銃身を支える左腕を切り裂いた。
怯んだ敵の頭を蹴り飛ばし、その反動でその場から離脱。
炸裂音を伴ってうなりを上げる銃弾が、俺の鼻先をかすめて皮膚を焼いた。
(くっ! 倒れるな! まだ始まったばかりだ!)
被弾の衝撃で頭を揺さぶられて、気絶しそうになった自分を叱咤。
俺は地面を踏みしめた。
発砲した敵がレバーを引く動きを逃がさず接近。
装弾する余裕を与えず、突き出した剣で右胸を刺突。
骨の間を抜けた剣先が背中まで貫通し、苦痛に歪んだ口から悲鳴をこぼした男ごと旋回。
「うおおおおおおぉぉ!」
俺は喉の奥から咆哮を上げ、そいつを盾にして別の奴に突進。
味方への銃撃をためらった男は、突撃してきた肉の壁に押しつぶされて、俺と一緒に三人まとめて地面を転がった。
折り重なって倒れた二人の顔面を手甲で殴りつけ、ぐったりした男から剣を引き抜く。
あと二人。
無防備な俺の背中に、精霊が集まるのを感じた。
身の危険を察知した俺は強引に身体をひねって、精霊が示した二つの点から逃れた。
連続する発砲音。
俺を狙った一発は脇腹を抉り、もう一発が右膝をかすめた。
この程度ならやれる。まだやれる!
「よくやった! 偉いぞ!」
命の恩人になった小人たちを称賛しつつ、風の力で飛翔。
敵の一人はその場に留まってのリロードを狙い、もう一人は必死に距離を取ろうとしていた。
銃に手をかけた片割れの鼻柱を、兜越しの頭突きで潰して、最後の一人に急接近。
必死になって下がる男の首に手をかけ、大空へと上昇。
建物の三階くらいの高さから、手を放して落としてやった。
ぐしゃり、と嫌な音を立てて頭から地面に落ちたそいつは、それきり動かなくなった。
草の上に落ちたから死んではいないだろう。たぶん。
風がやみ、視界が晴れた丘の上で。
一人になったシャルルが立ちすくんでいた。
呆然と、自分を守るはずの護衛が力なく倒れているのを見て。
空から降ってくる俺を見て。
今にも自分の脳天をかち割る刃の輝きを見て。
慌てて、転げるように飛び下がった。
「遊びは終わりだよ。これからお前は、自分の犯した罪を償うんだ」
尻もちをついた男の前に着地した俺は、血で赤く染まったショートソードを突きつけた。
もう二歩踏み込んで、剣を振り上げ、振り下ろす。
それだけで終わる。
終わらせられる。
感情を消し、躊躇いなくそうしようとした俺に。
「ふざけるな! 死ぬのは貴様の方だ!」
シャルルは叫び、懐に右手を突っ込み。
隠し持っていた拳銃を、俺に突き付けた。
「僕の勝ちだ! お前は死に、王国は滅び、北海の宝石は僕が手に入れる!」
勝利を確信した男の顔が、下品な笑みにゆがんだ。
俺の切っ先は届かず、銃撃を外すはずがない距離。シャルルにとっては、必殺とも言える間合いだった。
しかし。
「それは、どうだろうな?」
俺は欠片も動揺しなかった。
ここまで追い詰められて出せるのが銃器なら、どうとでもできるからだ。
俺は柄から手を放して。
剣を精霊たちに預けた。
大勢集まった彼らが力を合わせ、宙に浮いたショートソードを。
殺意で染まった男の眉間に向けて投げつけた!
引き金を絞るか、身を反らすか。
発砲して俺を殺すか、迫る剣をよけて自分を守るか。
突然その二択を突きつけられ。
一瞬の逡巡の後。
シャルルは。
自分を守ることを優先。
奴は身体をひねり、額を狙った剣で頬を切り裂かれ。
次いで突進してくる俺に、のけ反った不自然な態勢で発砲。
回転しながら飛来する銃弾。
歯を食いしばり、突撃速度を落とさず、次に来る衝撃に備えた。
左肩を貫く激痛。
被弾の反動で崩れそうな身体を鞭打ち前に進み、痛む左の手で奴の襟首をひっつかみ。
恐怖で顔を引きつらせた奴の土手っ腹を。
右の手甲で殴りつけた。
「がはあああぁぁぁ!」
悲鳴が絞り出され、身体がくの字に折れ曲がった男は、はるか後方へと吹き飛んだ。
その手を離れた拳銃が草の上を滑り、手の届かないところまで飛んでいった。
俺は精霊たちが回収したショートソードを受け取り、奴にゆっくりと歩み寄った。
「くそぉ! まだだ! まだ僕は負けてない!」
腹を押さえて立ち上がったシャルルが、怨嗟の声を上げた。
「あれを見ろ!」
血を吐きながら奴が指さした先。
そこには。
王都を守る砦があった。
それは、魔物の群れに蹂躙されていた。
もはや守る者はなく、コボルドたちが耳障りな咆哮を上げていた。
ゴブリンどもは丸太を組んだ建物の内部へと侵入し、保管していた酒を運び出し、勝利の宴を始めていた。砦の上ではためいていたウィンディーネ国旗はオークの怪力で引き倒され、無残に踏みにじられていた。
どう言いつくろうと、誰がどう見ようと。
砦は陥落していた。
「はははっ! 貴様がどうあがこうと、ウィンディーネは終わりだ! 僕に逆らった報いを受けるがいい!」
その光景を目の当たりにしたシャルルは、もう一度高笑いを上げた。
奴の目には蹂躙される都市と住民と、魔物に連れ去られるエステルが見えているのかもしれない。
不愉快な笑い声を聞きながら、俺は剣を下ろした。
別に、諦めたわけじゃない。
これ以上、戦う必要がなかったんだ。
大気に満ち溢れる、莫大な魔力を感じたから。
目の前に広がる農地から、笛の音が高らかに鳴り響いた。
複数の音が重なり合い、それが意味するものを俺に、王宮に伝えていた。
それは、軍の撤退が完了した合図、だった。
瞬間、溢れる力の流れが変わった。
広く漂う霧のような状態から、濃密で明確な形状へと。
それはやがて真紅の塊となり、砦の上空で次第に大きくなっていった。
力の奔流を感じたのか、シャルルも笑うのをやめた。
奴の自信は砕け散り、ただ茫然とその変化を見ているしかできなかった。
凝集する魔力の大きさと強さに、大気が悲鳴を上げていた。
赤い球体から無数の炎が鞭のように放たれ、ひび割れる空の音がここまで響いていた。
上級魔法どころじゃない、巨大な魔力の奔流。
俺は、こんな力を見たことがなかった。
「エステル……君は……」
漏れ出た感嘆と共に、俺はその光景を見た。
魔物たちが巣くう、砦の上空に現出したのは。
真紅の翼を持つ、紅蓮の巨鳥、だった。