ガチャ
「ただいまあ」
玄関から孝之の声がした。何やらガサガサという音がする。また何か持って帰ってきたのだろうか、と思いながら絵里花はリビングのドアの方を見ていると、やがて大きなビニール袋を何個もぶら下げた孝之が現れた。
「何それ」
「またもらって来ちゃった」孝之は持っていた袋をどさっと床に降ろした。
「またあ? この間だってずっとサツマイモの料理が続いて、孝之も嫌になってたじゃん」
「仕方ないだろ」
「ほら、マロンが来ちゃうから、床に置かないで」
絵里花が指を指した方向からちょうどトイプードルのマロンが出てきて、袋の中身をつつこうとした。孝之は「マロンは食べちゃダメだよ」と言って袋をダイニングテーブルの上に上げた。
孝之は不動産会社に勤めているサラリーマンで、営業の傍でしばしば地主から色んなものをもらってくる。ゼリーなどのお菓子やハムならばいくらか日持ちするのでまだ良いのだが、野菜は長期間保存が難しく、また二人で住んでいることもあって持て余してしまうことがほとんどだった。
今日、孝之がもらってきたものは、白菜とキャベツが二玉ずつ。ほうれん草、一つ五本の束が四つ。人参七本。その二週間前に、さつまいもとじゃがいもをそれぞれ大きなビニール袋一枚が満杯になるほどもらってきたばかりだ。しかも、そっちはまだ半分ほどしか食べ切れていない。
もし孝之や自分の親や親戚が近くに住んでいたらお裾分けするのだが、あいにく双方とも遠方に住んでいる。宅配便で送ろうものなら、かなりの送料がかかってしまう。絵里花は、大量の野菜を目の当たりにして、有り難いけどと思いつつ大きな溜息を吐いた。
翌日、絵里花はあの食材をどう調理しようか迷っていた。まず置き場所の大半を占めている白菜から消費したい。白菜を大量に消費するには鍋がうってつけだが、鍋は冬になると結構な頻度でやるから、どうしても飽きがちだ。斬新で、おいしい鍋のレパートリーはないだろうか。
そう思いながら、そういえば豚肉でも買っておこうかなとネットスーパーのアプリを立ち上げたとき、画面上部に「調味料ガチャ 期間限定で三日間無料」という広告バナーが表示されていることに絵里花は気付いた。絵里花は、できるだけポイントなどを活用したい派で、沢山のポイント系アプリをインストールしている。しかし、今までスーパーや日用品を買うアプリで「ガチャ」という単語は見たことがなかった。気になった絵里花はそのバナーをタップしてみた。
いつも同じよう同じような具材で同じような野菜炒めを作ってしまう。家族に飽きたと言われる。自分でも飽きてしまってあまり食べたくない。そんな、味付けのマンネリ化に陥っていませんか?
でも、普段使わない調味料を使うだけで、同じ料理でもまったく違う味に大変身できるんです。
そんな、普段使わない調味料に出会えるためのゲーム感覚のツールが「調味料ガチャ」です。食材やメニューを入力して「ガチャを引く」をタップすると、あまり使ったことのない調味料や、今までにない調味料の組み合わせがランダムで表示されます。ガチャ自体は無料で一日で何回も引き直すことができますので、今日からでも献立に活躍できます。また、その調味料がお手持ちにない場合には、そのまま購入することも可能です。
今なら、五百円未満の調味料なら、三日間無料でお届けします。
普段使わない調味料をわざわざ買うのは気が引けるが、無料なら使っても良いかなと思った絵里花は、早速材料に「白菜」、メニュー名に「鍋」と入力して「ガチャを引く」をタップした。
ゲームでガチャを引いたときのような光り輝くエフェクトの後、表示された調味料はスイートチリソースだった。
「え、スイートチリソース……? たまにフライドチキンにかかってるのを見たことあるけど、あの味の鍋……? しかも白菜で?」
思わず絵里花は独り言を呟いた。スイートチリソースは勿論家にないし、買おうと思ったことも一度もなかった。それでも、タダでも調味料がもらえるならと、他の買い物のついでに絵里花はスイートチリソースを注文した。
夕方、頼んだ食材と共にスイートチリソースが届くと、絵里花は半信半疑で鍋の用意を始めた。水に塩と砂糖を入れて、まずは豚肉と白菜の固い部分を茹でる。灰汁を取りつつ火が通ってきたら、白菜の葉の部分や、他の野菜や具も入れる。全体的に火が通ったところで、スイートチリソースと醤油、タバスコを最後に入れる。今までで見たことのないような鍋の色を見て、絵里花は果たしてこれは本当に食べられるのだろうかと不安になった。
まずかったらお惣菜を買ってくるしかないな、と思いながら絵里花はスープを試しに飲んでみた。
あれ? チゲとは違う辛さ、そして甘さ。だけど野菜の甘さも溶けててそんなに甘さは気にならない。強いて言えば、辛くて爽やかな、南国風のすき焼きのよう。いけるぞ、これ。
絵里花は感動し、味見のつもりが気付いたらお椀一杯分のスープを飲み干していた。
翌日も、引き続き絵里花は困っていた。
昨日の鍋は孝之にも好評で、白菜を二分の一玉も消費できた。しかし、まだまだ他の食材も余っている。白菜は鍋で何とかするとして、次はキャベツをどうにかしなければならない。
嵩が減るから火を通した方が良いが、そうなると醤油ベースや塩味のありきたりな野菜炒めになってしまう。オイスターソースが意外と美味しいと言うことにも少し前に気付いたが、それからしばらくずっとオイスターソースを使い続けたから今は遠慮したい。
よし、と思って再び絵里花は調味料ガチャを引いた。今度表示されたのは、めんつゆとバターという組み合わせだった。
両方とも家にあるけど、これを混ぜるの? バター醤油じゃなくて? でもバター醤油がおいしいってことは、バターめんつゆも美味しいのかなあ。
何がともあれ、絵里花は表示された通りに作ることにした。昨日使い切れなかった豚ロースの残りを炒めて、キャベツや人参、しめじを投入。さっと火が通ったら、バターを溶かす。概ね溶けたところで、最後にめんつゆを投入。意外と良い匂いがする。これはこの時点で勝ち確では、と思いながら小さいキャベツを一つ食べてみると、めんつゆの甘塩っぱさとバターのコクが絡み合って、バター醤油とは違った美味しさ。いや、むしろ私はめんつゆバター派に寝返ったかも知れない。すまない、バター醤油。
さらに翌日、まだまだ絵里花は頭を悩ませていた。
昨日は、野菜炒めのあまりの美味しさに感動した絵里花は、あの後さらに多めに作って、大皿てんこ盛りのめんつゆバター野菜炒めを作った。さすがに作り過ぎたかと思ったが、ありそうでなかった味だと何度も言いながら孝之は一気に食べきった。
連日こんなに食べたら太るのではないかと絵里花は不安になった。とはいえ、消費しなければならない野菜がキッチンの隅に依然として堆く積まれている。今日は人参を大量消費したいと絵里花は考えていた。
次の週末に人参の作り置きでグラッセを作って四本消費するとして、昨日の野菜炒めでちょっとだけ使ったけど、まだ三本弱残っている。せめて人参が主役の料理を作って、一本くらいは使いたい。
その日も調味料ガチャを引くと、光り輝いている中から出てきたのはバジルとマヨネーズだった。マヨネーズは持っているがバジルは持ち合わせていない。表示されたものは乾燥バジルではなくてバジルペーストのようなものだった。パスタにも使えるかと考え、絵里花は注文した。
人参をくし切りにする。鶏胸肉を小さく切り分けてフォークで穴を刺した後、酒に漬けておく。十分以上漬けたら、鶏胸肉に弱火でゆっくり炒める。少し火が通ったかというところで人参を入れて蒸し焼きにする。数分おいたら蓋を外し、水分を飛ばす。マヨネーズとバジルは最後の最後に入れて、軽く混ぜ合わせるだけ。
まあまずくなる調味料ではないけど、一緒に入れようとは思わないよなと思いつつ、人参を一つつまんで食べてみると、塩味が効いていて美味しい。米や酒にとても合いそうだ。
久々に酒が飲みたくなった絵里花は、冷蔵庫にビールが一缶しかないことを確認すると孝之に「帰りにビール買ってきて」と連絡した。
このガチャさえあれば大量の野菜も問題ないかもしれない。絵里花はさらに孝之に「これからも野菜バンバンもらってきてね」と連絡した。