8話 もふもふ伝書犬による書簡
ゼルデモンド帝国の影薄皇太子リヒャルトには人の存在感が『眼』で見える特殊能力があるという。
それを使って見てみると、アレリアの存在感はとにかく濃いという。その濃さ、歴史を変える級。
――そんな自己申告を、ある日アレリアは受けた。
そして有り難いことにリヒャルト皇太子はアレリアの後ろ盾となり、マルクの婚約破棄を証明してくれている。
しかもリヒャルトからのプロポーズまで受けていた。
マルク王太子はといえば、『アレリアはマルクの婚約者である』とリヒャルトに納得させるためだけに、優勝賞品がアレリアとの婚約権という、やらせ前提の剣闘大会を開こうとしている。というのを数日前知った。
その剣闘大会まで早くもあと二日。差し迫っていた。
しかも悪いことに、リヒャルトがその優勝賞品を目指して剣闘大会に出ることをアレリアはマルク王太子に伝えてしまった。帝国の皇太子リヒャルトに『やらせ』は通用しないのは必至。
そのため、マルクはリヒャルト対策で何か手を打ってくるだろう。
アレリアは前世のトラウマのために結婚も恋愛ももうこりごりだが、マルクと結婚するくらいならリヒャルトと結婚した方が何倍もマシ――という心境である。
……というようなことに、今アレリアはなっていた。
とりあえず事の次第をリヒャルトに告げなくてはならない。
もしかしたら大変なことになるかもしれないから、リヒャルト殿下、どうかお気を付けを……と。
なのに、リヒャルトには一向に会えないでいた。
一応ちゃんと彼も授業に出ているし、同じ教室にいるはずである。
なのに探すといない。呼んでも応えがない。
……本当に大事なものは目に見えない、という言い伝えを聞いたことがある。とすればリヒャルトは大事なものなのだろうか? まあいいやそんなのは。
恐らく影が薄くて気づけないのだろう。
リヒャルトには人の存在感を見る『眼』という特殊能力があるということだが、それよりこの影薄のほうがよほど特殊能力だと、アレリアは真面目に思う。ただのフォローのつもりだったが、本当に誰にも知られずに国民の暮らしを調査できそうだ。
となればあちらから声を掛けさせればいいのだが……。
リヒャルトを釣る話題って何だろう?
そう考えたとき、思いつくのは『あーリヒャルト殿下と結婚したいですわー』と口走ること、であった。
だがそれは心に強いストッパーが働く。
皇太子をおびき出すためとはいえもしそんなことを皇太子本人に聞かれたら、冗談では済まされなくなる。
相手はプロポーズをしてきており、それに対しての返答と見做されてしまうからだ。
確かにマルクと結婚するくらいならリヒャルトの方が何倍もマシなのだが、そもそも結婚はしたくないアレリアである。
そりゃあ、最近はなんとなくリヒャルトに心が動く気配はあるが……それにしたって前世のトラウマが思い出されてしまう。
あれだけ幸せの絶頂にいたのに、その幸せをこれから二人で歩んでいくんだと思っていたのに、あっさり婚約者に裏切られて捨てられたのだ。しかもアレリアは一族の怨嗟の声を一心に浴びながら処刑された。幼い妹までも巻き添えで殺された……。
しかも同じ皇太子という身分。いやこれはただの言いがかりだと分かってはいるが。
アレリアは寒気がして、ブルッとした。
やはり駄目だ。あんな目に遭うのはもう御免だ。絶対に結婚はしない。
そんなことを考えてながら一人窓の外を眺めて溜め息をつく様は、事情を知らない者が見ればまさに恋に思い悩む深窓のご令嬢の風体であった。
時間はまだ午前。
さて。次の授業はなんだったかしら。ええと、歴史だったかな……。
と……
「わん!」
と、犬の声がした。
犬である。
驚いて目を向けると、犬がいつの間にかクラスの中にいた。
白くてふわふわしていて黒いおめめがまるっこくてすごく可愛い、耳の垂れた小さい犬である。
学園内、それも教室内に犬。
赤い首輪をしているところを見ると、飼い犬。
今さらのようにクラス内が騒がしくなる。
「犬だ!!!!」
「どこから紛れ込んだんだ? 捕まえないと」
「飼育委員! 飼育委員はどこだ!」
「いや、ここはどこかの運動部がリードをつけて散歩を……」
「散歩してどうするのよ!」
騒然とする教室内を、白いふわふわ小犬はトコトコと歩いてくる。
可愛い。凄く可愛い。
あ、犬だ。ちっちゃくて可愛いなあ、けどこんなとこにいるのはどうなんだろう……飼い主がここにいるから探しに来ちゃったのかな? と戸惑いつつ見ていると、犬はアレリアの座る席の足下にちょこんと座った。
犬は口を閉じ、つぶらな黒い瞳でじっとアレリアを見上げている。
そしてアレリアは気付いた。小犬は赤い首輪をしていて、そこに手紙が挟み込まれているのを。
小犬は片前脚を上げた。これは『お手』である。
「?」
白いふわふわの小犬に見上げられながら何もしていないのに『お手』をされたアレリアは、小首をかしげた。
この白い小犬、何がしたいのだろう。
白いふわふわした小犬は脚を降ろすと反対側の脚を上げた。『おかわり』だ。
「……え、あ。もしかしてわたくしにご用ですか?」
アレリアの言葉が不思議だったのかアレリアの真似をしたのか、小首をかしげる小犬。
(かっ…………可愛い!!!!)
こういう犬の悩殺必殺小首傾げに勝てるものはいない。それは、どちらかというと猫派であるアレリアにとっても同じこと。
しかし小犬は冷静だ。メロメロになるアレリアを前に、脚を降ろすとまた反対側の脚を上げた。これはアレリアに用があるという合図らしい。
「……あっ、はいはい。わたくしにご用なのね。お手紙の配達かしら? お仕事偉いわねぇ」
アレリアは身をかがめると、椅子の上からそっと白い毛がふわふわした小犬の赤い首輪に手を伸ばした。
ふわふわの白い体毛に指先が触れ、ふわっとなる。
(あーいいー柔らかいー気持ちいーしあわせー……)
と幸せな気分になりながら手紙を抜き取ると、どこからかピュィーッ! と口笛が聞こえた。
その口笛を合図に、白いもふもふの小犬は教室の外に駆けて行ってしまった。
どうやら此度のことを仕組んだ人物が廊下にいるらしい。
その人物に会って直接話を聞きたいところだが、せっかく犬が手紙を届けてくれたので、まずはそれを見てみることにした。犬に手紙を届けて貰うなんていうのはそうそうない得がたい体験であることはまず間違いないからだ。有り難い。有り難いではないか、可愛い犬の犬文……!
しかし肝心の手紙の内容は、というと。
「これは……本気? 本当に? 本気なの? うーん……本気……なんでしょうね、これはきっと……うーん……」
思わず心の声を長々と発声しつつ眉間を揉んでしまった。
それはかなりの衝撃作品であった。